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メディアグランプリ

猪がくれた、ショコラ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:野崎舞(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
タスケテ……。
スマホを持つ手が震えていた。吹きつける風、足元には白い雪。容赦なく西へ西へと傾く太陽。進む方角さえわからず私はただ独り、山の中に立ちつくしていた。
 
それはまだ単独登山を始めたばかりのこと。秋が深まり、紅や黄色に染まった木の葉が地面を覆い尽くしていた。踏みしめるたび、もふっと音をたてる。天気もよくて最高の山歩きだった。
その日は山を2つ超え、また同じコースを戻ってくる計画をしていた。時間的にギリギリの計画だったが、冬になると来られないからと無理をした。スマホにGPS付きの地図があるから大丈夫と簡単に考えていたのだ。
 
往路は順調のように思えた。だが2つめの山に差し掛かると、山頂へのルートが落ち葉と積雪に隠され、非常にわかりにくくなっていた。ここで引き返せば楽しい登山で済んだだろう。しかし私は致命的なミスを犯した。進んでしまったのだ。GPSがあるし、帰りは雪についた自分の足跡を辿れば大丈夫という安易な考えが、この後の恐怖体験を招いたと言える。
 
山頂にたどり着くとそこには白銀の世界が広がっていた。誰もいなくて真っ白。それだけでテンションが上がるというものだ。新雪に足跡をつけることを楽しみつつ、三角点(山頂のしるし)を探して歩き回った。が、見当たらない。GPSを駆使して探すが結局見つけられず、引き返すことを決めた時には山頂到着から2時間経過していた。
これはヤバい。最速で帰っても下山途中で暗くなってしまう……。
 
その時ふと我に返った。……ここは、どこだ?
どうやって山頂に来たかもわからなくなるほど白銀の世界を彷徨っていたのだ。自分の足跡を逆走すれば帰れると思っていたのに。その足跡が見つけられなくなっていた。
 
焦った。早く帰りのルートを見つけ出さなくては。当初の計画よりおしているのだ。いや、落ち着け、GPSがあるじゃないか。足跡を見つけなくても地図を見てルートを辿れば帰れる。何も問題はないはず。この考えが、私をさらなる窮地へと追いやることになる。
 
GPSを頼りに進む。足元に道があって、分岐の看板も立っている。うん、これなら帰れる。持つべきは文明の力だね、と安心しきって早足で進む。が、その足がピタリと止まった。
えっ……? 思わず言葉が漏れる。
目の前から道が消えていた。
地図上には道が描かれている。GPSの位置も道の上にある。でも現実は違った。そこで道は途絶え、目の前は急峻な斜面に遮られていた。
 
どういうことだ!? 山は道に迷ったら引き返すが定石。しかし、引き返して待っているのは、どこから来たかもわからない山頂だ。引き返す? 否! そんな時間はない。そして引き返しても……助かる道はない。
 
スマホを持つ手が震えていた。頭の中に浮かぶは2つの文字。「遭難」 だ。まだ知識が少なく、装備も甘かった。野宿するための簡易テントもない。食糧は残りわずか。人の気配はなく、山中なのでGPSはつながっても、電話回線は繋がらない。故に救助も呼べない。
 
万事休すか。身体の中の血液がすぅっと冷めていくのを感じた。末端神経が痺れ、感覚がなくなっていく。どうする? このままでは死に繋がる。進退を決断せよ。
 
「進む」 を選んだ。そこに道はない。しかしGPSと地図を信じるしかなかった。急峻な斜面を四肢を駆使して這い上がる。なんとか最上部を越え、今度は滑り落ちるように斜面をおりた。
本当にこれでいいのか。不安がうずまき、増幅していく。地図を見ようとスマホのボタンを押した。……と、私の身体は固まった。
スマホが、スマホが、起動しない!
電源ボタンを押しても真っ黒な画面のまま。電池はまだ充分あったはず。なのになぜ!? なぜ起動しない!!?
 
頭が真っ白になった。その場に立ち尽くす他、なにも出来ることはない。太陽は容赦なく西へ傾き、吹き荒ぶ風が耳の横でごうごうと音をたてていた。
 
……どうしよう、タスケテ。
絞り出すように呟く。
その時だ。
トッ! と音がした。音の先に目をやると何やら動くものがある。
 
瞬間的に全ての音が止んだ。
白い世界、冷えた空気、澄みきって何の音もしない静寂な空間。
そして数メートル先には下から斜面を駆け上がってきた、猪。
 
彼は静かに私を見つめていた。私も彼から目が離せなかった。いや、動けなかったのだ。
猪は積極的に人を攻撃することはない。だが、子連れや負傷している場合はその限りではない。猪に襲われて死に至るケースは事実発生しているのだ。
 
死が突如として目の前に突き付けられた時、私の頭に浮かんだのは愛する人のことだ。
家で待つ伴侶に一言だけ伝えたかった。
「ごめんね……」
ずっと一緒にいられると思っていた。独り残していったらあなたは悲しむよね。ごめんなさい。あなたには幸せになってほしかったのに。なんでもない2人の時間をもっと大切にすればよかった。
なぜだろう。猪と対峙した一瞬の内に感じたのは死への恐怖ではなく、伴侶への愛だった。
 
数秒の沈黙の後、彼はふわりと去って行った。
危なかった。その場にへたり込み、とりあえずは命があったことに感謝する。助けてと言ったら猪を呼んでしまったのか。人間を呼びたかったな、と思い目をあげた瞬間、私は息をのんだ。
数メートル先、猪が現れた場所にルートを示す看板があったのだ!
 
助かった!!! 正規のルートに戻れたのだ。見失わないようにルートを辿ればきっと下山できる。涙で視界がにじみながらも懸命に走った。途中スマホを充電器に繋いだら復活。気温が低すぎて起動できなくなっていたのだ。
 
下山した時には真っ暗になっていた。私の心は恐怖でいっぱいだったが、それを上回るほど感謝で満ち溢れていた。
あの時、猪に出会わなければ下山できていないだろう。きっとあの猪は山の神様のお使いに違いない。助かったのではなく、助けられたとしか思えない出来事だった。
 
それからというもの。山へ行く時はもしものことを考えた装備、計画をするようになった。家族のもとに無事帰るために、安全対策をし有事の際も冷静な判断をする。
 
愛する人と過ごす日々はあたりまえに思え、時として蔑ろにする。夫婦として過ごす時間が長くなるにつれ、互いを慈しむ気持ちを忘れてしまう。しかしその小さな幸せは約束されたものでは決してない。猪は映画「ショコラ」 のように安寧と経年の中で忘れてしまった愛情を思い出させてくれるスパイスをくれたのだ。
 
 
 
 
***
 
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2020-03-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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