メディアグランプリ

近くて遠い旅先にて


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記事:十島 ゆり(ライティング・ゼミGW集中コース)
 
 
それは、2年前の8月の出来事だった。
 
世間が夏休みを徐々に取り始めて、
私のフェイスブックのタイムラインには友達が投稿してくるキラキラした海外旅行の写真で溢れていた。
 
「私はどこにも行けない」
正直なところ、ふてくされていた。
 
私は自分が経営する薬局で訪問薬剤師をしている。
家から出る事がままならない患者さんの自宅に薬を届けたり、服薬を管理する仕事だ。
薬局には一応、名目上の夏休みがあり、その間お店としては閉店しているが
患者さんの容態というのはいつ急変するかわからないので、
基本的には24時間いつ電話がかかってきても対応できる体制でいる。
体制と大げさに言うものの、この薬局で働いている薬剤師は実質私一人だけだ。
24時間体制をシフトで持ち回っているのではなく、ただ単純に私が24時間肌身離さず携帯を身につけ、薬局からは遠い場所に行かないようにしているだけである。
行動範囲は、薬局から電車で1~2時間までの距離が限界といったところだ。
 
だから、もちろん海外になんか行けない。
自分で決めた事である。別に不幸だとは思わない。
むしろ、患者さんと実際に対面して接するこの仕事は、自分で事業を興してしまう位、好きなのだ。
 
でも、その年の8月はとりわけ暑く、汗でネチっとイラつく夏だったからなのだろう。
私は、どうにも鬱屈した気持ちでいた。
なんなら、「なんで私ばっかりがこんなに仕事をしなきゃいけないんだ」位の被害者意識も持ち合わせていたように思う。
とにかく、私も同い年の友人達のように、海外に行って羽目を外したいという気持ちになっていた。
 
でも電車で2時間の距離という制限が、私の心を羽交い締めにする。
 
その時、突如ひらめきが訪れた。
 
「私が外国人になって、東京を観光すれば良いんだ!」
茹だるような暑さが、私の脳みそを溶かして変形させてしまったのだろうか。
 
そして迎えた、夏休み当日。
 
私は目の前に広がる
ものすごい解放感を深呼吸し
地図を片手に、通りへ駆け出した。
 
すっと来たかった、ワンダーランド!
そう! そこは、築地である。
 
オプショナルツアーは、世界中の旅人たちが申し込んでくる
Airbnbで見つけた。
築地場外を巡るその英語のツアーでは、
ツアーホストお勧めの店を巡って、ひたすら買い食いをする。
 
レモンが絞られたプリっぷりの殻付きの生牡蠣
海老を殻ごと炙って出汁にしているラーメン屋さんからの湯気の香り
卵焼きのカスタードみたいな甘い誘惑
 
日本人であっても、味わったことがなかったグルメに舌鼓をしながら
スペイン人のバックパッカーやカナダ人の主婦と
どの国の卵料理が一番美味しいかについて情報交換がてら談笑した。
 
旅の偶然がもたらしてくれる
人や味との出会いを
まさか家から40分の距離で手に入れられるとは思っていなかった。
 
私は、母国語が使用できるこの場所で
使用する言語を敢えて変える事によって
異国情緒を手に入れる事に成功していた。
 
翌朝は、午前1時45分に起床した。
午前2時集合のオプショナルツアーに参加する為だ。
「築地場内とマグロの競り見学」である。
 
競り会場に行くために、普通は絶対に入れない場内の様子も見せてもらえた。
 
慌ただしく行き交うターレー
竹刀よりも長い包丁で捌かれる大きな魚
僅かな時間で目利きをし、号令とともに一気にせり降ろされるマグロ
 
私が普段目にしている魚は
綺麗に処理され、切り身になってトレーにのっているものばかりだ。
 
魚って、切り身の状態で海を泳いでいたんじゃなかったんだ!
なんて、まさか思っていたわけではない。
 
しかし、漁に出て捕獲されてきた魚が
ここまで大勢の人々の重労働によって、私達の食卓にやってきているとは
やはり実際に見るまでは、本当に理解できていたとは言えない。
 
しかも、この人々はこの生活を毎日続けているのである。
仕事だから当然という言葉ではまとめられない凄みを感じた。
 
毎日毎日、真っ暗なうちから昼頃まで働いて
19時頃には就寝。
一般的ではないこの生活に孤独を感じたりはしないのだろうか。
 
ツアー解散後、余韻に浸りながら一人で真っ暗な場外を歩いていると
1か所から明るい光が洩れていた。
 
そこには、しゃもじを片手に大きな枡のようなものに向かって、酢飯を作る板前さんがいた。
寿司屋の裏の勝手口から、その後ろ姿が湯気の合間に見える。
大きな背中の肩甲骨がダイナミックに動く様にプロの意気込みを感じた。
 
外はまだ、こんなにも暗いのに。
 
ここでは、場内でも場外でも
鮮度が命の食材を前に、真剣勝負で自らの役割を全うしている。
 
そこは、真っ直ぐで必死な労働の聖地だった。
私はとても神聖な空間にいた。
仕事をするって、こんなにも尊い事だったんだ。
 
毎日24時間、携帯から離れられず、行動範囲が極端に狭い私の日常。
一般的ではないこの生活に、普通を羨む日は数えきれない。
 
しかし、そんな気持ちは
ここ築地の本気の前では、恥ずかしすぎる。
 
「なんで私ばっかり、こんなに仕事が大変なんだ!」と、
弱音を吐いていた自分が急に幼く思えてきた。
初心に戻る以上の衝撃だった。
 
目の前で働いている築地の人々を前に、焦りにも似た憧れの気持ちが沸きあがった。
 
早く、自分の持ち場に戻りたい。
明日が、待ちきれない。
 
羽目を外すために計画したはずだった
私のなんちゃって海外旅行は
逆に私の羽目をはめ直してくれた。
 
近くて遠い、この食のワンダーランドが私に与えた洗礼は半端ない。
 
ありがとう、築地。
最高の夏休みだったよ!
 
 
 
 
***
 
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2020-05-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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