メディアグランプリ

生まれる前から私を守ってくれた存在。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:飯島幸恵(ライティング・ゼミ通信限定コース)

 
 

ドスン! ガタガタガタガタ……。

 

マグニチュード7.3、震度6強の鳥取県西部を震源とした地震が起こったのは2000年10月6日午後13時30分だった。
大きな縦揺れの後に激しい横揺れ。体感的には3分ぐらい揺れていた様な感じだった。
この日は私にとって一生涯忘れられない日となった。
 

陣痛が5分おきにやってくるようになって入院したのは5日の朝の5時半。
初めての出産で予定日を8日も過ぎてやっと陣痛がはじまった。
幾度となく襲いかかる陣痛も間隔が長くなったり短くなったり、痛みも強かったり弱かったりを繰り返し、なんかダラダラした感じだった。いつになったら分娩室に行けるのだろう? いつまでこんな苦しい思いをしなければいけないのか。悶々としながら時間は過ぎていく。
夜の9時ごろやっと出産へ繋がりそうな激しい陣痛がやってきて分娩室へ入った。
分娩台に横たわっていると痛みのたびに体中の水分が頭から顔から滝のように吹き出し、いくら水分をとっても足りないくらいだった。しかし、この先がまた長かった。
長時間分娩台で足を開いたまま横になっているため腰が痛いのと、お腹が痛いのと、喉が渇いて仕方がないのと、いろんな痛みがごっちゃになって頭がおかしくなりそうだった。
ほんとにいい加減出てきてよ! って叫びたくなる衝動に駆られるほど激しい気持ちになることが幾度となくあった。しんどすぎて、お願いだからお腹切って取り出して! って何度も思った。
後から入ってきた妊婦さんに先を越された。焦る。お願い、はやく出てきて。
お腹の中がよほど居心地がいいのか、出てこようという意志がまるでないように感じる。
結局、人工的に破水してからも産道から動こうとしない赤ん坊を無理やり下ろすべく看護師さんが分娩台の上に登り、いきむときの呼吸に合わせて私のお腹を押すというスタイルになった。
3度か4度目かのいきみでやっとお腹の奥から大きな塊がぬるっと出てきた。
日付が変わった6日の午前2時50分、女の子だった。
 

なんか想像してたのと随分と違ったけど、やっと生まれた……。
こんなこと言っちゃあ何だけど、すんごいひどい便秘をして一瞬にしてお腹の中のうんこがスル〜っと出た感じだった。やっと出た〜! あ〜〜っスッキリしたぁ! と心のなかで叫んでいた。
だけど看護師さんの手にいた赤ん坊の泣き声は聞こえなかった。
なんで泣かないの……。生きてるよね。
看護師さんが赤ちゃんを逆さにしてお尻をなでている。
ほどなくして「ゲロゲロ、ゲロゲロ」と蛙の鳴くような声が聞こえた。
あれ? オギャ〜! じゃないの? 羊水が喉に溜まってうまく声が出なかったようで、看護師さんが慌てて管で羊水を取ってくれたけれどあまりにも蛙そっくりに泣くので入院からここに至るまでがなんだか滑稽に見えて可笑しかった。
やっと会えたね。良かった、無事に生まれてくれて。私の横に来た娘の小さな握りこぶしをそっと掴んだ。今まで感じたことのない大きな責任感が心のなかに生まれた瞬間だった。
 

産後の処置が終わって数時間後に病室へ戻った。とたんに疲れが襲ってきて短時間でぐっすり寝た。昼頃に義母が様子を見に来てくれて、分娩室であったことを一通り話した。じゃあそろそろ帰るわ、と言ったその直後だった。

ドン! 大きな音とともにつきあげるような揺れ。立っていられないほどの衝撃がおそった。
何が起こったのか理解するのに数秒かかった。ベッドにしがみついた。
義母も私も顔面蒼白になり、しばらく口が聞けなかった。
やっと気持ちが落ち着いてきた義母の第一声は、赤ちゃんを連れて家に帰ろう! 今すぐ! 私は慌てる義母を見ながら妙に冷静になり、お義母さん、無理だから、私動けないし。赤ちゃんは看護師さんたちが守ってくれてると思うから大丈夫。それより家に帰って様子を見てきたほうがいいと思うよ。帰るのならその後。と心配する義母にとりあえず家に帰ってもらった。
この後一週間ほど余震が続いたので、夫は病室に泊まってくれた。
3日目からは娘と同室になり、母親一年生として慣れない手付きでお世話をするようになった。
難産を乗り越えたからか、地震のお陰か、腹が座ってしまったようで余震があっても冷静に対処できている自分に驚いた。
 

あれから20年。
あの日の出来事を思い返す度に、あの日、あの時間に生まれてきてくれなかったらと思うと今でもゾッとする。
もし予定日に生まれていたら、退院後の地震で乳飲み子を抱えて毎日恐怖を感じながら心細い思いをしたのではないだろうか。
もし地震の後に陣痛が来たら、病院が大変な中で余震の恐怖におののきながら出産をしたのではないだろうか。
生まれてすぐに地震が起きたことで、余震が続いた一週間は安全な病室でさほど怖がることなく快適に過ごすことができた。上げ膳据え膳で食事の心配をしなくていい。何かが倒れたり壊れたりする心配もしなくていい。不思議と守られているという安心感で落ち着いていた。
もしかして、こうなることがわかってて予定日を8日も過ぎてもなかなか出てきてくれなかったのかな。
娘よ、生まれた時、うんこみたいだと言ったのはごめん。絶妙なタイミングで素晴らしい運を運んできてくれたあなたはひょっとしたら未来から私を守るためにやってきてくれた使者なのかもしれないね。
 
 
 
 

***
 
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2020-04-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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