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メディアグランプリ

全てが見え過ぎる日々の中で。AV女優・戸田真琴さんの『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』を読んで


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:タナカ。(ライティングゼミ平日コース)
 
 
小学校4年生のとき、突然目が悪くなった。
 
新学期に受けた視力検査。
両目で0.5しか見えていないことが分かった。
 
保険の先生は顔をしかめて「あなた、黒板見えてないんじゃない?」と、問診票を手渡した。
 
その日を境に、転げ落ちるように視力は低下する一方だったけれど、眼鏡っ子にはどうしてもなりたくなくて、結局高校生になるまでずっと裸眼で過ごしていた。
 
およそ15年間。視界はいつもぼんやりして、全体の色素は薄い。モノやヒトの輪郭はいつだって曖昧で、鏡に映る自分の姿は、現実よりもずっと色白で目もぱっちりしていて、なんだか可愛く見えていた。
 
ところが、高校入学直前の春休み。私はそんな「ふわふわワールド」に別れを告げることになる。
 
「高校生になったら、バイトして自分でお金払うから」と両親に懇願。ついに、憧れのコンタクトレンズを買いに行くことになったのだ。
 
眼科の先生に言われた通りに、パチパチとまばたきすると、目の奥がゴロゴロした。
 
……次に目を開けた瞬間、口から思わず「ええっ」と声が出た。
 
さっきまで無機質だと思っていた診察室は、嘘みたいにクリアで、まるで別世界だった。
 
これが視力1.2の世界。なんだか慣れない。
 
しばらくは感覚がつかめなくて、外を歩くのもクラクラした。
 
眼科の近くで買い物をしていた母と待ち合わせをして、家路を歩く。
 
「1.2の世界、カラフルすぎて怖い。ビルってこんなにくっきりしてたんか〜」
 
「あんた、何変なこと言うてるん。そんなの当たり前やん」
 
そう言って、不思議そうに笑う母の顔には、昨日までなかった細かいシワがしっかりと刻まれていた。
 
私がずっと見えない間、母はずいぶんと年をとっていたのだ。
 
「見えすぎるショック」は、それだけではなかった。
 
洗面所で、鏡をみたら、自分の肌の汚さにびっくりした。
本当に恥ずかしい話なのだけれど、私は視力の悪さゆえ長年、「自分は色白で美肌な人間だ」と大きな勘違いしていた。
 
しかし、現実は甘くない。黄色い肌には細かいニキビがいっぱい住み着いていたし、目は想像していたよりずっと小さい。
 
「これが自分かよ」とため息が出たけど、どうやら、大人しく現実を見て、努力するしかなさそうだった。
 
あれからもう10年の月日が流れて、見えすぎる世界にも、すっかり慣れ親しんでいる。
 
だけど、もし。
 
あの時コンタクトレンズを買いに行かなかったらどうだろう?
 
私はずっと柔らかくぼんやりとした世界で生きていたかもしれないし、自分のことをずっと「色白美人」だと、勘違いしたままだったかもしれない。
 
物事の本質を見ることは、いつだって大事で、これまでもずっと「核心」とか「本質」の類を知りたいと思ってきたし、今も思っている。
 
だけど「見えすぎること」と「幸せ」は、いつもイコールで繋がるとは限らない。
 
最近の私はというと、布団を出るより先に携帯を手に取り「今日は何人?」「本当のことがしりたい」「もっと、もっと……」と必死にSNSをスクロールする。Twitterを、InstagramをそれからFacebookを。
 
それは、まるで「何ひとつ取りこぼさないぞ」「全てを見るぞ」と言わんばかりの徹底ぶりである。
 
すると、どうだ。
 
画面の向こうで、みんなが怒っている。「こんな時に沖縄に旅行に行くなんて信じられない」「こっちはこんなに我慢しているのに」それを見た私も、何故か一緒になって、怒っている。
 
さらに、画面の向こうで、みんなが言うのだ。「こんな時だからこそ、チーズケーキを焼こう」「こんな時だからこそ、部屋の掃除をしよう」「ステイホームを楽しもう!」
 
そうできない自分に腹が立って、「今日も、生きねば」と勢いよく布団をたたみ、ブツブツ身支度をする。
 
多すぎる情報量、消費されていく時間、居心地の悪い後ろめたさを抱えながら、何もできないまま、何者にもなれないまま、私は今日だってのうのうと生きている。
 
「何かしたい」「私だって役に立ちたい」と心で叫びながら。
 
そんな時、ふと目に止まったのが、同世代の作家でAV女優、戸田真琴さんの『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』だった。
 
最初に断っておくと、恋愛や性愛の話ではない。ただただ、文章の美しさに圧倒された。
 
「あんまり見えないまま生きるのは、きれいだ。
(中略)
あれが嫌いとか、あれが汚いとか、あれは噓とか、あれは卑しいものだとか、そんなふうに選り好みしてしまうのは、きっと見え過ぎているからなのだ。
引用:戸田真琴『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』(角川書店)」
 
中国の古いことわざに「識字憂患(しきじゆうかん)」という言葉がある。
 
遥か昔のお偉い文豪家さえも「見えすぎること、知りすぎることはしんどいよ」と言っているくらいなのだから、凡人の私がこの状況にしんどさを感じるのも、無理はない。
 
とはいえ、見えないまま生き続けることは不可能だ。
 
私の目はもう既に「1.2」にピントがあっていて、コンタクトレンズなしの生活なんて、到底、送れそうにないし、今裸眼で外に出ようものなら、10秒で柱にぶつかるだろう。
 
「ならば」と、目に映る光を1.2の視力のまま調整してみる。
「だけど」と、ときどき、薄目をあけたり、ウインクする。片目しか開けない。
 
大きく伸びをして、窓から見える景色に視線を向ける。
 
外の空気は嘘みたいに柔らかく、嫌なことも良いこともかき混ぜながら、春を連れ去って行く。
 
いつも全力じゃなくていい。
全てを見つめなくていい。
そう自分に言い聞かせる。
 
ゴールデンウィークの眩しい光を、ミネラルウォーのペットボトルに反射する光を、何とかコントロールしながら、私はせっせと今日を生きのびている。
 
せっかく生きるのならば、せっかく暮らすのならば、物事の明るい部分を少しでも多く見ていたい。
 
叶うならば、ちょうど良い色素、ちょうど良い柔らかさで。
 
 
 
 
***
 
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2020-05-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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