記憶を失ったことがある
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:きさらぎ満月(ライティング・ゼミ平日コース)
その時の記憶が突然よみがえったのは、小学6年生のときだった。
教室での休み時間、友達と遊んでいるときに、頭の中に浮かんできた場面。こんなことがあった気がする、というぼんやりとした確信。記憶の内容は衝撃的だったが、それよりも、記憶を失うという現象が、フィクションではなく現実に存在する、ということのほうが驚きだった。
場面は横浜市。熊本出身の両親は、駆け落ちじみた結婚をして横浜に流れ、そこで私は生まれた。8歳のときに一家で熊本に戻るのだが、ということは、この体験は8歳より前ということになる。
いや、たかし君が出てくるので、小学校に上がる前ではないか。たかし君は、当時の母の友人の息子さんだ。近所に住んでおり、親子でよく遊びに行っていた。
小学校に上がってからは、クラスメイトの女子の家に遊びに行っていたはずだ。また、私が5歳のときに生まれた弟も登場しない。推測が正しければ、この記憶は5歳より前になる。
その日、私は一人でたかし君の家に遊びに行った。いくらのんびりした昭和50年代でも、5歳より前の幼児がなぜ一人で出かけたのかはわからない。
たかし君はアパートの2階に住んでいた。昭和50年代にはよくあったタイプの、鉄の外階段と外廊下が付いているアパート。たかし君の一家はそれほど裕福ではなかったのだろう。それをいえば、六畳二間の借家に住んでいたうちも同じだ。
アパートにたかし君を訪ねていくと、お母さんが出てきた。たかし君は不在だが、すぐ戻るという。私はたかし君の部屋の前の外廊下で、彼の帰宅をを待つことにした。
と、隣の部屋のドアが開いた。
隣に住んでいたのは、高校生くらいのおにいさんとその母親だった。ときどき見かけることがあるそのおにいさんがドアを開け、ちょっとおいで、と私を呼んだ。
たかし君を待ってるのに。
そういうと、ちょっとだけだから、とおにいさんは部屋に入るよう私を促した。
高校生でも私にとっては大人に見えた。大人がいうことには従う素直な子供だった私は、たかし君のことが気になりながらも中に入った。なにも疑わなかった。
高校生の部屋には母親はおらず、二人きりだった。私は下着を脱がされ、床に寝かされた。
不可解な行為だが、大人の言うことなので従った。その上におにいさんがのしかかってきた。そして、口に口を付けられ舌を入れられた。
この行為はいわゆるキスなのだが、このときの私はキスという行為を知らない。今でも、これを「キス」と呼ぶことに抵抗がある。そのときは、人の口の中は苦いんだな、と思った。
股間に何かを押し当てられた。おにいさんが耳元で
「今日はうまくいかないな」
と言った。
思うに押し当てられたのは彼のペニスであり、このとき彼は十分に勃起しなかったのだろう。そして、幼女を相手にその言い訳をしている。今日はたまたまうまくいっていないが、いつもはもっとうまくいくのだ、と。滑稽だ。
そして、帰っていいよ、と言われた。
「このことは誰にも言っちゃいけないよ。お母さんにも言っちゃいけないよ」
この言葉を聞いて急に怖くなった。
ここまでは、大人の言うことに従っているだけで、その行為はなんの意味も持たなかった。
しかし、お母さんに言ってはいけない、と言われた途端、それは「悪いこと」に違いない、と気がついた。私が恐れたのはおにいさんではなく、自分がしでかしてしまったであろう罪だった。
私はお母さんに言っちゃいけない悪いことをしたんだ。
小雨の降る中、竹藪に囲まれた道を走って家に帰った。
そして母に全部告白した。
次に覚えているのは、私の家のシーン。
当時は六畳二間の二軒長屋に親子3人で住んでいた。夜、うちの玄関先に、おにいさんとその母親が呼びつけられていた。私の父が激怒している。私は怖くて、コタツに頭まで潜っている。
お客さんが来たときにコタツに潜っているのは行儀が悪いこと。母が「出てきなさい」と言ったが、おにいさんと母親を怒鳴りつけている最中の父が「出てこなくていい!」と言葉を投げつけた。
私が怖がっていたのは、おにいさんに誰にも言うなと言われたのに言いつけを破ってしまったから、そして父がこれほど怒るようなことをしてしまったから。約束を破ったことをおにいさんが怒っているはずなのに、彼をうちに呼んだことがとても嫌だったし、父の怒りも(おにいさんに向けると同時に)悪いことをしてしまった私に向けられていると思っていた。
ここで記憶は終わりだ。
この記憶が事実だとしたら、私は非常にラッキーだったのだろう。行為は未遂に終わっている。行為の意味がわからなかったので、その最中に恐怖を感じることはなかった。無抵抗だったからか、暴力的な扱いを受けることもなかった。
性についての概念を理解する前の事件であったからか、その後、性に嫌悪感を抱くこともなかった。
加害者が母親と二人で私のうちに来ていたということは、母子家庭であったのだろう。父はそこに同情したのか、それとも当時は幼女のへの性犯罪がそれほどメジャーに取り扱われていなかったからか、この件は説教だけで終わったと思われる。
この件を犯罪として告発すべきだったと思うが、それよりも気になるのは、私が、自分を被害者ではなく共犯者であると思っており、父の怒りは私に向けられていると感じていたことだ。
この記憶が数年間消えていた、ということは、私は、かなりの恐怖を感じていたに違いない。記憶の中の母は体裁を取り繕おうとしており、父は怒りを加害者にぶつけている。一方、私が両親になぐさめられた記憶はない。
私は、おにいさんと父と、二人から憎まれていると思い恐れたが、そのことを誰も理解していなかった。
子供の恐怖を根源を誰も理解していない。これ自体が恐怖だ。
身内が性犯罪被害に遭ったと知ったら、誰もが怒りに駆られるに違いない。
しかし、自らの怒りを処理するよりも前に、当事者本人の気持ちをケアしてあげてほしい。たとえ幼児であり事態の意味はわからなくても、あなたの怒りを察知し、その怒りに恐怖を感じているかもしれないから。
この記憶が本当に起こったことなのか、いまだに親に聞けないでいる。
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