メディアグランプリ

1/28,000の筆ペン


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:Tatsunori Fujikawa(ライティング・ゼミGW集中コース)
 
 
「スミマセン! 大至急! タクシー1台お願いします!」
忘れもしない、それは2014年11月29日土曜日の午前8時15分のことだった。
その日は、高校時代の大切な友人の結婚式の日だった。しかし、未だかつてないほどのピンチが訪れており、私は慌ててタクシーを呼んでいた。
 
「それでは、カンパーイ!」
……これは、友人の結婚式当日の乾杯の様子ではない。
その前日の夜の飲み会の様子である。11月下旬から忘年会シーズンがはじまり、金曜日の夜には、どこの居酒屋も人で溢れる。当時、私は会社の忘年会を終えて最寄り駅まで帰ってきていたが、まだ飲み足りないと言う友人達と共に駅近くの居酒屋へ梯子していた。
「そういえば、こんな時間だけど、明日の予定は大丈夫か?」
「午前10時30分から横浜で高校時代の友人の結婚式があるね。でも、大丈夫。7時の鈍行列車に乗って、そのまま寝て向かうつもりだから。今日は朝まで起きておくよ。」
「よし、なるほど!それじゃあ、とことん飲もう!」
……そのまま、結局、お店が閉店するまで滞在してしまった。解散するときは夜中の午前2時。
家に帰り着いて疲れを感じた私は、部屋の椅子に座って一息ついた。
しかし、その一息を最後に、瞼が重たくのしかかり、私の目の前は真っ暗になった。
 
え!?
……次に目を開いたときには、部屋には朝日が差し込み、目の前は既に明るくなっていた。
慌てて、時計をみると午前8時15分。もちろん、時計は壊れていない。
そう、家に帰って一息ついたときから、ずっと椅子で眠っていたのだ。
一瞬で目が覚めて、自分の置かれている状況を察した私は、すぐさまスマホで電車の時刻表を調べた。
15分後に出発する電車に乗って、新幹線に乗り換えれば、10時25分には結婚式会場に辿りつける。家から最寄り駅まではタクシーで10分かかる。そうだ、まずは駅までのタクシーを手配しなければいけない。
 
「スミマセン! 大至急! タクシー1台お願いします!」
デオドラントシートで身体を拭いて、制汗スプレーを巻き散らしながら、身支度を進めた。
このとき、幸いにも前日にご祝儀や案内状は既に鞄に入れていた。
そうこうしているうちに、すぐにタクシーが到着した。シャツのボタンは掛け違っており、ネクタイは首にかかっているだけ。片足は裸足のまま、革靴と鞄を手に持ち、タクシーに乗り込み、最寄り駅へと向かった。
 
間に合え! 間に合え! 間に合え!
何度も何度も心で祈った。身支度を進めているうちに、タクシーは駅へ到着した。
「お釣りは要りません!」
……こんなドラマのようなフレーズを使う日がくるとは思わなかった。そのまま、慌てて駅に駆け込んだ。
息を切らしながら、ギリギリで新幹線に乗れた。
 
良かった! 間に合った!
自由席はちらほら空いており、通路側の席に腰を下ろした。
 
しかし、私は、そこでもう1つの過ちに気づいた。
ご祝儀袋の表書きを書き忘れていたのである。
そういえば、電車の中で書くつもりでいたのを思い出した。
準備不足の昨日の自分を恨んだ! ちくしょー! 明日やろうは、バカ野郎だ!
 
慌てて飛び出してきたので、もちろん、手元に筆ペンは無い。
筆ペンの代わりになるようなものは持っていないだろうか?
車内販売に筆ペンは無いだろうか?
横浜到着後、近くのコンビニに筆ペンは売っているだろうか?
 
……途方に暮れていると、おもむろに隣に座っていたお姉さんが
鞄から何やら取り出しているのが目に留まった。その手に持っていたのは、ご祝儀袋と筆ペン。
 
嘘だと思った。目を疑った。何が起こったのか分からなかった。
なんと、隣のお姉さんは、そのままご祝儀袋の表書きを書き始めたのだ。
あろうことかそのお姉さんもこれから誰かの結婚式の参列を控えていたのである。
 
目の前に訪れた千載一遇のチャンスに一言。
「あのー、突然スミマセン。その筆ペン使い終わったら、貸していただけませんか?」
表書きの無いご祝儀袋を見せながら、私はお願いした。
 
お姉さんは、快く笑顔で筆ペンを貸してくれた。
そのお姉さんも、とても奇妙な体験だっただろう。
新幹線の自由席で隣にいた知らない男性から突然「筆ペンを貸して」とお願いされる日がくることを誰が予想できただろうか?
もしも私が違う時間帯の電車に乗っていたら?
もしも私が違う車両に乗っていたら?
もしも私が違う席に座っていたら?
その区間を走る新幹線は1日70本程度。各新幹線の自由席は約5車両。
1車両あたりの席はおよそ80席。確率にすると1/28,000!
それは、隣の家の人が眼科医である確率と同じらしい。
もしも何か1つでもこの日の行動が違っていたら、この奇跡には出会えなかったかもしれない。
 
ありがとう。この日、私を起こしてくれた朝日よ。
ありがとう。この日、すぐに迎えにきてくれたタクシーよ。
ありがとう。この日、笑顔で筆ペンを貸してくれたお姉さんよ。
 
もしタイムマシーンがあれば、この前日の夜へ戻って準備不足の自分をぶん殴ってやりたい。
この日、私は「準備万端」という言葉の大切さを知り、「心願成就」という言葉の意味を体験した。
この日以来、私が前もって必ずご祝儀袋の表書きを書くようになったのは、言うまでもない。
 
 
 

***
 
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2020-05-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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