藁が土に還るとき
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:瓜生とも子(ライティング・ゼミ特講)
あの頃のように、ちゃんと受け取ろう。
エンジン音にワクワクしながら、手を伸ばしかけたのに。
出てこなかった。
それは無残に切り刻まれ、目の前で飛び散った。
父のことを疎み始めたのは中学生の頃。農機具メーカーに勤め、朝晩と週末は田畑を耕す兼業農家。バブルに向かっていた80年代、常に泥にまみれた父親の姿は時代遅れだった。
寝坊した朝、軽トラに自転車を積んで送ってもらっても、わざわざ学校から少し離れたところで降りた。同級生に見られたくなかったからだ。
それまでは父の稲刈りの手伝いもしていた。高知の稲刈りの時期はとても早く、お盆までには終わらせる。ちょうど夏休みの私たち兄妹も駆り出された。
父の運転する稲刈り機から、束になった稲が次々と出て来る。その束を受け取って、広げて干すのが私たち子供の役割だった。
干した後に使うのは米粒だけではない。藁も、農家の生活には欠かせないものだった。畑に敷き詰めたり、採れた野菜を洗うときのたわし代わりにしたり、干し柿を吊るしたり。大部分は縄にする。秋から冬にかけて、庭先に座り込んで縄をなう父の姿があった。
そんな家の暮らしが、嫌で嫌でたまらなかった。
何で農家なんかに生まれたんだろう。スーツとネクタイで仕事して、乗用車に乗ってるお父さんがよかったのに。
中学に入ってからは手伝えと言われても、理由をつけて逃げるようになった。兄も妹もだんだん手伝わなくなり、ひとりふたりと実家を出ていった。
農家の娘という現実に背を向けた私は、アートや音楽や文学に逃避した。文学では大江健三郎に夢中になった。後にノーベル文学賞受賞するこの大作家が、愛媛の田舎の出身で、昭和10年生まれということに愕然とした。父と同じではないか。同じ四国で、同じ昭和10年で、こんなにも知的で立派な人もいるのか。
ああ、自分の父親が農家なんかじゃなくて、インテリの作家だったら。
大江健三郎の講演会が開かれたときは、いそいそと出かけた。本にサインをもらおうと、控え室に押しかけた。
文学にうつつを抜かし、遠く離れた土地で暮らしながらも、実家から米はちゃっかり送ってもらった。
1993年、記録的な冷夏で日本中が米不足に陥った。スーパーの棚から米が消え、海外から緊急輸入もされた。私はいつも通り実家の米を食べ、困っている人たちにおすそわけもした。そのときに米の値段を初めて知り、びっくりした。
この後も色々あり、それまで全く関心のなかった「食」の分野に目覚めた私は、仕事で料理の現場にも関わるようになった。痛感したのは、素材の大切さ。良い素材は、豊かな自然と農業があってこそ。
かつて憧れた「スーツとネクタイで仕事をする人」や「インテリ作家」に負けないくらい、私の父はすごい人なのではないか。
いつの間にか私は、人に尋ねられると「実家は四国の田舎で、父は稲作農家です」と誇らしげに答えるようになっていた。
今さらだけど、何か貢献したい。農業と父に。そんな思いが沸々とわきあがった。
ある夏、帰省して父の稲刈りを手伝うと言い出した私に、母は苦笑した。
「ホンマにやるかね? しんどいぞね?」
手伝いをやめてから15年が過ぎていた。
父は何も言わなかった。私は生まれて初めてワクワクしながら身支度をし、父についていった。肌が藁にさされてチクチクかゆいので、炎天下でも長袖で、首にタオルを巻きつける。
数年前に買い換えたという稲刈り機を初めて見た。父が乗り込み、エンジンをかけた。傍らで、なつかしい稲の束が出てくるのを待った。いつでも来い。受けてやる。
束は、出てこなかった。
目の前で、粉々に舞い散っていく、何かが見えた。
藁だ。藁が、細かく切り刻まれて、地面に落ちていく。
その光景が、少しずつにじんでいった。
この新しい機械は、刈り取った稲から米の部分のみを収穫し、藁を即座に粉砕する機械だった。
藁つきの稲を干す若い者はもういない。ひとりでも作業を続けられるように、父はなけなしのお金をつぎ込んで、新しい機械を買ったのだ。そうやって収穫した米を、都会に住む私たちに、せっせと送ってくれていたのだ。
父の手伝いを15年前に拒絶したのは、ほかならぬ私自身だ。大人になってちょっと分かった気になったからって、出る幕じゃない。
新しい機械は淡々と袋に米を詰めた。30キロの米袋を運ぼうとしてよろけ、慣れた父に助けられる。情けなさと、ショックと、暑さで、私は早々に参って地べたに座り込んだ。
作業を終えた父は保冷バッグから缶を2本取り出して私に差し出し、自分も開けた。
「うまいか」
「うん、うまい」
よく冷えたビール。それまで飲んだどのビールよりも美味しく、どのビールよりも苦かった。
それからも私は都会に住み続け、父はひとりで米を作り続ける。
藁は稲刈りのたびに切り刻まれる。消えて無くなるわけではない。地面に落ち、土に還る。その土からは、新しい何かが芽吹く。
私は農家にはならなかったが、父から学んだことを、自分なりに受け止め、表現する。例えばこういうかたちで、文字にだってできる。
そういえばサインをもらったとき、憧れの大江健三郎は笑顔でこう言ったのだった。
「こんな若いお嬢さんが読んでくれてうれしい。僕の娘は大学で国文学を専攻しているのに、父親の作品は全然読んでくれない」
私がもし作家の娘だったら、親の作品を愛読していたかどうか。それは分からない。
確実に言えるのは、誰の娘に生まれても、米は絶対食べていただろうということだ。
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