メディアグランプリ

書きたすぎて、こじらせてました


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:わかいく(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 

天狼院書店のライティング・ゼミ開講日、私のそわそわは、とどまることを知らなかった。
ABCユニットって、いったいどんなもの? はやく、聞きたい!
ゼミ開始から1時間ほど、満を持して登場したABCユニットに、全神経を集中させる。
 

ふむふむ。なるほど。そういうことかぁ……。
はじめて知った!
……いや待てよ? はじめてじゃないな、知ってたな。
 

正確に言えば、「知ってた」ではなく「見たことがあった」。
数年来、いつもの駅や、よく行くドラッグストアで何度も見かけて顔は知っていたあの人。
顔は知っているけど、何て名前か、どんな性格かは知らないあの人。
どことなく興味をひかせるその人を、はじめて対面で紹介された時の感覚が、はじめてABCユニットを教わったときの私の感覚だった。
「はじめまして。……じゃなくて、えっと、前にどこかで会ってますよね?」
そう言った私に、その人は、想像もできなかった魅力的な声と笑顔で、鮮やかに自己紹介した。
 

読まれる記事を書くための極意を教えてくれるという、このライティング・ゼミ。
その存在を知ったのは、2か月ほど前のこと。
久しぶりにお腹の底から上がってくる、わくわくという感覚があった。
「この舟に乗れば、書くことに近づける」
その瞬間、乗ろうと決めた。
ほとんど無意識に乗り込んだ後で、しみじみと感慨深いものがあった。
やっと乗れた。ここにたどり着くまで、思えば長い年月だった。
 

さかのぼること30余年。
14才の私の宝物は、クリーム色のリングノートだった。
自意識、感受性、想像力……、いわゆる思春期のもろもろにつき動かされ、無意識にとった行動が書くことだった。
私は、その宝物に「定義ノート」という味も素っ気もない名前をつけ、日々自分の思うままに、いろんな言葉の定義を書き込んでいった。
世の中の言葉たちに、自分の感覚で100%自由に定義づけをして書きたいように書く、というその作業を、当時の私は心の底から欲していた。書いているときは時間も忘れ無心で、それによって、精神の安定を保ってもいた。
16才で運命の小説『ライ麦畑でつかまえて』と出会ったとき、体中に激震が走った。
それからいろんな小説に夢中になった。私にとって小説は、あらゆる感情を次々に体感させてくれるひとつの大きな快楽だった。気がついたら、自分は小説家になるものだと思いこんでいた。
「なりたい」ではなく「なるものだ」と、根拠なく確信していた。
35才で子供を産むまで、ずっとその確信は消えたことはなかった。
 

それなのに、私は、小説家になろうとする人間がとるであろういくつかの行動、つまり小説を書く、賞に応募する、同人誌を探すなどの行動をとらないままで居続けた。
それでいてどうやって、「自分は小説家になる」という確信と長年付き合ってこれたのか。
その答えは、高性能のフリーザーである。
私は、その生成された「確信」をすぐさま冷凍庫の奥に入れ込み、冷凍庫の扉を極力開かないことで、この「確信」を長期冷凍保存することに成功したのだ。
何度かは冷凍庫の扉を開け中を取り出してみたこともあるが、「確信」が解け出してしまいそうな気配を見て取るとすぐにまた冷凍庫の一番奥にしまい、そのうち冷凍庫の扉は閉まりっぱなしになった。
 

かの天才作家の代表作を読んで体中に激震を走らせたとき、私の脳は叫んだはずだ。
「小説家になりたい!」
次の瞬間、自分で自分に呪縛をかけてしまった。
「小説家になること以外無意味」
小説を書くことに重きを置きすぎた私は、そこに手も足も出せなくなった。小説を書くことが自分の人生において最上だと思っているくせに、いや思っているからこそ、なかなかそこに手をつけようとしなかった。
「お楽しみは最後に」という心理が働いていないこともなかった。だけど、それよりもこわかった。
書くことで、理想とかけ離れた自分の力量を知るのがこわい。更に書くことで、その乖離が埋められないものであることを知るのがもっとこわい。すべてだと思っているものが手に入らないという現実は、絶望以外の何ものでもない。そんなふうにして絶望を知った自分は、死んでしまうか、死んだように生きるかしかない。だから書くのがこわくてたまらない。
結局のところ、「小説家になる」という確信をただただ絶やさないがため、私は長い間、小説というものを書かないでいたのだと思う。
 

35才で子供を産んだあと、私は、ようやくその確信を手放した。
青天の霹靂でがん宣告を受けた夫にかわり一家の大黒柱となって走りまわったり、息子の小さな寝顔を見つめながら「これ以上の幸せはない」という心境に包まれきったり、そんな慌ただしくも愛情に満ちた日々のなかで、ゆるやかにそっと、確信を手放していった。
 

確信を手放した私は、46才になった。
ふと、「書く」という行為をほとんどしていない今の自分を、ある不思議な生態を見つめる気持ちで見つめた。14才の頃あれほど書くことを拠りどころとしていた自分が、今ろくに文章というものを書かずにいて、まもなく47才になろうとしているということに、はじめてリアルな違和感を覚えた。
 

文章を書きたいのに、なぜ書いてないんだろう。

 

記憶のなかのいろいろな出来事やさまざまな心境が、去来する。
楽しかったこと、ドキドキしたこと、必死だったこと、最低だったこと、嬉しかったこと、びっくりしたこと、恐ろしかったこと、自分が嫌になったこと、素晴らしかったこと、思い出したくもないこと……。
「作家になること以外無意味」なわけじゃなかった私の日々が、たしかにそこにあった。
とっくに呪縛は解けていたのだ。
ただ、確信を手放し呪縛が解けた後も、なぜだか書くことを遠ざけてきた自分がいた。
同時に、小説家になれなくたって、ずっといつも何か書きたかった自分がいた。
そして、2か月前、このライティング・ゼミの案内とそこに紹介されているいくつかの記事を読んだとき、私はこの舟に、すっと乗り込むことができた。
 

ゼミの最中、たったいま紹介されたばかりのABCユニットさんとはやく仲良くなりたい、と心から願う私のなかに、静かに広がりつづける充実感があった。
それは、いま自分が、紛れもなく、書くことと真正面から向き合っているんだという充実感だった。
 

先月、私は47才になった。
ずいぶんと時間はかかったが、悔やむことはない。
14才の頃と少しも変わらない「書きたい」という気持ちを、今ようやく行動にできたのだから。ここはひとまず、良しとしよう。
 
 
 
 
***
 
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2020-04-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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