【小学校の頃に、全力で性格改善した】自分、なめられやすい性格でよかったって思ってるんですが、どうやらみんな違うらしい《こつこメモ》
小学校一年生の頃、わたしは嫌いな友達とは机をくっつけなかった(その友達は毎年カンボジアにボランティアに行くような心の優しい子なので、今でも定期的に会う友達になっている)
男子と殴り合いの喧嘩もしたことがある(こちらもみんな優しいから、ちゃんと今ではSNSで相互フォローの仲だ)
「女」枠に押し込まれるのが最も嫌いだった。
小学校に上がると徐々に男子と女子の差は大きくなっていく。まず自分の赤いランドセルが嫌いだった。なんで赤じゃなきゃ駄目なんだろうか、黒の方がいかしてるのにと思ってた。
着替える場所も男女別で変わるし、授業が別の時もある。遊ぶ時も女子だけで遊ぶ機会も増えていく。シルバニアとかで遊んだことがなくて、ブロック遊びが好きだったわたしはなんだか開いていく差が気に食わなかった。男の気質の方が強すぎて、そっちの枠にいけないのが悔しかったのだと思う。
小学校の時にスカートを履いた回数は指の数ほどしかなくて、それに対していちいち母が悩んでいるのにも反発していた。小学校卒業の時にもまだ治ってなくて、卒業式もズボンだった。
でも、中学校に入ってから強制スカートになって、それもあっさり治った。子供がスカートをはいてくれなくて嘆いている全国のお母さんには自信を持って「大丈夫ですよ」って言える。
とりあえず、すれてた。尖ったガラスとまでは言わないけど、例えるなら、紙やすりのような子供だった。協調性はゼロに等しかった。
けれど、徐々に小学校低学年から中学年にかけて、自分の性格を改善しようという気持ちが芽生えた。
単純な話、香取慎吾主演の月9の「人にやさしく」を観た影響が強かった。一番好きなドラマだ(二番目は加瀬亮と戸田恵梨香W主演のSPEC)
シェアハウスに住む香取慎吾と松岡充と加藤浩次が、子供を預かって育てる話だ。
主題歌の今は解散してしまったブルーハーツの歌もかっこよくて気分が上がるので、観たことのない人にはぜひ観てほしい。わたしも久しぶりに今度借りてみようと思う。ともかく、それを見て「人にやさしくできない自分=悪」だと思うようになっていったのは、よく覚えてる。子供だから単純だ。
……性格を改善せねば! 漠然と。物心が形になり始めるあたりに。そんな気持ちが実り始めた(とかいって低学年頃の話だけど)
子供ながらに、自己分析をした。
自分に決定的に欠けているのは、人からからかわれた後の「リアクション」 これに尽きると思った。
こうして書いていると、なんだか頭の良い子供のように思えるが、実際は周りの友達を見て「あの子やあの子の真似をしてみよう」ぐらいだったと思う。
それまでのわたしは人からからかわれたりしたら、無視するか、仏頂面で言い返すことしかしてこなかった。楽しいリアクションや笑顔を返したり、逆に自分からかわかわれるような行動もとった。
結果は、大成功。
なんでこんなに大成功したのかというと、ちょうどこの頃、人見知りの女の子と仲良くなったからだ。
人見知りは、打ち解けた人にほどきつく当たる傾向があった。
きつくというか、雑というか、自由にコミュニケーションをとってきたけど、それを全て受け止めて返していくうちに、みんなからのわたしの印象も、多分、変わってった。
みんなに性格が変わったね、と言ってもらえるようになって、11だか12のわたしは大喜び。その人見知りの友達は今頃、昨年の10月に生まれた子供でもあやしているのだろう。
「謙虚さ」も覚えた。自分を下げて、人に譲ったり、人を立てるということだ。
(でもこれが染み込みすぎで、リーダーシップを張ってきた経験が少なすぎるのが今、痛手になっている。人前で発言するのが苦手になってしまったのだ。昔は前述の通り、人の目なんて全く気にしないで好き勝手やってきたのに)
それから日々が経つにつれ、小学校高学年の頃にはスカートを履くのが嫌いなこと以外、ほぼ、今のわたしになっていた。人に笑われてもいじられても怒らないし、自分が紙やすりだった時にされるのが嫌だったから、極力人にもしない(する人は打ち解けてる証拠なので許してください)
よっぽど人にやさしくする方が、楽しいことがわかった。
やさしくっていっても、優しくだけではない。
易しくでもあった。
人を笑わせたり、自分を卑下することによって相手を立てたり、頼ることで信頼を示したり。自分を極力、人にとって易しい人間にすることもやさしさだとわかった(安くはなりすぎないよう、注意)プライドを捨てたやさしさの形はバラエティ豊かだった。
今もこうして記事をみんなに読んでもらうという、新たなプライドを捨てたやさしさを覚えた。人のためなら、プライドは使い捨ての方が良いと思うようになっていった。
……ただ。使い捨ての濫用は「だらしなさ」を生んだ。ありのままの自分を見せることがプライドの使い捨てというのは、とんだ履き違えだ。
人にどう見られてもいいからと、皺々の服を着たり、汚い部屋に人を迎えたり(どちらも今でもよくやって怒られる)人のためのプライドまで捨て過ぎていることが、寮生活をして、よくわかったのだ。
きれいな服を着て、きちんと化粧をしたり。片付けた部屋で出迎えたり。それは決して自分を保身するためのプライドではない。人のためのプライドだ。
よく、なめられやすい人の特徴で上がるのは「人に言われやすい」ということだと思う。
