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毒親クエスト


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:大和田絵美(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「まったく毎日毎日友達と遊んでばかりいて。一体いつになったら、私と遊んでくれるの」
部屋のドアがノックもされずに開き、シクシクと彼女は泣きだした。
彼女が悲しそうな顔をすると、私は途端に自分が極悪非道の犯罪者になったような気持ちになってしまう。
目の前で泣きじゃくるのは母だ。
仕方なく私は母の目の前で友達にメールを打ち、明日の遊びの約束を断った。
そうやってずっと彼女が満足するように生きてきた。
私の母は、「子供の人生を支配しようとする親」……「毒親」だった。
 

母はとにかく私の人生に口を出し、自分の気持ちを強く押し付けてきた。
「口を出す」という表現は正しくないかもしれない。
母は自分の希望を直接的に言うことはない。
その寸前までを言葉にして、その後は語らず、続きを悟らせることで、「自分は何も強要していない」ということにしてしまうのだ。
母の希望と合わないことをしても、母が泣くことはあれ、怒られることはない。
怒鳴られたり、ましてや手をあげられたりしたことは一度もない。
ただ、私の存在そのものを否定するような、とても冷たい目で私を見るだけだ。
何よりも私を傷つけるその目。
その目が怖くて、私はずっと母の言いなり。
私にとって人生とは、「母の中にある正解」を探す旅だった。
 

子どもの頃、バレエを習っていた。
興味は全然なかったけれど、「バレエ、習ってみたくない? チュチュ着て踊るのって可愛いよね」と言われると、「うん。やってみたい」と答えるしかなかった。
当時シャイだった私は、舞台で踊ることがとても嫌で、今でも苦い思い出だ。
大人になってから、「バレエは本当はやりたくなかった」と母に言ったことがある。
でも母は、「あなたが習いたがったから、習わせてあげていた」の一点張りだった。
確かに、母が望むだろうと私が決めて、最終的に「やる」と言ったのは私だ。
 

友達も母によってふるいにかけられていた。
母が気に入らないような友達を家に連れて行くと、露骨に嫌な顔をした。
その顔を見るたびに「不正解」だと感じ、私はその子とそっと距離をおくように努めた。
そしてなるべく、母が気に入るような子と仲良くなろうと、友達を選んだ。
 

地元では珍しい中学受験もした。
本当は友達と一緒に公立の中学校に行きたかった。
でも、母が国立の中学校に進学させたがっているのが伝わってきて、自分の気持ちは言えなかった。
黙って空気を察し、母の希望を叶えるべく一生懸命勉強に打ち込んだ。
 

高校受験の時は、滑り止めの学校を受けられなかった。
受けた方がいいと勧める担任に、「もしも落ちたら浪人させる!」と母は言い放った。
志望校を選んだのも母で、そこに私の意思はなかった。
 

大学は県外への進学を考えていた。
それを母に打ち明けると、母は部屋に引きこもった。
3日間籠城を続ける母に、仕方なく私は地元の大学へ進学することを決めた。
あれだけ騒いだのに母は、「反対はしていない。あなたが自分で選んだのだ」と言う。
確かに言葉で反対されたわけではない。
私が勝手に母の気持ちを読み、諦め、従っただけだ。
 

母の強すぎる歪んだ愛情は、私の人生にしっかりと絡まりついてしまっていた。
私のことは母が全部知っていると思わされていた。
「怖がりなんだから、ジェットコースターは乗れないよ」と言われて、乗ったことがなかった。
初めてのデートで思い切って乗ってみたら、すごく面白かった。
ジェットコースターに乗れないのは、母自身だ。
「金属アレルギーかもしれないから、ピアスを開けちゃダメ」「外反母趾になるから、ハイヒールは履いちゃダメ」「肌が荒れるから、メイクはしちゃダメ」「髪の色は染めちゃダメ」「お酒は飲んじゃダメ」「友達の家に泊まっちゃダメ」と、ダメダメ尽くしで、それらは全部母の理想だった。
でも、思春期になっても私は母に逆らうことが出来なかった。
怒られることよりも、あの冷たい目で見られ、否定されることが怖かった。
 

そんな「毒親」とともに歩んできた私だったが、20歳の時、大きな転機を迎えることになる。

 

それまでは「母の中にある正解」を探す旅をしていた私が、「防御の呪文」を手に入れ、それを使うことが出来るようになったのだ。
大学生になった私は、母の支配に気付き、だんだんと悩むようになっていた。
母の気持ちに自分のそれを合わせるのが辛くなっていた頃だった。
夜眠れなくなり、幻聴や幻視などにも悩まされるようになって、人生で初めて精神科を受診した。
その時の主治医が私の人生に「防御の呪文」を与えてくれたのだった。
人生で初めて、「母と私は違う意思を持った人間」だということを、はっきりと教えてくれた人だった。
母の目や顔色を気にしなくてもいい。
あの目で見られても、私が世界中から否定されるわけではない。
私の気持ちを通すことは悪ではないということを、私は初めて知った。
その「防御の呪文」をたまに繰り出せるようになり、母との関係は少しだけレベルアップした。
 

そして、大学を卒業。
ここで私は、タイミングよく「移動の呪文」を使った。
両親の反対を押し切り、実家から離れ、一人暮らしを始めたのだ。
同時に社会人になり、経済的にも自立した。
少しずつレベルアップし、毒親からの距離を置いていった。
 

それから数年が経ち、人生を共にしたいと思える人に出会った。
恋人は私に「回復の呪文」を与えてくれた。
私は私として生きていいのだと初めて思えた。
ありのままの私で存在出来る場所を、用意してくれた。
本当の自分でいることに、心から安らげるようになったのは、30歳を過ぎてからだ。
 

様々な呪文を手に入れて、私は少しずつレベルアップしてきた。
私の人生に課せられた「毒親クエスト」は、まだまだゴールは来ないけれど、一つ分かったことがある。
「良い子を育てること」というのは、母のミッションかもしれないけれど、私には関係ない。
「良い子でいること」は、私の人生の課題でも何でもない。
時には呪文を使いながら、母と絶妙に距離をとること。
それが、私が安全に旅を続けるコツだ。
油断するとまだまだモンスターは日常の様々な場所から現れる。
それを出来れば楽しみながら、クリアを目指して進んでいきたい。
 

実は私はすでに、「攻撃の呪文」も持っている。
でも、なるべくならそれは使わないで旅を終わりたいと思う。
母を傷つけたいわけではない。
母を変えることは出来ない。
母を見捨てることもしたくない。
だから、呪文を上手に使い、途中でリセットすることなく、最後までこの「毒親クエスト」をやり続けていこうと思う。
それが、私らしく生きるということなのだと思う。
 
 
 
 

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2020-04-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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