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鬼の涙は今日も誰かの命を救う


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:村井 美月(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
大人になったら泣くな。
そう教えられてきた。
 
親から言い聞かせられてきたわけではない。
これまでの人生の中で、そのフレーズをあまりに耳にしすぎて、その教えが染み付いてしまった。
 
小学校で喧嘩をして泣いている人がいたら、「もう小さい子供じゃないんだから、泣いていないで理由を話しなさい」と叱られていたし、アルバイト先で涙を流した人がいたら、「あの子、泣いたら済むと思って」と蔑まれていた。
会社では、給湯室以外の場所で泣いていた人がいたら、“精神的にやばい人“認定され、フロア中でしばらく噂になっていた。
 
中でもことさら、大人の男性は大変である。
欧陽菲菲や吉幾三、関ジャニ∞だって、男は泣くなと歌っている。
おばあちゃん子だった私の父親も、その祖母が亡くなった時ですら、涙を堪えていた。
 
私は今まで、大人の男性が泣いている姿は一度も見たことがなかった。
(兵庫県議会の野々村議員が号泣していたのははっきりと覚えているが、あの涙は例外としよう)
 
そう、つい一ヶ月前までは。
一ヶ月ほど前、私の目の前で涙を流した男性がいた。
 
私は三十路の中でもだいぶ後半に当たる年齢になるが、恥ずかしながらつい一ヶ月前まで車の運転免許を持っていなかった。
毎朝耐え忍ぶ満員電車には当然ながらストレスを感じていたが、物心ついた頃からずっと東京で暮らしてきて、今まで電車以外の移動手段は考えたこともなかったからだ。
 
しかし昨年末に転職が決まり、本社を構える地方都市に移住することになった。
移住先は、車がなければ、通勤はおろか、買い物にすら行けない街。
そこで、急いで運転免許を取得しなければならなくなり、前職の仕事を予定より一ヶ月早く辞め、集中コースで自動車学校に通うことになった。
 
一ヶ月集中コースの申し込みをするためには、まず初めに初回講習を受けなければならなかった。
 
初回講習の日、ある講師のおじさんに出会った。
彼は、眉間に刻まれたシワが深く、目つきが怖かった。命令口調で、威圧感があった。ミヤネ屋の宮根誠司と、坂上忍を混ぜたような雰囲気で、さらにそこから、一切の笑顔を取り除いたような人だった。
 
彼は言った。
「これから車を運転しようと思っているあなた達。
運転の実技科目の他に、学科の科目もクリアしないと自動車免許は取れません。私は学科の科目を担当します。
学科の講習はつまらないと感じるかもしれませんが、法律で教えないといけない内容が細かく決まっているので、講師が余談を交えて教えることは禁止されています。警察からそう言われているんですよ。
だから、つまらなくても目をこじあけて聞いてください。
少しでも寝たらその場で強制退場させます。
今の時期は混んでいるので、退場になれば一ヶ月卒業が遅れるかもしれませんが、私にはそんなことは関係ありません」
 
この講師のおじさんには教わりたくないと思い、なるべく彼の講義は避けた。
 
私には機械操作のセンスがまるで無く、友人からは「あんたが運転したらおばあさんか子供が死にそう」とひどい冗談を言われるほどだったが、免許がなければ転職先の内定取り消しも免れないだろうという危機感から猛烈に努力し、補講になることなくなんとか全ての科目をクリアしていった。(あの一ヶ月間は、大学受験の一年間よりも辛かった)
 
学科最後の科目を迎えたその日、彼は現れた。
初日に出会った、あの講師の怖いおじさんだ。
これが強制科目でなければ、真っ先に逃げ出していただろう。そのくらい、もう生理的に拒否反応が出ていた。
 
最後の科目は、「特徴的な事故とその事故の悲惨さ」というテーマだった。
 
おじさんは、相変わらず一切口角をあげることなく話し出した。
「私は数年前まで企業のサラリーマンとして働いていました。
それなのになぜ、この歳で仕事を辞めて教習所の教官になったかわかりますか。
私が一生かけて付き合っていくはずだった、幼少期からの大親友が車で轢き殺されたからです。
人生の苦楽を共にし、私の大きな一部だった親友が、車によって殺されたからですよ。
あいつが、『今度名古屋に転勤になるかもしれない。今まで行ったこともない土地で働くことになるが、お前はどう思うか?』と聞かれた時、俺は背中を押してしまった。
でもその名古屋で、飲酒運転の車に轢かれたんですよ。あいつは。
それから一度植物状態になって、その後意識は戻ったんですが、昔の記憶がなくなってしまった。
そして下半身不随になってしまって、当時婚約していた彼女とも別れてしまった。仕事もなくなった。
俺はあいつが大好きだったから、記憶が無くなってからも、昔一緒にツーリングしに行った場所に、よくあいつを連れ出していた。ここで、こんなことしたんだよと話しながらさ。
でも、あいつはいつもかなしそうな顔をしていた。
俺、なんのために今生きているんだろうと、言っていた。
なぜあの時死ななかったんだろうと言っていた。
そしてその次の日、あいつの親父から電話がかかってきた。親友の親父から携帯に電話がかかってきた、その時点で全身に鳥肌がたった。
 
あいつは死んだんだ。
 
俺は、未だにあいつを轢き殺した奴には会っていない。会ったら、俺がそいつを絶対に轢き殺してしまうから。あいつのために、会わないことにした。そして、俺は教習所の教官になることに決めたんだ。
 
みなさん、わかりますか?
俺とあいつは車やバイクが大好きで、よくツーリングに行っていました。車が大好きだったんです。
でも、車は凶器です。拳銃やナイフと同じです。みなさんは、免許を取ったら毎日凶器を扱うことになるんです。どうか、自覚を持ってください。お願いですから……」
 
そして彼は、泣いた。もう言葉が出なくなってしまうぐらい、泣いていた。
私とか俺とか、一人称がぐちゃぐちゃになるぐらい感情が溢れ出していた。
「鬼の目にも涙」の瞬間だった。
 
彼の話の冒頭、私は心の中でこう思っていた。
「えっ、初日に、授業と関係ない話はできない、って言ってたのはあなたなのに、いきなり個人的な体験談ですか? 矛盾してませんか。理不尽すぎませんか。それに轢き殺すなんて表現、自動車学校の教官として、あるまじき発言ではないですか」
彼に対して、白けた目を向けていた。
 
でも、彼が泣いた時、私は自分の心臓の音が隣の人に聞こえるんじゃないかと心配になるぐらい、ドキドキしていた。
野々村議員の涙を見た時とは全く違うドキドキだ。
 
そう思っていたのは私だけではなかった。
なぜならその瞬間、当時100人以上が受講していた広い教室中に、たくさんの嗚咽が響き渡ったからだ。
 
終礼のベルが鳴った。
もう二度と車なんて運転したくないと思った。
 
私はそのあと、無事に自動車学校を卒業することができ、今では毎日車を運転している。
もちろん、おばあさんとも子供とも接触していない。無事故である。
彼の涙は私にとってお守りのようなものになっている。
エンジンをかけた瞬間、あの泣き顔が思い浮かぶ限り、私は無事故記録を更新し続けるだろう。
 
大人になったら泣くな。
なんて、誰が言い出したのだろう?
大人だって、感情が溢れ出した時には泣けばいい。
その涙は、誰かの心を大きく動かすことがあるかもしれない。
 
 
 
 

***
 
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2020-04-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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