メディアグランプリ

両親への差別をやめたとき、おもいやりの正体がわかった。

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:池田 慧(ライティング・ゼミ特講)
 
 
僕には、小学校の先生になった友人がいる。彼に一度、担当クラスの教室を撮った写メを見せてもらった。
「信頼」「団結」「絆」「協力」「笑顔」「おもいやり」
黒板の上や、教室のうしろの掲示板には、白い紙に手書きの黒字で書かれたそれらの言葉が貼りだされている。
 
出たよ、と思った。こういうの、大嫌いなんだ。べつにそれは、28歳にいたるまでの成長過程で紆余曲折があったからではない。はっきり覚えている、小学生当時から、大嫌いだ。
 
彼に聞いた。
「おれみたいにひねくれたやついて困らん?」
「いや、そうそうおらんで?」
あらそうですか、とそれでこの話は終わった。
 
いわゆる模範的な言葉が、学校という場所ではあふれかえっている印象がある。その言葉の意味は、人によって細かい理解が違っているし、そもそも深く考えた経験もないまま、存在だけポピュラーになってはいないだろうか。僕が当時から今も、こういった美辞麗句にたいしてケンカ腰になってしまうのは、そこに漂う嘘っぽさに、つよい警戒心を感じてしまうからだ。
 
大人とよばれる年齢になった今でも、もし学生に「どうして大事なの?」と聞かれたら、スパっと答えられる自信はない。
でも、「おもいやり」、これだけは、めちゃめちゃ大事だと伝えたい。
 
相手の立場にたって考えること。
働いていくうえで、もっとも大事な基礎能力かもしれない。広告会社でいうなら、クライアントの立場、ターゲットの立場、周辺人物の立場、デザイナーや印刷会社の立場、メディアの立場。立たなきゃいけない相手の立場があまりにも多い。
そしてスポーツにおいても、共通して必要な能力だと思う。長年続けてきたアメフトでいうなら、勝ち負けは、相手が想定している予定を、どれだけ崩せるかで決まる。「あいつへのパスが決まる」「ディフェンスの猛ラッシュをしのぎ切る」、そういった予定を崩すためには、まずはその予定そのものを知ることが必要だ。相手が何をしたいと思っているか、何をいやがっているのかを把握する力は、「相手の立場にたって考えること」とイコールだといって差し支えはない。
 
相手の立場に立てないと、相手を動かすことはできない。それは当たり前のことだけど、かんたんなことなんかじゃない。
それに気がついたのは、大学生のころだ。社会人になる半年前だった。気づかせてくれたのは、母だった。
 
「どないして書け言うねん。」
目の前にはボールペンとまっしろの紙、食べ終わったミラノ風ドリアの空き皿。サイゼリヤのファミリー席でタバコをふかしながら、僕は一人途方に暮れていた。
 
当時、僕は宣伝会議賞という広告コピーのコンテストに応募しようとしていた。すでに広告会社への内定は出ていたけれど、特に広告業界に強いこだわりがあったわけではない。大学スポーツを引退してヒマになったがゆえに、筋肉の世界よりも高尚な文化に触れてみたいと思っていたら、たまたまその賞の存在を知っただけだった。
 
宣伝会議賞は、課題となる企業・商品は40以上もあり、そこから自由にいくつでも選ぶことができる。各企業に1本ずつ出すと決めて順番に当たっていった。その中の一つに、フロッシュという洗剤があった。
 
実家暮らしだった僕は、それまでにお皿を洗ったことなんかろくになかった。この商品のメインターゲットである主婦のように、家族の使ったお皿を洗ってきた経験はゼロだった。
 
だから、自分の知っている人の気持ちになりきってみることにした。それが、母だった。
 
やってみようとしたが、意外とむずかしかった。というか、すぐにはできなかった。
その時に気づかされたのは、僕は、その時まで22年間も一緒に過ごしてきたのに、母のことを何も知らなかったという事実だ。
卒業した小中高、地元、年齢、誕生日、父と結婚した理由、好きな食べ物、好きな色。知っていることだってもちろんある。
でも、子どもの成長とともに、母のライフスタイルはどう変わっていったのか、その中で家事はどういう位置づけだったのか、家事をしているときどんな心境だったのか、肝心なものが何一つ想像できなかった。
 
実際にやるほうが早いと思ってシンクの前にたった時、また一つの事実に気がついた。それは、お皿を洗っている間、母はずっと僕たちを眺めていたのかもしれない、ということだった。
お皿を洗うのは、晩御飯を食べたあとだ。父と兄と僕は、決まってリビングで思い思いに寝転がっていた。その様子が最も見えるのが、対面式キッチンの小窓だったのだ。おなか一杯の僕は、寝ぼけながらテレビを見つめていた。その背中を後ろから、何年も眺めて続けていた母がいた。私の知らない母がいた。
 
その新しい事実は、無知ゆえの罪深さを僕に突きつけた。反抗期には、どれだけひどい言葉を吐いたろうか。作ってくれたお弁当の感想を、いったい何回伝えただろう。眠かった朝練よりも早起きしていたのは母だ。試合に勝って日本一になった日、おめでとうの言葉を、なぜ無視したのだろう。ここまでこれたのは貴方のおかげだと、なぜ心から思えなかったのだろう。
 
中高大一貫校に入学した次男坊は、両親に甘えきっていたのだ。美味しいごはんも、きれいにたたまれた洗濯物も、必ずそこにあるものだと思いこんでいた。
でも、それを作ってきたのは誰か。それを準備してきたのは誰か。社会と戦い続けてきたのは誰か。
それを実現させたのは人間だ。そこにいたのは、普通の人間だ。母というのは側面にしか過ぎない、普通の日本人であり、普通の女性であり、朝は眠く、昼は頑張り、夜はもうひと踏ん張りしてきた。そんな普通の一人の人生の結晶が、僕自身だった。その人生を認めず、「当たり前だ」と無意識に吐き捨ててきたのが、結晶であるはずの僕だったのだ。
 
その時の気づきが、今の僕を作ってくれている。僕は自分に約束をした。人を理解することを決してあきらめないということを。
 
頭がおかしいと思わせてくる人もいるし、信じられない人、許せない人だっている。でも、そのすべてが、自分と同じ普通の人間なんだと思うことにしている。
「あいつと僕とは違う」、そう思った瞬間、理解することなんかきっとできなくなる。それは母に対する、昔の自分と同じだ。逆に、「僕と同じように何かに喜んで何かに怒るはずだ」と信じ抜ければ、いつか絶対に理解できるはずだ。
これは、広告という仕事において、一見すると絶対に無理だと思わされる課題に向き合う上で、大きな助けになってくれている。
 
母に感謝したい。
根性とか健康とか、キャラクターとか、勝負使えるモノをたくさんもらったけれど、あなたにもらったおもいやりという槍が、今の僕の一番の武器です。
 
 
 
 
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2020-03-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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