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「一病」こそが健康へのアンテナ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ひろり(ライティング・ゼミ特講)
 
 
僕は「無病息災」より「一病息災」という言葉のほうが好きだ。
 
「無病」で「息災」な事は本当に良いことだけど、人生そこそこ生きてきた中で、「無病」であることのありえなさというか、あくまで「理想」でしかないよね、というある種の「あきらめ」みたいな気持ちがある。
 
どうしてそう思うようになったかというと、父の影響がある。
 
父は今から13年程前に他界した。
 
船乗りをしていた父は、若い頃は1年の半分以上を航海していて家を空けていた。
任期が終り、休暇を貰った父は数ヶ月を家でのんびり過ごし、また航海のために
出かけていく。僕が子供の頃は毎年その様にしていた。
 
船乗りは重労働だ。ずっと船に乗り何ヶ月も航海しながら、仕事をしていく。
屈強な男たちに混じり仕事をしていた父もご多分に漏れず非常に逞しい人だった。
 
子供の頃はガキ大将で、近所でケンカ負けなしの暴れん坊だったらしい。
高校では水泳と柔道を掛け持ちし、水泳では10kmの遠泳をこなし、
柔道でも結構良いところまで行ったという話も聞いた。
 
身体ががっしりと分厚く、腕は丸太のように太かった。
小学生高学年の僕を軽々と持ち上げ、プールにポーンと放り込むといった芸当を簡単にしてしまうようなパワフルな人だった。
 
酒もガンガン飲むし、タバコもスパスパ吸う。
具合が悪いとか、風邪を引いたという話を全く聞いたことが無い。
二日酔いとかはあったかもしれないが、病気らしい病気をしたのを見たことがない。
本当に「無病息災」を絵に書いた様な人だった。
 
僕はと言えば、その父の暴れん坊将軍の様な力強さは遺伝せず、病弱ではないが
そんなに体力も腕力も無く、小さい頃は気の弱さから良くいじめられたりした。
泣いて帰った日には「仕返ししてこい!」と父にどやされたが、仕返しできるくらいなら最初からいじめられないとイジケたものである。
 
そんな「とびっきり強い男」だった父も定年を機に家にずっと居るようになった。
流石に年を取り、少し酒に弱くなったかな?と家族に思われ始めた頃に、突然病に冒された。
 
久しぶりに会った父に「俺痩せただろ? 最近、胃が痛いんだよな……」と相談された。
見ると、いつもガッシリしていた身体が一回り小さくなったような気がした。
 
あまりに急激に痩せていたので、母に「ほんとにただの胃痛?」と問い質したが、町の病院で胃痛と診察されたので間違い無いだろう、ということだった。
 
しかし、その診断は全くの間違いだった。
 
父は、「膵臓ガン」だった。
 
それも、「ステージ4」だった。
 
都会の大きな病院で診察してもらい、家族全員でお医者さんから「既に手術ができる状態ではない」という話も聞いた。膵臓にできた腫瘍は、既に他の臓器に転移してしまっていて、とても取り除ける状態では無いという診断だった。
 
僕は頭が真っ白になった。
 
母は泣き崩れた。
 
家族全員、「まさか父さんが……」という気持ちで一杯だった。
 
あれだけ好き勝手に飲み食いし、自分の健康に絶対の自信を持っていた父が、
よりにもよってガンに、それも「ガンの王様」の別名を持つ膵臓ガンに罹ってしまうとは。
 
外科手術による腫瘍の除去ができないため、治療は抗がん剤のみとなった。
放射線治療も、先進医療もガンが出来た箇所があまりに複雑なため、施すことができないという話だった。
 
治療の方針が一通り決定してから、家族で何とかガンを治す方法を模索した。
ガンを治す気功を使える人が居ると言うことを知ったら車で父を連れていき、
がん細胞を弱める効果が期待できるウェアがあると知ったら多少高価でも買ったりした。
 
父は狼狽える僕らを叱ったが、少しでも元気になる手段があるのなら、やらない手はないと東奔西走した。僕たち家族は荒波に揉まれる木っ端にように、右へ左へ流され、もがいた。
 
でも、結局父は助からなかった。
 
ガンと診断されてたった3ヶ月で父は帰らぬ人になった。
 
もっとしてあげられた事は無かったか、ちゃんと話ができたか、僕にも、家族にも、後悔が残った。
 
葬儀も終り、ひとしきり落ち着いてから、僕は母と話した。
 
あれだけ元気だった父が、どうしてこんな早く逝ってしまったのだろう…… と。
 
母が言うには、もともとずっと元気だったので、意地を張ってなかなか病院に行かなかったらしい。それで、いよいよ我慢できなくなったので、病院に行ったとのこと。
 
その話を聞いて、僕は思った。
 
「無病息災」より「一病息災」の方が大事なのではないか、と。
 
「一病息災」は一つぐらい持病があったほうが、かえって健康に気をつけて、長生きできるという意味だ。
 
はっきり言って父は自分の健康を過信していた。そのせいで病気の発見が遅れてしまい、結局手遅れになってしまった。
 
もし、父が自分の健康について、少しでも気を配っていたら、もしかしたら違う結果に繋がったかもしれない。
 
たまたま別の理由で病院に行ったら大きな病気が見つかって、早めに処置できたので命拾いした……という話もよく聞く。父もそうだったら良かったのに、とその時は強く思った。
 
もちろん「無病」であることが一番良い事であることに変わりはない。
でも、それに過信してしまうといざ病気になった時に父のように手遅れになりかねない。
 
なので、仮に「一病」持っていたとしても、その「一病」がアンテナになり、より健康に過ごせるのなら、そっちの方が良いと思えるようになった。
 
父がいなくなってしまった事は悲しいが、最後に大切なことを教えてくれた事に感謝した。
ありがとう、父さん。仏壇に手を合わせ、僕はそう思った。
 
父が身をもって教えてくれた事を、これからも大切にしていきたいと思い、
毎年正月の初詣では、「無病息災」と一緒に「一病息災」もお願いすることにしている。
 
『無病は理想。でも現実は「一病」。それでもみんなが元気に過ごせますように。』
 
 
 
 
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2020-04-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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