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仕事を好きになるということ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:岡 幸子(ライティング・ゼミ 日曜コース)
 
 
「まあ、夜でも電車はすぐ来ますから」
 
面接の席で、私は妙な違和感を覚えた。
都立高校の教員採用試験に合格し、次は個別に管理職と面接して、その学校への採用が決まるかどうかの大事な場である。さっきから、自宅からの距離や、夜道がどうしたとか、通勤手段ばかり聞かれている。面接一校目の商業高校から断られ、二校目の教頭から呼び出しの電話を受けたときは大いに喜んだ。島でも定時制でもなく、普通の全日制でよかったと思っていたが、もしかして……
 
「あのぉ……このお話、全日制じゃありませんでしたか?」
「いや、定時制ですよ。言ってませんでしたっけ?」
 
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
世界からあらゆる音が消えて思考が停止。
目の前に座った校長と教頭が口をパクパク動かしているのは見えている。
でも、何も聞こえない。
漫画やドラマの演出で見たことはあったが、そんなことが現実に起きるとは知らなかった。
呆然自失がどれくらい続いたのか、その姿がどう見えていたのかはわからない。
校長の声で我に返った。
 
「どうしますか? 定時制だと知らなかったようですが、考え直しますか?」
「はぁ……両親も全日制だと思っていますので、考えるお時間をいただけるなら……」
「困りましたねぇ。私はあなたを採用しようと思うので、このカードを都へは戻しません。そうなると、今年度は他校での採用はありませんよ」
 
なら、最初から選択の余地などないではないか!
こちらで働きます、4月からよろしくお願いしますと挨拶してその場を後にした。
どこをどう歩いたのか記憶にないまま、気が付くと4年間通い慣れた大学の門の前にいた。
1987年、携帯電話のない時代。
門前の公衆電話で自宅の母に報告した。
 
「採用決まったよ」
「よかったじゃない! おめでとう!」
「うん、でも定時制だったの」
「えっ……」
 
受話器の向こうで母は絶句。
やはり定時制と聞いてショックなのだ。
 
当時の都立高校は、新規採用者は定時制か島の学校へ行くのが当たり前だった。
だからもちろん、最初はしっかり覚悟していた。一校目に断られ、すでに3月中旬になっていた。何かの事情で全日制が空いたのだろうと家族で勝手にぬか喜びしていたのが悪い。
 
現代なら、高校の定時制課程をそれほど恐れることはないだろう。
1980年代は違った。
校内暴力が吹き荒れ、尾崎豊の歌のようにリアルに校舎の窓ガラスが割られていた時代。
中高生による対教師暴力も珍しくなく、定時制には、中学で荒れた生徒が入ってくるイメージがあった。暴走族の幹部が在籍し、バイクが集団で校庭を走るようなこともあった。女子大を卒業した直後の小娘が飛び込む職場としては、できれば避けて通りたいのが本音だった。
 
そんなわけで、私にとっての就職は、意に沿わないお見合い相手と、しぶしぶ結婚するようなものになってしまった。
 
どうしても嫌なら、離婚(退職)すればいい。
 
直後はそう思った。
でも、一週間たつと違う想いが湧きあがった。
 
教師の自分がそんな気持ちでどうする!
この学校に通う生徒や新入生に失礼ではないか。
生徒を迎え入れる立場として誇りをもってこの仕事に取り組まなければ。
 
初出勤までに気持ちを立て直してはみたものの。
授業が始まると、もともとあった男子生徒への苦手意識が強まる出来事がたくさんあった。
 
顕微鏡の使い方を教えようとすると、反射鏡をはずしてペロペロキャンディーのように舐め始める男子。
「何でそんなことするの?」
「面白いから」
 
一週間ごとに金髪、青髪、赤髪、虹色髪に変えて白髪で落ち着いた男子。
「白が一番カッコいいってわかった。電車に乗るとみんな振り向くよ」
 
チャイムが鳴ったので教室に入るよう促しただけですごむ、鑑別所帰りが自慢の男子。
「偉そうなこと言うと、いじめちゃうよ」
 
膨らんだやる気もしぼむカルチャーショックに打ちのめされた。
 
やんちゃな男子にひるんでいると、今度は真面目な女生徒たちから要求された。
「先生、授業中うるさい人たちのこと、ちゃんと注意してください」
 
そうか、私の授業を聞きたいと思ってくれる生徒もいるのか!
孤独だった教室で味方を得た気分だった。この子たちのために頑張らねば。
そう決意して数回目の授業前、部外者の友人を連れ込んで話している男子生徒がいた。
 
「校内にお友達を連れてきちゃいけません」
「うるせえな」
「これから授業だし、今は帰ってもらって、続きは下校後にしてください」
「誰に向かって言ってんだよ、このくそばばあ!」
 
立ち上がると私より背の高い悪系男子にすごまれ、足がすくむ。
ここで動揺したら負けだと思い、鳴り始めたチャイムに助けられながら、黒板の前へ移動した。
何事もなかったように、授業を開始する。
 
「じゃあな」
 
しばらくすると、彼は友人を帰して教室に入ってきた。
一番後ろの席に座り、机の上に両足を大きく投げ出して腕を組んだ。
ものすごい形相で私をにらんでいる。
まあ、喋ってうるさいわけではないので、そのまま授業を続行した。
 
板書していると、後ろから消しゴムが飛んできた。
方向から、彼が投げているだろうことはわかったが、振り向かずに板書を続けた。
雑巾が飛んできて、白衣のすそに当たった。
こういう時こそ、授業をきちんと続けなければ。
 
傘が飛んできて、白衣の横をかすめた。
怖い。でも本気で当てる気はなさそうだ。ここで踏ん張らねば。
振り向くと、相変わらずこちらをにらんでいるが、騒ぐ気はなさそうだ。
 
内心の動揺を隠して、普通に授業を進め、チャイムが鳴って起立、礼。
教卓を片付けていると、彼がこちらを見据えたまま、まっすぐ近づいてきた。
私も彼を見る。心拍数が跳ね上がる。
彼が、教卓の前に来た。
 
「先生、叱ってくれてありがとな」
 
そう言って教室を出て行った。
 
職員室に戻った瞬間、緊張が解けて涙があふれ出した。
同僚は、新米教師が泣いている理由も特に聞かず、温かく見守ってくれた。
 
本当に、多様な生徒がいた。
 
中学の勉強についていけなかっただけの心優しい女子。
全日制高校を退学して社会に出て数年たち、高卒の資格が欲しくなった青年。
戦争で中断された学びを夜間中学から取り戻そうとしている50代、60代の方々……
 
個性豊かな生徒たちとぶつかったり、励まされたりしているうちに、気がついたらこの仕事が好きになっていた。
定時制から、通信制、全日制と職場を変えて、今も教師を続けている。
 
就職はお見合いに似ている。
条件と見かけだけでは相手の魅力はわからない。
仕事も、やってみなければわからない。向いていないと思っても、壁を乗り越えた先に見えなかった景色が見えてくることもある。
 
だから、どんな仕事も就職してすぐに向いてないと見切りをつけてしまうのはもったいない。その仕事を知ることで好きになる可能性がある。ただし、いつまでも我慢することもない。
 
嫌なら離婚すればいい。
 
そう思っている方が、案外、長続きするのかもしれない。
 
 
 
 
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2020-03-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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