「あなた誰?」と母に言われる日
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記事:佐藤久美子 (ライティング・ゼミ平日コース)
「あなたは誰ですか?」 先週、認知症を患う実の母に、笑顔でこう言われた。
「わぁ、ついに来たか」 この認知症の象徴的なセリフ、いつかは来ると聞いていたし、そういうこともあるだろうと構えていたけど、実際言われてみると、「本当にこうやって言うんだ」と冷めた気持ちで見ている自分がいた。
まぁ私、その時いつもと違ってマスクにメガネだったから、わかりずらかったのかもしれないけど。
今年79歳になる母と私は子供の頃からとても折り合いが悪く、小学校に上がる頃には、母を既に大嫌いだった記憶がある。幼心に「これって珍しいよなぁ」なんて思っていた。
周りの女の子達はお母さんと色々なこと話したり、お買い物に行ったり、お菓子をつくったり。うちはそういうの全然無かったから。
専業主婦として家事や子育てをする私の母は、ごく普通のお母さん、ちょっとだけ違うのは、身内に対して息をするかのように常に愚痴をいう人だった。何不自由無さそうに見えた暮らしの中で、いつも何かに文句を言っていた。父のこと、兄のこと、私のこと、近所の人のこと。
母に何が起きていたのか、今でも私にはわからない。私はターゲットになりやすかったらしく、私の容姿、性格、身につけるもの、持っているもの、話す言葉、全てに文句をつけた。
「なんか聞いてると、橋の下で拾われた子みたいじゃん」 高校生の頃、友達に何気なく母とのことを話すと、笑ってこう言われたりした。確かにそうかもしれない、少なくとも温かな親娘関係だったとはとても言えるものではない。
身内以外にはとてもとても愛想の良い母だったから、何を言っても周りには信じてもらえず、信じてもらったからといって何かが変わるわけでもないので、幼い頃にいろいろと諦めた。
「良いなぁ、お母さんと仲が良くて」 友達の話を聞いてたまに思うことはあっても、心の奥ではすっかり諦めていたから、あまり考えないようにしていた。うちは例外、母と仲良くなんてできる日がくる訳ない。考えるだけ無駄だし、考えていたら悲しくなるからね。
大人になってもそれは変わらず、結婚は母から逃げるようにして、早かった。とにかくこの家族から抜け出して新しい家族が欲しい、普通に笑いあえる、買い物行ったり、ご飯に行ったりできる家族。
だけどそんな理由でする結婚は上手く行かず、結婚生活は5年で終わり地元に戻ることになった。それでも実家に住むつもりはなく、まだ2歳にならない息子と2人、実家から車で10分ほどの隣の市に移り住んだ。
母の認知症が始まったのはそれから7〜8年後のことだ。症状はゆるやかに、でもじわじわ確実に進行して行く様子を複雑な気持ちで眺めていた。進むことはあっても良くなることはない、それは分かっていた。
はじめは1日に何度か同じことを聞くくらい。 「何年生になった?」 「背は何センチになったの」 母はいつも息子のことを気にかけていた。
1日に何度も同じこと、が1時間に何度も、になり、近所に買い物に出かけて帰って来られなくなったり、冷蔵庫にベーコンが15個入っていることがあったり、そんなことが徐々に増えて行った。
身内以外の人には愛想の良かった母が、認知症の進行でその区別が難しくなったようだ。週に何度か来てくれるヘルパーさんに冷たい言葉をかけるようになった。「どうしてあなたの前でお風呂に入らないといけないの!」と大声を出したり、作ってくれるお昼ご飯のメニューに文句を言ったり。
逆に私に向かって、優しい言葉をかけるようにも。「ありがとうね」「忙しくない? 大丈夫?」買い物をして行ったり、様子を見に行くとそんなこと言われるようになって、驚いた。
本当の母はどんな人なのか? 批判と愚痴にまみれた母と、素直に感謝を伝える母、このどちらが本物か、それはもう本当にわからない。今となってはどちらでも良い気がする。ただ正直に思うのは、この時間が私にとっては思いの外、そう思いの外、幸せな時間だということ。
「今日は天気がいいね」 なんて、あきらめていた、何気ない普通の会話をする母との時間。
今更仲良くなりたい訳ではない、本当は愛されていたのかも、なんて思う訳でもない。そんな感動のラストを期待している訳ではないけれど、認知症という病がもたらした、母と過ごす初めての穏やかな時間。あぁ、こんなこともあるんだな。
そんな中聞いた、冒頭の言葉 「あなた誰ですか?」 メガネとマスクだったからかもしれない、はずしたら私だとわかっていたし。
けれども本当に認識されなくなる日は近くて。母が母でなくなる日。私はきっと派遣されたヘルパーさんか看護師さんか、どこかの通りすがりの人と思われるのだろう。その日はきっと近い。
だけどね、ひょっとしたらそこから改めて、母と知り合うチャンスになるのかも、なんてことを考えている。もしも、親子だから、家族だから、上手くいかない、があったのだとしたら。その枠の外で知り合う彼女はどんな人なのだろう。最後に他人として知り合ってみるのも良いかもしれない。切なさと悲しさと少しの希望が交錯する中、そんなことを考えている。
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