「気づかれない」という戦い
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:さとう(ライティング・ゼミ平日コース)
女性が髪を切るというのは、大事件だ。
慣れ親しんだ髪型を変えることは、
かなりのリスクを伴う。
メイクなら少し気に入らなければ落として終わりだが、
髪型、例えば髪の長さは、伸びるまで一定期間、そのままになってしまう。
後悔先に立たず。どうしようもできないのだ。
つまり、髪の毛を切ることは相当リスクを伴う行為なのだが、
私は訳あって、自分の手で髪の毛を切る必要があった。
……そう、髪が伸びるのが早いのだ。
本来、髪の毛が伸びる速度に大きな個人差はないのだが、
それでも伸びたように感じるのは、髪の毛の量によるところが大きいらしい。
髪の毛は毛穴から生えているが、髪の毛が多い人は、
1つの毛穴から髪の毛が2〜3本など、複数生えてきている。
また健康な髪の毛という証拠でもあるが、
髪の毛が太く硬いほどボリュームは出やすい。
これらの原因から、髪の毛が生える密度が高いほど、
髪一本一本が伸びたときの変化が大きく、
髪が伸びるのが早いと感じてしまうそうなのだ。
私の場合、顔まわりの髪の毛が特に多く、
一ヶ月に一度カットしないと、まとまりがつかなくなって大変なことになる。
ただ、こまめに美容室へ通うのはお金もかかる。
そこで安易に考えた。
「前髪だけ自分で切ろう!」と。
それが地獄の始まりだとも知らずに……。
前髪を切るというのは、割とポピュラーな行為だと思う。
その気になれば家庭用ハサミで行うこともできるし、
YouTubeを検索すれば、
「誰でも簡単にできる前髪の切り方」
といった動画を見つけることができる。
初心者にもハードルが低い。
私も動画を見て、その通りに前髪を切った。
ピン留めなどで髪の毛をブロック分けして、
毛束を少し取り、毛先に対してハサミを縦方向に入れて、少しずつ切っていく。
鏡を確認し、ある程度の分量が切れたところで終了。
……完璧だ。
そして翌日、満を持して出社すると、
言われてしまったのだ……。
「あれ?さとうさん、前髪切った?」
ちなみにこの時の「?」のニュアンスだが、
「あれ?さとうさん、前髪切った?笑」
が正しい。即ばれている。
……これは、あれだ。指摘されない方がいいやつだ。
この言葉は、周囲が私の前髪に対して、
昨日までの状態とは異なると言う「違和感」を感じたから生まれたのである。
前髪カットをした私を例えるなら、女スパイみたいなもの。
スパイは映画などで
ド派手な銃撃戦とアクションを繰り広げるイメージがあるが、
情報を入手する諜報員という側面を考えれば
本来は誰の印象にも残らないような人が望ましいに決まっている。
スパイは、自身が誰かの印象に残ったり、
疑念を持たれたりすることを、全力で避けなければならない。
今回の出来事をスパイ的に言うなら、大失敗だ。
前髪カットで目指すのは、周囲からなんの違和感も抱かれないこと。
むしろ、切ったことを気づかれないようにすることなので、
もしこれが勝負としたら、残念ながら負けなのだ。
自分でも薄々気づいていたのだが、私の前髪はいつも、
こけしのような、見事なパッツン前髪になってしまっていた。
そして切るたびに、前髪を切ったことを指摘されてしまう、
連戦連敗の日々。
そこで自称スパイは考える。
動画に映っていたお姉さんは、切った後も自然な前髪だったのに、
私だけがなぜうまくいかないのか……。
動画の解説では語られていない秘訣が、
映像の中に隠されているのではないか……。
そして動画を繰り返し見る中で、
スパイはあることに気づく。
……あれ、お姉さんの髪の量、少なくね?
お姉さんの前髪は、今はやりの薄めの前髪で、
シースルーバングと呼ばれるやつだ。
芸能人で言えば、田中みな実や石原さとみみたいな感じだ。
対して、私の方はこけし。前髪の厚さが圧倒的に違う。
少なく見積もっても、2倍は違う。
これでは前髪の厚さに埋もれてしまって、
切り方を多少工夫したくらいでは
毛先に段差が生まれず、まっ平らな印象を与えてしまう……!
スパイは運命(という名の毛量格差)にちょっとだけ挫折したが、
気を取り直して考えた。
「奥の手だが、あのアイテムを使おう……」
早速インターネットを検索して、Amazonをポチる。
世の中、やはり金が物を言うのだ。
さて購入したのは、プロの美容師も使用する有名日本ブランド
「富士山シザー」の2本セットのハサミ。
その内1本は、すきバサミである。
そう、素人でも簡単に毛先を軽くできるアイテムとして、
私は、すきバサミを入手したのだ。
皆さんは「スキ率」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
これは、ハサミでつかんだ髪の毛のうち、
一回の開閉で切れる分量の割合を指す。
(スキ率が50%であれば、約半数の髪の毛が切れることになる。)
このスキ率が高いほど、一回あたりに切れる髪の分量は増えるが、
その反面切りすぎてしまうリスクが高まる。
百均など安価なすきバサミは、プロが使用する高価なハサミと比べて
すき率が高い(多く切り過ぎてしまう)傾向がある。
初心者はスキ率15〜20%がおすすめと言われるので、
高価なハサミを使う方が、自ずと失敗する確率が減るのだ。
さて結論から言うと、このハサミで前髪を切るようになってから、
ぐっと失敗が減った。
(プロ用のハサミは、通常のはさみとも持ち方が異なるなどの違いはあるが、
慣れればそこまで問題ない。)
切れ味が鋭く、刃先で少しずつ髪を切ることができるので、
思い通りの長さにすることも簡単だし、
すきバサミを入れれば毛先に軽く段を作ることができ、
とても自然な仕上がりになるのだ。
強力な武器を手に入れたスパイは、今日もその日の気分で前髪を切り、
職場に出社する。
一人一人の顔を見て挨拶をして、そのまま無言で席に着く。
パソコンを起動している間、落ち着き払ったように見せているが、
内心ほくそ笑んでいる。
今日も気づかれない戦いに勝利した、と。
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