メディアグランプリ

投げつけられたお釣りから見えた、わたしの心の鎖


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:南園 貴絵(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「220円のお釣りです」
小さくぶっきらぼうな声をかき消すかのように、チャリンという金属の音が響いた。
 
近所のショッピングモールの中にある某大手100円ショップに、趣味で使う資材の調達に来た。新型コロナウイルスの影響で店内はガラガラかと思いきや、マスクをした多くの客が普段と変わらない様子で商品を物色していた。
わたしは必要な物だけ手に取り、すぐにレジへ向かった。
2つあるレジのうち1つしか開いておらず、客はすでに5人並んでいた。
店員の女性はややムスッとした表情のまま、手際よく商品のバーコードをスキャンし、合計金額を読み上げ、客がお金を支払う。
女性店員の表情は別として、一般的なレジでの光景だ。
 
しかし、すぐに小さな違和感を覚えた。
女性店員がお釣りを返すときのチャリンという金属音が大きいのだ。もはや「ありがとうございます」という声が聞こえなくなるほど耳に残る音だった。
 
この光景を5回繰り返し、わたしの順番がきた。
例に漏れず、私のお釣りもチャリンという金属音とともに返されたのだが、なんと! 手のひらにお釣りを投げつけられていた。
今までの違和感が嫌悪感に変わったのを、わたしは自分の眉間にシワが寄ったことで感じた。
次の瞬間、女性店員がハッとした表情で、バツが悪そうにわたしを見た。
このとき初めて彼女と目が合った。
 
(そんな顔するなら、最初からお釣りを投げたりしなければいいのに……)
 
そう思いながら店をあとにしたわたしは、何だかスッキリしないまま食品と日用品を物色していた。
 
(わたしも露骨に表情を変えたりして、ちょっと悪いことしちゃったな……)
 
謝りに戻るほどではないが、悶々とした気持ちがつづいた。
 
悶々とする理由は明白だった。
わたしもあの女性店員と同じようなことを、日常的にしてしまっているのだ。
 
お釣りを投げつけるようなことはしないが、思わず、無表情でぶっきらぼうな態度をとってしまうことや、深く考えずにうっかり発言してしまうことがある。忙しいから、疲れているから、自分の思い通りにいかないから、気分がのらないから……などという自分勝手な理由で。
 
相手に非はないのに、「無表情」や「ぶっきらぼう」は唐突に放たれる。相手が怒ったり、傷ついたりするのがわかると、ハッとする。
「しまった! やらなきゃよかった」
「あんな風に言わなきゃよかった」
 
すぐに反省するなら、最初からそんなことしなければいいのに。
 
そして、この後悔は思いのほか長くつづく。
まるで心にかけた鎖のように、思い出すとギュッと締め付け、月日が経つほど錆びついてほどけない。
 
あれは、わたしが小学生のころ。母が「氣」と一文字だけ力強く書かれた書道作品を居間の長押に飾った。
どなたの作品かは知らないが、その力強い雰囲気に圧倒されたのか、初めて見る「氣」という文字に戸惑ったのか、自分の気持ちをうまく表現できなかったわたしは「なんか変な字」と言ってしまった。それを聞いた母は「なんでそんなこと言うの?」と少し悲しそうな表情でわたしを見た。
 
このときすぐに「ごめん」と言えたらよかったのだが、言えないまま24年が過ぎた。
中学、高校、大学へ進学しても、あの「氣」という作品を見るたびに母の表情が脳裏によみがえった。社会人になり、家を出てからも「氣」という文字を目にするたびにあの日のことを思った。
 
先日、実家を取り壊すことになり、思い切ってあの日のことと、これまでの気持ちを話したが、母は「えっ!? そんなことあった?」と、あっけらかんとしていた。あの書道作品のことは覚えているが、わたしとのやり取りは全く記憶にない、と。そして「そんなことでずっと気を揉んでたの? バカねぇ」と笑い飛ばしてくれた。
 
母にとっては覚えていないくらい些細な出来事かもしれないが、確かにその瞬間は悲しい思いや不愉快な思いをしたに違いない。それに、わたし自身が24年もの長い間、心にわだかまりを抱えていたことは紛れもない事実だ。
 
もし、この逆のことが起きているとしたら、どうだろう。
わたしの言動で誰かが深く傷つき、怒り、長年にわたり心にわだかまりを抱えているにも関わらず、わたしはそのことに気づいていないとしたら……。
これはとんでもないことだ。考えただけでぞっとする。
 
それでも悲しいかな、わたしは34年生きてきて「そんなことはひとつもない!」と、胸を張って言えるような人間ではない。
残念なことに、母にしてしまったことと同じような記憶がいくつもよみがえる。
 
そして、それを今更「ごめん」と言われたところで許せることではないかもしれない。むしろ謝られたことで、封印していた気持ちを思い出して不愉快な思いをさせてしまうかもしれない。
 
自分がされて嫌なことは、人にもしてはいけない。
実に、簡単なことだ。
 
この簡単なことができずに、誰かが傷ついたり、不愉快な思いをしたり、後悔したりする。
何気ない言葉や態度がもとで、恨みや憎しみが生まれることだってある。
 
簡単にほどけるはずの鎖も、いくつも絡まるとなかなかほどけない。
そして、そのまま放っておくと錆びる。
その錆びた鎖の鈍い色は、しっかり残る。
 
これからは、本当の「思いやりの心」を大切にして過ごしたい。
自分の心に鎖をかけず、今までに残してきた錆の色を少しずつ落としていけるように。
 
 
 
 
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2020-03-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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