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7歳離れた疎遠な兄と私は肉まんに酢じょうゆをつけて食べる


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記事:ハルキハルヒラ(ライティング・ゼミ 平日コース)
 
 
「ご兄弟はいらっしゃるんですか?」
「はい。7歳離れた兄がいます。でも私が中学になるくらいにはもう兄が家をでてしまったので、疎遠な兄なんですよ。」
いつも決まって兄のことをこう説明する。
 
兄とは小学校6年まで一緒に住んでいた。
なので、それくらいまでしか兄との思い出はない。
「年の離れたお兄さんなら、すごくかわいがられたんじゃないですか?」と聞かれるが、全くそのようなことはない。
思い出すことと言えば、壁際に後ろを向いて立たされ、ビービー弾の鉄砲の的にされたこと。
干したタオルから水が滴る下に寝かされ、「目開けて!」と、その水滴を目薬のように私の目に入れるゲームをさせられたこと。
遊んでもらうのではなく、兄の遊び道具にされていた。
 
兄と、年の離れた妹の私とでは、育てられ方が全く違ったようだ。
兄は厳しく育てられ、私は甘やかされて育てられた。
 
兄は100点を取って当たり前。95点ではほめてもらえなかったそうだ。
兄が高校になったとき、同級生で革ジャンが流行った。
私服の学校だったので、友達が革ジャンを着るのをみて、相当欲しくなったのだろう。
自分も革ジャンがほしいとねだった兄だったが、買ってもらえず、涙さえ流していた気がする。
私だったらすんなりと買ってもらえていたと思う。
周りが大学受験で塾に行きだし、兄も行きたいと言ったが、うちはお金がないから、と塾に行かせてもらえず、兄は小さい頃から貯金していた自分のお金を使って塾に通ったそうだ。
もともと出来がよかった兄は1浪したが、国立の医学部に入った。
兄は家をでて、年1回、正月に数日帰省するくらいで、あまり会うことはなくなり、私は中学1年で一人っ子のようになった。
 
ほどなく父は仕事で独立し、我が家にお金が貯まるようになった。
おかげで、私は欲しいものは大概買ってもらえたし、もちろん塾にも行かせてもらえた。
頭の出来の悪い私は浪人時代も学費の高い予備校に行かせてもらい、浪人しても私立にしか受からなかったが、それでも父は泣いて喜んでくれた。
兄が聞いたら目が点になると思う。
兄は第1志望の国立に落ちて、後期で別の国立に入ったが、第1志望に受からなかったことが残念だと父に言われたらしい。
厳しく育てられた兄と、甘やかされて育てられた妹の私。
同じ両親に育てられたが、まったく違う環境で育ったようなものだった。
 
年1回正月に帰ってくる兄とは、とくに共通の会話もなく、ただ一緒に食事をして、テレビを見た。兄は1泊すると翌日には「この家いてもつまんねえな。帰るわ。」と帰っていった。
 
他の異性の兄妹とはどういうものなのだろうか。年がもっと近かったら、もっと色んな話をしたり、連絡をとったりするものなのだろうか。
やはり私にとっては遠い存在であった。
 
そんな兄との関係が少しずつ変わってきたのは私に子供が生まれてからだろうか。
私が先に結婚し、子供が生まれ、兄にとって甥っ子、姪っ子ができた。
毎年忘れずに、息子、娘の誕生日に「おじさんより」とAmazonで誕生日プレゼントが送られてくる。
昔はメールなんてなかったので、兄に連絡をとるなんてことがなかったが、最近では子供たちの写真や動画を兄に送ったりするようになった。一言「かわいいね」「www」(ネット用語で(笑)を意味するそう)などと返事をくれた。
 
気が付けば兄も45歳になり、もう結婚しないのかな、と気になっていた。
 
令和になって2週間ほどたった日曜日の夕方だった。
子供たちと公園で遊んでいるときに、珍しく兄から突然電話がかかってきた。
「おれさあ。結婚したから!5月1日に入籍してきた。」
「え!? えーー!? よかったねえ! ええー!?? なにそれ!? そーなの!? よかったじゃん! ほんとよかったねえ!! えええーっ!?」
付き合っている人がいることさえを、少しも匂わせることもなく、なんと入籍していた。
公園の景色が涙でぼやけた。
 
母ももちろん驚いて、大喜びに喜んだが、母が大腸がんになり、抗がん剤が始まった頃だった。兄は整形外科医、私は皮膚科医だった。大腸がんは専門外であり、なんとなく状況はわかるものの、抗がん剤の副作用に完全にダウンする母に対し、何もしてあげることもできずに、オロオロしていた。
ところがだ。兄のお嫁さんがなんと消化器内科の女医さんだったのだ。
初対面の母に、「大丈夫ですよ」と安心させ、これから起こり得る副作用に対する対策、こういうときはこのように、と的確にメールで母にアドバイスしてくれた。
母は娘の私には心配するから、とメールさえよこさなかったが、抗がん剤の治療中、母はお嫁さんに頼りっきりだった。
半年の抗がん剤治療をなんとか乗り越えたのは兄のお嫁さんのおかげだ。
母の命の恩人だった。
このようなタイミングで新しい家族が増えるなんて思いもよらなかった。
お嫁さんが加わることで、兄と私の兄妹の関係もまた少し変化する。
私が初めて兄のお嫁さんに会った時も「兄とはあまり一緒に住んでいなかったので、私も兄のことをよく知らないのです。」と話した。
お嫁さんが私の知らない兄のことを教えてくれた。
東南アジアに旅行に行ったとき、土砂降りの雨に合い、兄は雨合羽を彼女にかぶせて、自分はずぶぬれになり、ターミネーターのシュワちゃんのようで、とても男らしいんですよ、と教えてくれた。
女の子にちゃんと優しくできる一面を教えてもらった。
 
家族とはそういうものなのか。
世代が変わり、新しい家族が増え、環境が変わる中で家族の関係性も変わっていく。
 
兄がFacebookに「肉まんに酢じょうゆをつけて食べる」という写真をアップし、それに対し「なにそれ!」と友達から猛反発があった。
私は何ら不思議に思わなかったが、どうやら肉まんに酢じょうゆをつけて食べる、というのは福岡の人がやることなんだそうだ。
そう、うちの両親は福岡出身だったのだ。
子供のころから、小皿に酢じょうゆを作って、肉まんをちょっとつけて食べる。
そういうもんだと思っていた。
「肉まんには酢じょうゆ」をつけて食べる我々は やっぱり 同じ家に育った兄妹なのだ。
 
世の中にはいろいろなきょうだいがいるだろう。
仲がいいきょうだい。
疎遠なきょうだい。
でもきっと どのきょうだいにも、それぞれの「肉まんに酢じょうゆ」があるだろう。
いくら関係が変わっても、そこは一生変わらない。
もとはつながっている。
それがきょうだいだ。
 
 
 
 
***
 
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2020-05-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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