大学で二年間、寮生活をしたけれど、一年目の最初の頃は「なんでこの人はわたしにばかり怒るのだろう、嫌だな」と思う時が多々あった。
(あ、わたしなめられてるからだ。やっぱりこの性格でいたら、わたしは損ばかりなのではないだろうか)
なめられればなめられるほど、なめられてくし、他の人にも伝染してなめられてくし。その結果、生まれるのが「いじられキャラ」というやつだと思った。時々わたしの堅くてじゃりじゃりした裏側に押し込めたやすりの部分が、がさがさした。
だけど、それはとんだ勘違いだった。
そのいつもわたしに怒る友人が、ある日吐露してくれた言葉で、考え方が変わった。
友達は「本当は叱ったり、厳しくしたくない。そうした時は、絶対に人に嫌われるし……でも、やさしさは優しくすることだけが優しさじゃない」と少し辛そうに言った。
そのあと、読んではいないが「嫌われる勇気」が出て、ベストセラーになった。書店に並ぶ青色の本を見て、その友達の顔が浮かんできた。わたしはその友達のことが、今までよりもなんだかずっと好きになった。
わたしは今まで自分のことを叱ってきてくれた家族や先生、コーチ、先輩や友達の気持ちを考えたことは全然なかった。「怒ってる」を一番大きく捉えていた。「怒る」と「叱る」は全くの別物だった。
新しいやさしさの形を知って、なんだか幸せな気持ちになった。
そしてさらに知ったのは、なめるは「無礼る」と書くということ。
わたしがだらしなかったり、失敗したりする時は、相手やそのことを「無礼ている」からだ。そんな人間は本当の意味で「無礼られていく」に決まってる。
でも、上にも書いたわたしがやってきた、人にやさしくすることは「無礼」ではなかった。礼を払って無礼られて、でも、本当に大事な時にはこの友人のように礼を払って力になってくれる。
よくよく考えたら、そのまんま「親しき仲にも礼儀あり」の構図ができあがっていた。
それに気づいた時、わたしの性格って最強に得した性格なのかもしれない、と思えた。
礼を払ってくれる人は、わたしのことを本当の意味で無礼ないで、適当に扱わないでいてくれる人たちだから、良い人たちだってこともわかる。
ここで覚えた友人が教えてくれた「やさしさ」は、まだ上手く自分では使えていない。「人に嫌がられるのが嫌だ」というプライドがあるのかもしれない。
だけど、自分には足りないものだから、少しずつでも今まで行ってこなかった分、やっていかなければならないと思ってる。
それからわたしは時間はかかったけど、人が礼を払って、叱ったり注意してくれるのはチャンスであり「得している」と思うようになっていった。感謝の気持ちを最前線に置くようになった。
逆に、プライドが高くて怖がられたりしている人は、とても損していると思うようになった。人から注意してもらえなくて、成長のチャンスも与えられない。前面に出たやすりの部分が強すぎるのだ。人を磨くこともできなければ、紙の部分で受け止めることもできない。
しかし、そういう人がいないと社会が回らないのも確かである。
そんな人を見ると「こんないいとこ取りばかりでごめんなさい」といつも思ってしまう。
でもやっぱり、色々とはっきりと物を言える人にも本当に憧れている。けどこの性格のぬるま湯に浸かってしまった今、とても小学校の頃の性格に戻りたいとも思わない。
……そんなこんなで、わたしは
「なつこ! それは※△◼︎*○だよー! しっかり!」
「てかそれやっぱよくないと思う! そういうとこだよ!」
とか言われると
「あー、自分、なめられやすい性格で良かったわー」
と、思うのだ。ごめんなさい、また得しちゃった、と。……もちろん、反省してますよ。
そう思って同じような意見の人がいるかもしれないと思って「なめられやすい」「性格」「良かった」とかで検索したら、なめられやすい性格を改善したいという記事ばかり。そんな人がこれっぽっちもいなかったので、自分で記事にしてみた。
職場や部活の後輩になめられることを悩んでる人が多かった。
なめられやすい性格を全否定しなくても……。ただ、まだ人にやさしくできてないんじゃないかなあ。上司や先輩なんだったら、ネットで質問する前に「その態度はよくないと思う」って言ってあげればいいのに。
それか、性格ではなくて能力や技術を磨いて黙らせたりとか。なめられやすいからこそ、サプライズができるのに。
「え、こんなことできたの!」とか「実はすごいとこあるんだね」とか。言ってもらえると実は嬉しい。下からのスタートの方がやる気も出るし。これも「なめられやすい性格」の特権なのにな。
まあ世の中、色々な考え方の人がいるので「なんて甘えた考え方なんだ」と思う人もいるかもしれない。
でももう誰に言われても、わたしは自分のこの性格が好きだから、きっと変わることはないと思う。
今はわたしの「紙やすり」の人に面してる面が変わった。ただの紙の持ち手の方が人に面してる。
だからまあ裏側は、がっさがさのやすりかもしれない。でも人の方に向けて使用することは、小学生じゃないんだから滅多にないので、きっと大丈夫だ。
おわり
【天狼院書店へのお問い合わせ】
TEL:03-6914-3618
【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をして頂くだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。イベントの参加申し込みもこちらが便利です。
【天狼院のメルマガのご登録はこちらから】
【有料メルマガのご登録はこちらから】