父の覚醒
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:三谷 智子(ライティング・ゼミ通信限定コース)
私の父は、会社員だ。私の子供のころの、父の印象は薄い。あまり接点がなかったからだ。
父は、夜の10時ごろに帰宅していた。そこから独りでご飯を食べる。
週末は遅くまで寝ているか、ゴルフへ出かける。子供のころ、父と会話をした印象が、あまりない。ときどきしか話せなかった。たまに話す父は、とても優しかった。
当時、母はよくこうボヤいていた。「お父さんは、いざって時にいない」、「肝心なところで逃げる」、「結局決めるのはお母さんじゃない」
年を経るにつれ、私の中の父親像も、母のこの言葉通りとなっていった。
ある日、母の病気が分かった。母も含め、家族全員が慌てふためいた。
私は病院で働く、薬剤師となっていた。母の病気の確定診断、および治療を、私の勤める病院にてすることになった。
母の病気の詳細について、父と私で医師から説明を受けた。頭では、病気を理解できる。でも患者は母だ。気持ちがついていかなかった。とても怖かった。
母の治療方針に同意するしか道はない。でも、同意する重みが、怖かった。
そんな最中、父のすごさを知った。繰り返すが、父は会社員だ。医療とは全く関係ない業種だ。医療用語で溢れる説明を聞いても、父はたじろぎもせず、力みもしていないように見えた。医療を知っているからこそ、父の姿勢のすごさをより感じることができた。
うちの父、こんなにすごかったっけ。認識を変えた瞬間だった。
後に聞いた話だが、母の診断を告げられ、もちろん相当なショックを受けていたそうだ。でも私が見たのは、涙ひとつ見せず、気丈に聞いている姿だった。
予後について、母へどう説明するか。病気について、なんて言うか。
私は戸惑うばかりだった。患者さんなら、こうすれば良いと思い当たることもある。でも本当に、全員に当てはまる答えはない。正解はない。
父は父なりに懸命に考え、考え抜いて、母に伝えていた。事実を捻じ曲げるでもない。ありのままに。母の気持ちにしっかり寄り添って、伝えていた。どこにも、逃げる父の姿はなかった。
母の病気は重かった。これ以上の治療も、打つ手はない。医師よりそう告げられる日がきた。
そう医師から伝えられたとき、父の医療への非常識に、私は救われた。
「今は打つ手がない、かもしれない。でもこれからAIが発達して、目まぐるしく医療も進む。すると次の治療が出て来るかもしれない。それは明日かもしれない。
そんな明日に向けて、治療を受けられる身体を保っておこう。とにかく栄養つけて、その日を待とう」
この段階でも、父は次なる希望を見いだせるのか。なんと強いのだろうと思った。医療者からみれば、非常識とも思える発想だった。でも娘の私には、拠り所となる考え方だった。希望を持てることは、パワーになった。
もちろん、父も母も、これ以上治療はないと告げられたとき、死への覚悟はしていた。それが分からないほどの、無知ではない、と後に父は言っていた。自分たちの両親含め、死を見送ってきたからこそ、粛々と受け止めたそうだ。
残された日々を、どんな思いで歩んでいくのか。父は家族を鼓舞していた。
母は自分が病気となったことで、気弱になっていた。自分で決断することへの、迷いも出ていた。そんなとき、母の気持ちを補うべく、父が立ち上がった。父は時には母を励まし、時には寄り添い、生きる気力を伝えていた。
母が亡くなり、私たち兄弟みんなが精神的なダメージを受けた。
特に、ダメージが大きかったのが私だ。母の看病、死、日々の生活の中での歯車のずれ、色んなものが重なった。結果、ご飯を食べられなくなった。眠れなくなった。目の前にご飯があっても、お腹が鳴っても、食べられなかった。気力って大切だな。まるで他人事のように、食べ物を眺めるだけの日々が続いた。実際に全く食べられなかったのは、2日だけ。3日目にはお腹が空いて、少し食べた。
ここで、またまた父がすごかった。
「食べるということは、生きるということだ。明日は、今日よりも良くなると信じているから、生きようとするんだ。明日が不幸せになると思っているなら、生きなければいい。食べようと気力が湧いたのは、幸せになると、心のどこかで信じてるからだ。しっかり食べて、寝る。それだけで十分だから」
私の心に突き刺さる、父の言葉だった。
それから私は、無理にでも口の中に放り込んだ。寝ようとした。生きようと思った。
少しも思ってなかったけど。心の奥底では、私は自分の幸せ信じてるんだ。どうもそうらしい。呪文のように、自分へ言い聞かせていた。
父から言わせれば、私が幼い頃からの父と、現在の父に、なんら変化はないのかもしれない。
でも私の中で、父の認識は大きく変わった。そんじょそこらにいない、もの凄く頼りになる人となった。
こんなすごい人が、身近にいたとは思わなかった。今後も父から、たくさん学びたいと思う。
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