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メディアグランプリ

定義を捨てよ、自由の旅に出よう

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

名前:ユミコ(ライティング・ゼミ特講)
 
 
私は、プロポーズ恐怖症だった。
 
付き合っている人が将来のことを口にしたり、結婚観について質問してきたり、親と会うセッティングをされたりすると、「ああ、またきたか」と身構えた。
「とうとうきたか……(ハート)」ではない。
「また、きたか……(ため息)」である。
そしてプロポーズに至ると、私は別れを予感し、実際、その通りとなった。
 
20代、30代、友人の結婚式には何度招かれただろう。
パーティの華やかさとみんなの笑顔で「幸せ」な気持ちを全身に受け止めるたび、幸せであるはずの人々と、その「幸せ」を恐怖に感じてしまう自分がいて、混乱した気持ちになるのだった。
 
私には全くわからなかった。「一生涯、愛します」なんて、ホラーでしかない。
この先の長い人生、愛する人を一人に絞ることの、何がめでたいというのだろう。
 
「プロポーズされると一瞬嬉しいねん。でも、結婚するのかぁ、と考えるとだんだん気持ち悪くなって別れてしまう」
「きっと、本当に結婚したい相手にまだ出会えていないだけじゃない」
悩みを聞いてくれた友人たちは言った。私も、そんな風に思っていた。
「結婚はしたい」けど、たまたま「結婚したい人」ではなかっただけなのだと。
 
将来をほのめかされると、相手の粗探しを始めてしまい、吐き気すら催す。
人生が急に、小さく不自由なものになっていく、苦しい感覚が私を襲う。
私にとっては、全くめでたい事態ではなかったのである。
 
たまたま、結婚したいと思える相手にこれまで、出会えていないだけ。贅沢な悩みだ。
そんな風に思っていた。
 
そのあとも、何人かの人からプロポーズされた。
その人数が5人を超えた時、何かがおかしい、と思い始めた。
「結婚」のことを考えるたびに、毎度同じような不快な気持ちを味わうのはどうしてなのか。
自分の皮膚感覚が薄くなり、消えてしまうような感覚を味わうのはなぜなのか。
 
結婚したら、個としての幸せより、家族や夫婦、社会の一員としての幸せを求めないといけない。そして、社会から期待される「妻」「母」「親」としての役割を果たさないといけない。
約束した人とは、一生添い遂げるものだ。
 
なんと、恐ろしい。
 
恐ろしいのは、結婚が、ではない。
こんな考えを持っていたことが、である。
 
すっかり染み込んでしまったこれらの考えを、私はどこから拾ってきたのだろう。
小説? 映画? 歴史?
だって、両親が不仲だったわけではない。年に何度も二人で旅行に出かけるような、仲のいい親である。両親が、私や他の家族のために、個人の幸せを犠牲にしていると思っていたわけでもない。
 
どこから拾ってきたか分からないままだったけど、自分が定義する「結婚」に嫌悪感を抱いていたことがわかった。自分を縛り付けていた思い込みに気づいた時、衝撃を受けた。
結婚したくない理由がわかったからだ。
 
つまり私は、プロポーズされるたびに、自分で定義した「結婚」の枠に自分と相手をはめ込み、不自由で苦しい気持ちを味わい、耐えきれなくなって関係を終わらせる、ということを繰り返していたのだ。
 
でも、気づいたからといって、状況が変わったわけではなかった。
その後も、別れを繰り返し、苦しみは続いた。いくら幸せそうな夫婦を見ても、新しい定義を自分に与えられずにいた。
 
そしてやっとある時、自分が自分についていた、非常に単純な嘘に気づく。
結婚したくないのに、したいはずだと思うからややこしいのだ。
したくない、が本音なのに、なぜ、しようとするのか。
 
ある日、一生結婚しないで生きよう、と心に決めた。そう決めることは何よりも恐ろしいと思っていたけど、固く張り付いていた願望を捨て去ってみると、かろやかな風が吹き始めた。
 
そして、私は昨年、結婚した。
 
不思議な話だが、夫と初めて会ったとき、未来を思い出した。
「未来」を「思い出す」なんて、変なのはわかっているが、他にどう表現したらいいのだろう。
「この人と結婚している」未来が、一瞬、はっきりと、見えたのだ。
 
見えた瞬間、驚きとともに、嫌だ、と思った。
一生結婚しない、ってこないだ決めたばかりなのに。
それより、この人のこと何にも知らないし。
 
だけど、これまでにも私の人生の転機となる時期に、同じように「未来を思い出し」たことが何度かあって、どれだけ半信半疑でいても、いつもスルスルと物事がその方向に進み、見えた通りのことが起こった。留学も、大学受験も、二度目の留学も、就職も。
抗えないと知っている類の、未来の映像だったのだ。
 
未来からの「お知らせ」を受けて、私は観念した。仕方ない、一度してみるのも悪くはない、と。
 
それから、半信半疑ながらも、スルスルと物事がその方向に進み、1年半後、結婚した。
 
「結婚」の新しい定義は、まだない。
 
いまだに「そういえば、私は結婚したのかぁ」と思うと、違和感と少しの窮屈さを感じる。
「結婚」に対する古い定義が、まだ私の奥底には残っているからかもしれない。
力づくで素敵な「定義」を作って思い込もうとしても、そんなに簡単にはいかない。
定義も願望も、いったん全てを捨てたから、まあ一度やってみようという空白が生まれたのだと思う。
 
物事に定義など、必要ないのかもしれない。賢い人ほど、言葉で「これこれは、こういうものだ」と説明できてしまいがちだけれど、それが自分を息苦しくさせることがある。そして、生き苦しくさせる。
そうすると、私みたいにそれ以外の考えを受け入れられなくなり、前に進めなくなるものなのかもしれない。
 
「結婚」はもとより、「家族」も、「愛」も、「仕事」も、「いい人生」も、「死」も。
あらゆる定義を捨ててしまえばもっと軽やかに生きていけるんじゃないかな、というのが、私を含めた私みたいな人へのメッセージである。
 
 
 
 
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2020-03-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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