メディアグランプリ

捨てたら豊かになった話


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:片山峻(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
持っているのは誇り、もとい埃。
盛大に湧き上がるのは拍手ではなく、クシャミ。
 
3月も終わりに差し掛かり、新しい年度も迫ってくるこの季節に、なぜか部屋の掃除をしている。
 
きっかけはなんでもないことだった。
仲間うちで引っ越しを控えている友人がいたのだ。
彼は引っ越しが佳境を迎えていた。
いろんなものを捨てた、断捨離したと語った。
 
私が気になったのはその話の内容ではない。内容なんか正直どうでもいい。
私が気になったのは彼の表情だ。
なんというか、とても晴れやかとしているのだ。
 
彼の表情を変えた理由はなんだろう。気になっているうちに他の誰かが言った。
「新しい年度も始まるし、3月は自分たちも部屋の整理や掃除をみんなでやろう」
その表情に至る理由を知りたくて、私もそれに賛成した。
 
一人暮らし向けのマンションに私は住んでいる。
基本的に「家は寝に帰る場所」なのだ。それ以上でも以下でもない。
そんな人でもちゃんと部屋を綺麗にしている方はたくさんいらっしゃるだろう。
 
でも私は残念ながらそっち側ではなかった。
「家は寝に帰る場所」という認識は私の部屋の荒廃を大変スムーズかつスピーディーにしていたのだ。
 
いざ仲間と部屋の整理と掃除をやろう、と意気込んで帰ってきた私は、自分の部屋を見て出たのはただため息だけであった。
 
とりあえず目につくところから始めてみると、出るわ出るわ。
買って読み終えてもう目にすることはないであろう書籍。
読み終えたならまだいい方で、買っておそらく序盤で力尽きて読むのをやめた書籍。
逆に再生する方が現代では難しいMD。
 
どうしてこんなものが出てくるのか。出る答えは一つだ。
「お前(自分)が買ったからだ。 」
 
私は悲しくなった。
なんでこんなものを後生大事に取っていたのだろう。
言い訳が聞こえてくる。
「後で使うかもしれないから。 」
 
では聞くが、その「後」が来たことがあっただろうか?
答えはノーだ。
広島の田舎から大学進学を機に一人暮らしを始めてもう15年も経つ。
にも関わらずそんなシーン今まで一回も発生したことがない。
 
そんな気持ちと共にMDをすべてゴミ袋へ放り込んだ。南無。
 
ある日を境に私はテレビを見るのを辞めた。歪んだ報道に絶望したとカッコつけて言いたいのだが、理由は今となっては懐かしい地デジ化の波に乗り遅れただけである。
そんな見るのを辞めたテレビは今どうしているかと言うと、今も部屋の一角に陣取り一隅を蛍光灯の光の反射で照らしている。ちょっと埃でくすんだ光で。
 
こいつについては後日回収業者に来てもらうことになっている。リサイクル。
 
多くの人と相対することが多いので、地味に幅をきかせるのが「人の名刺」だ。
今はSNSが発達しているし、別に捨てたってバレないのだが、そこはなんとなく気が引けたので、まとめて引き出しの奥にしまってある。人情の歪んだ表れというべきか。
 
今のところ整理や掃除を行ったところで、気分はちっとも晴れやかになっていない。
 
でもこれを数日続けていると、ふと気付いたのだ。
この部屋の整理や掃除という行為についである。
これは自分の過去と相見え、おさらばする行為とイコールだと。
 
一番分かりやすいのが書籍だった。
この本を買った時自分はどういう状況だったのか思いを過去へ遡らせてみた。
きっとこういうことに困っていて、解決方法を知りたくてこの書籍を買ったのだろうということ。
 
他へ転職するか、それとも独立するか。悩んだ時期に買った書籍。キャリアや自己啓発系のテーマの書籍が多いのがそれを物語る。
 
はじめての仕事に挑むにあたって、知っておこうと思って買った書籍。
Web制作やWebマーケティングに関する書籍が多いのがそれを証明する。
 
自分の現在の仕事領域に関する書籍を捨てずにとっておくことにしているのもある種同じ現象だろう。まだ勉強したいという意欲や情熱が残っているからだ。
 
そしてこの過去の悩みや自分を象徴する書籍をはじめモノを整理し捨てる行為は、過去の自分を認め、清算し、手放すことと同義だ。
それは今の自分と未来の自分をより良くするための「余白を作る行為」なのかもしれない。
 
そうすると不思議なことに、今の気持ちはちょっとずつ清々しくなってきた。
まだやるべき整理や掃除は山ほどあるけれど、少なくとも心の奥底にあった澱みみたいなものがそぎ落とされた感覚を覚えたのである。
 
溜め込むことは人を幸せにしない。
溜め込むことはある種物質的には豊かに見えるかもしれないけれど、別の面では澱みや停滞を生む。そうすると新しく必要なモノやコトを入れることができない。
 
それはある意味では、チャンスを逃してしまう。
何かを掴むには何かを手放さないといけない。
過去を乗り越えて未来を描くチャンスをフイにするのかもしれない。
 
かつて物持ちは豊かである証拠だったけど、今はどうやら違うらしい。
捨てたら豊かになるのだ。
執着を捨てら新しい何かを得るきっかけになるのだ。
 
そう思えば、こんな埃も苦ではない。クシャミだって気にならない。
整理や掃除はある意味立派な清算もとい生産活動なのかもしれない。
 
と言い聞かせながら、今日も頑張って整理や掃除に勤しんでいる。
 
 
 
 
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2020-03-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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