親の目を盗んで読んだあの本はもう手に入らない
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記事:きさらぎ満月(天狼院リーディング倶楽部)
私はエロスに果てしない興味がある少女だった。
親が共働きで、一人で自宅で留守番している時間が多かった。その時間を利用して、母親の女性週刊誌を盗み見てエロ記事を探したり、父親所蔵のエロビデオを盗み見たりしていた。
まわりの友達よりも先に、使いもしないエロ知識を溜め込んでいた。
そんな中出会ったある官能小説が、最近どうにも頭に浮かんで離れない。
記憶にある題名は「ぴらみんねえ」。
ただし、検索しても結果に上がってこないので、たぶん間違って記憶している。おそらく単語として意味をなさない文字列のタイトルだったのだろう。
本の体裁はなんとかブックスといったノベルス型。表紙は、たしかグレーのアスファルト舗装を背景に女性の唇が描かれている、エロティックではあるが抽象的なイラストで、典型的な官能小説とは少し違っていた。作者も官能ではなく恋愛が描きたかったのではなかろうか。少なくとも私は恋愛小説として読んだ。
親の蔵書だと思われるその本を読んだのは、中学生の頃だった。
「思われる」としかいえないのは、この本を思い出すと同時に、なぜか伯母の顔が浮かんでくるからだ。
主人公は、小さな劇団の看板女優で女子大生。恋人は劇団の演出家だ。傲慢な男だが、彼女はそこに魅力を感じている。
そこに現れたのが、「ハム」と呼ばれる俳優。ハムはハムレットの略だ。最近その劇団にやってきたハムは、ひょうひょうとしたつかみどころがない男だ。常に女言葉を使うため、まわりからは「ホモ」だと思われていた(当時はゲイという言葉はメジャーではなかった)。
演出家と正反対のハムに主人公は、次第に惹かれていく。
物語のクライマックスは、主人公とハムが結ばれるシーンだ。演出家とのセックスは、互いの欲望をぶつけ合う自分本位なものだった。だが、ハムは常に彼女の反応を確かめ、それに応じて次の動きを変えていく。ハムとのセックスは愛と穏やかさに満ちたものだった。
少女だった私は思った。これが理想のセックスだ。
大人になってから悟ったのは、そんなセックスをする相手とはそうそう出会えない、ということだった。
これまで、愛とセックスが両立することはあまりなかった。愛はあってもセックスは下手か、セックスは上手くても愛はないか。両立どころか、愛のないセックスをしてみたもののそっちもイマイチ、という場合もあった。
最近出会った愛とセックスが両立する男とは、長続きしなかった。
満足がいくセックスができている女性って、世の中にどれくらいいるのだろう、と不思議になる。
この本の記憶と同時に伯母の顔が浮かんでくる理由を考えていたら、一時期彼女が私の実家に長期滞在したことを思い出した。伯母の滞在後、彼女がしばらく使っていた部屋で、私はこの本を見つけたのではなかろうか。ひょっとしたら彼女の忘れ物だったのかもしれない。
だが、伯母の本であるはずがない、とも思う。なぜなら、伯母は両手両脚とも不自由な身体障害者だからだ。
私が物心付いたときから、伯母には障害があり、歩くことができなかった。手は、不自由ながら動かすことができ、食事は自力で摂取することができた。本のページをめくることは可能だった。
伯母の障害は生まれつきではなく、病気の結果だ。山村の農家の長女である伯母は、昭和30年代、親が決めた結婚相手の元に嫁いだ。婚家は嫁に厳しかった。嫁いで間もなく、高熱を出した伯母を病院に行かせず、実家の実母を呼びつけて看病させた。熱が冷めたとき、伯母は障害者になっていた。
婚家に追い出されたのか、実家が見かねたのか、回復してすぐに伯母は離婚した。そして、80歳の今に至るまで障害者施設で暮らすことになった。
年に数回、施設に伯母を訪ねる。
二つの理由から、彼女と話すのは少し難しい。ひとつは、彼女の発声機能が障害の影響を受けており、かなり聞き取りづらいから。もうひとつは、彼女が極端な笑い上戸だからだ。いったん笑い出すと止まらなくなり、発作のように激しくなってしまう。一度、呼吸困難になり救急車で運ばれたことがあるという。
以前は伯母を笑わせるのが好きだったが、加齢で体力が弱っている今は、笑わせるのは命取りになりかねない。訪問しても大した会話もできず、30分ほどで切り上げる。
彼女の毎日を、そしてこれまでの人生を考えると、よく耐えてきたな、と思う。
だからこそ、あの官能小説が伯母の物であるはずがない。いや、あってほしくないと思っている。だって哀れだから。
あの本がうちにあったのは、彼女が40代の頃だ。20代で障害者となり、以来ずっと施設で暮らす女。一度は結婚したが、障害のため離婚した。今後、男性と恋に落ちることもないだろう。そんな女がひそかに読む、愛に満ちたセックスを描いた小説。
他人ならまだしも、自分の身内の話と思うと、いたたまれなくなる。
いや、障害者が官能小説を読んでいたらおかしいのか。
身内のことだから拒否感を覚えるのだろうが、障害者だろうがなんだろうが、たとえ手に入らないとしても、恋愛とセックスを求めるのは自然なことではないか。手に入らないからこそ、強く憧れてもおかしくない。
それは私も同じではないか。
最近別れたあの男が頭から離れないから、あの本を思い出しているのだ。恋愛とセックスが両立した関係がもう手に入りそうにないから、あの本を読んで妄想の世界に逃げ込みたいのだ。全然吹っ切れていないではないか。
哀れなのはお前だ。
題名すら思い出せないあの本は、もう手に入りそうにない。
かわりに何か恋愛小説を読みたいが、ハッピーエンドにするべきかバッドエンドがいいのか、よくわからない。
***
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