メディアグランプリ

「ステージ4です」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:守田 宏行(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
三年前の年末、仕事上でクレームが発生した。
海外での案件であり対応に苦慮した。原因の追究と対処の為、連日遅くまで仕事をしていた。
それとは別に、その頃体調面で少し気がかりなことがあった。休める状況ではなかったが
散々悩んだ末、無理矢理休んで病院に行った。
最初は自宅近所の病院に行った。少し待って診察を受けたところ「ここでは検査設備が無いので紹介状を書きますからすぐに設備のある病院へ行って下さい。」
嫌な予感がする。そのままタクシーに乗って紹介された病院へ行く。
直ぐに診察してもらい、CT検査に向かう。
診断結果がでて先生と対面するが先生は結果の説明する事もなく、「造影剤を使ってCTを再度撮りましょう」と仰る。嫌な予感しかしない。
しかし当時は病気に対する構えもなく、「はーい。」ちゅうて再度CT検査を受ける。しばらくして結果がでて再度先生と面談する。
開口一番、「残念ながら、悪性腫瘍でステージ4です」
 
最近の病院では病名をずばり本人に告知する。とは聞いていた。
病変があるかもと半ば覚悟の上の受診だった。願わくば他の病気であって欲しいと思っていたが、いきなりステージ4を突きつけられるとは思っていなかった。
ついてでた言葉が「なんぼかまかりませんか」だった。癌であることは受け容れよう。
しかしステージ4は受け入れがたい。いくら知識が乏しいとしてもステージ4は聞いた事がある。ヒエラルキーの頂点、チャンピオンのステージである。
「大腸に大きな腫瘍があり、肝臓に10カ所転移しています」もはやぐうの音もでない。
しかし、転移が認められる症状があれば、即ステージ4であり、ステージ4は即治療不能ではなく、「根治困難」であると知った。大きな違いである。その時は「手遅れ」とゆう状況が一番怖かったのが本音である。
内視鏡やらPETCTを経て確定事項として、私は癌患者となった。
 
年が明けて、周りのすすめもあり市内の大学病院でセカンドオピニオンをうける。
部長先生と面談となった。その頃は頭のなかは死のイメージしかない。しかし本当に死を
直視していたかと言えば曖昧である。メメントモリと言う言葉が流行ったのも一昔前であるが。体験を伴わない思いは単に想像でしかない。
そんな状況であったが、先生曰く「初診の見立てで間違いないと思う。」しかし
「うちの病院はほぼ毎日生体肝移植をやってるから、この程度なら明日にでも切れるで。」
その言葉を聞いた瞬間、迷いが消えた。
先生にしてみれば、本音をさりげなく語ってくれたに過ぎないと思うが、私にとって正に
「福音」であった。何も打つ手が無いわけでは無い。やれる事はあるのだ。
思えばそれが希望とゆうものだろう。
やるべき事をやる。問題が実にシンプルになった。以降悲観的な思考になることは無かった。
根が単純な事が幸いしたのかもしれない。そしてその大学病院でお世話になることを決めた。
 
それから二度の手術を経て現在に至るが、まだ終わった話では無い。
転移部分の手術が終了し、次のCT検査で再発が確認された。約一月で再発した事となる。
担当の先生から「寛解」から「延命」に治療方針を変えなければならないと説明があった。
そして現在その「延命」の過程に私はいる。
 
仕事を休んで治療している間、痛み耐える以外は基本的には暇である。
ネットニュースを見る機会が増えた。そして癌関連のニュースが意外に多い事に気が付く。
新しい治療方法が見つかった、新しい薬が承認まちなど希望を持てるニュースも多い。
後五年もすれば環境が激変している可能性すらある。癌であることを公表し闘病記録を赤裸々に綴ったものもある。それぞれ実に興味深いものである。
しかし、しばしばみられる表現のなかで「なぜ私が」という否定的な思いが見え隠れしているのにも気づく。そのままズバリ文章の中で使われている事もある。実際、素直な感情として「なぜ私が」と思う事は不自然な事ではない。率直に申し上げるとそれは真実だとも思う。
しかしながら、私が闘病するにあたって決めていたのが「なぜ私が」と絶対に考えないとゆう事である。
 
「なぜ私が」についての答えは永遠に用意されていない。
今際の際に悟るかも知れないが、むしろそれはそれで嫌である。
残さざるを得ない仕事、家族等々を思うとき自然に「なぜ私が」となるのは致し方ない。
しかしその感情に拘泥すると、たちまち無限の泥沼にはまってしまう気がするのだ。
この季節に少しほっとする小春日和でさえもあちこち痛い時には恨みがましいものとなる。
人の気遣いが煩わしいものとなり、今まで心配してくれていたはずなのに次の会話では私の死後の話をしているような気持ちなったりする。
元々我が身に起こる事の全ては「なぜ私が」なのである。生まれてきたことさえも「なぜ私が」なのである。悪い状況のみ切り取って恨みがましく思う事は本当に不幸と言える。
だからこそ生が意味あるものとするために私は否定的に「なぜ私が」と思うことは決してしない。そう決めている。
 
 
 
 
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2020-03-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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