別れの季節だ、だから行こう。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:須高サエ(ライティングゼミ・平日コース)
「そういえば、ここ来月で終わりなんですよ」
「え……」
目の前でほこほことたこ焼きが湯気を立てていた。
こげ茶色のとろりとしたソースではなく、岩塩でいただくその一品は私のお気に入りだ。
カウンターの向こうで店長がいった。
今はもう、その時の店長がどんな風だったか思い出せない。
「え、いつまでですか……」
「一応契約では来月の末まであるんですけど。材料なくなったらもう次頼まないで終わっちゃおうと思ってんですよ」
「ということは最終週はやってないかも……ですよね」
「そうですねぇ……下旬の三連休まではやりますけど」
なんてこった。
その言い方だと連休明けの日かその翌日、よくても翌々日には終わるのか。
あと何回これが食べられるんだろう。
本当は「売上? それとも寄る年波には勝てないってやつ?」と根掘り葉掘りしたかったができなかった。
店が週1日休みだから週1回、あわよくば2回、ある時は食事替わり、ある時はおやつがわりに通っていた。日替わりメニューがある店なら日参も辞さないのだが、たこ焼きの店でそんなわけはなく、自分で自分に言い訳ができる程度の頻度で通うことで満足していた。一応栄養バランスも考えて自主規制していたのが裏目に出たのかもしれない。
私は途方に暮れた。
「マスター、いつもの」
引っ越しをしたばかりの私の野望は、そんなことが言える行きつけの店を作ることだった。
ただ、コンビニでは駄目だ。人のいいおばちゃんに世間話をされたいわけではないし、いつも揚げ物ばかりを買っていく客としてあだ名をつけられたいわけではない。そもそもマスターがいない。
バーでは駄目だ、単純にお酒が飲めない。一説によれば店により単なる飲み屋と化しているため飲めなくてもいい、というところもあるらしいが。
チェーン店ではないお店で、店員の数が少ないカウンターありの飲食店がいい。
引っ越したばかりの部屋の周辺で喫茶店にいくつか入ったあと、私がたどり着いたその店はたこ焼き屋だった。
確かメニューたこ焼きが6個か8個、ソース(塩含む)が6種類くらいあったと記憶している。ほかのメニューはイカ焼きと、カクテキか何かのつまみが2種類くらいと、アルコールとソフトドリンク。店の中はぐるりとカウンターになっており、たこ焼き屋さん、というよりは少し飲み屋に近い。外側はカリカリ、中はとろとろに柔らかい、と記憶しているが、思い出が美しすぎるのでもしかしたらそんなに柔らかくなかったかもしれない。
店員はいつも店長一人で、ソースを一通り試し終えたころには一人で切り盛りしている店だということが分かった。一巡した味の中で特に気に入ったのは塩だった。ほかの店ではないものが食べられる、それがその店に通う一番大きな理由だった。
ある日、二種類のソースを選べずにいると、見かねたのか、複数人で食べ分けることに慣れていたのか、店長が2種類選んでいいと言ってくれて、その頃には、たこ焼きが焼けるのを待つ間に雑談ができるようになった。
「お客さん芸術関係のお仕事でしょ、イラストレーターとかアニメーターさんこの辺多いもんね」
「へ? いやぁ……普通に会社員とかしてましたけど」
その頃の私は平日の午後3時過ぎにゆるい服で出歩いているだけで、ハローワーク通いの無職だった。そして壊滅的に絵が下手だった。実態はともかく、絵が描ける人間に見られたことはその時の私には明るいニュースといって良かったし、今も思い出すと嬉しくなる。
「お金稼ぐいい方法ないですかねー、何かやってます? FXとか」
「ああ、やってますよ、FX。まぁ利益っていってもだいたい年で5%位ですかね」
無職が何言ってんだ、という雑談にも店長は応じてくれた。
最初に店を訪れてから半年が過ぎても、相変わらず私は無職だった。一応、リラクゼーションの専門学校に通っていたので引きこもりではなかったが、無職だった。休みなしに日付がわかるまで働き、残業をなかったことにする報告書を提出する前職のような生活には戻りたくなかった。
ほかの常連客がお店に差し入れてくれた漫画や小説をたこ焼きが焼けるのを待つ間、何度も読んだ。時々入れ替わる本が、ゆっくりとした時間を象徴しているように思えた。
別に店長は「いつもの」を出してくれることはなかったし、私も「いつもの」などという注文をする勇気はなかったが、間違いなく、その店が私の行きつけになっていた。
あの店は、もうない。
店がなくなってしばらくは、店があった場所の前を通る気にならなかった。
半年して、観念した私は働き始めた。結局リラクゼーションを職業に選ぶことはなく、労働条件は慎重に確認して前職と同じ業界に戻り、私はその街を去ることになったが、それでも、時々はその街に立ち寄った。あの店が別の店になってしまったのを確かめた。あの店が戻ってこないことを、確かめた。
今住んでいる街は、単純に通勤の利便性だけで選んだので思い入れは何もない。交通の便が良くて割と静かな他は、何の印象もない街だった。
時々、街を歩いていてふらりと店に入る。
少し歩いた商店街の近くにあるうどん屋は、歯ごたえのある硬い麺と豚肉のうどんを出す。私の出身地で標準的な柔らかな麺と牛肉とは全然違う。地下にある土曜日だけ営業のカフェは役者たちの副業場所になっていて、壁一面に公演のチラシが貼ってある。近くでこんなに劇場があること自体、知らなかった。
気に入った店が少しずつ増える。「いつもの」がある店はまだないけれど、少しずつこの街が私の行きつけになっている。
さぁ、「いつもの」を探しに、外に行こう。
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