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ミネストローネにも、あの人との思い出にも、私は砂糖とケチャップを入れる

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:大森瑞希(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「ミネストローネが酸っぱすぎるんだけど、どうしたら良い?」
実家の母に電話をした。
ちょっと照れくさい気がする。
一人暮らしを始めてから3年。
普段はこちらからめったに連絡せず、LINEや電話が来るのはいつも母からだ。
面倒くさいという気持ちが先に立ってしまい、そっけなく返事をしたり、返信すら返さなかったりする。
めずらしく自分から、しかも、料理のことで母に教えを乞う為に電話するなんて、
絵にかいたような円満な親子像のような気がしてなんとなくこそばゆい。
昔はこんな間柄ではなかったのになぁ。
母の教え通りにミネストローネに砂糖とケチャップを入れる。
味はまろやかになり、おいしく仕上がった。
 
就職活動で企業を探す時に、転勤を伴う職種か、住宅補助が出るか、が私の中で重要な基準の一つだった。
それくらい、一人暮らしがしたかった。
あの家にいたら、自分は狂ってしまう。
そう思いながら必死に就職活動した結果、
無事、保険会社に内定が決まり、逃げるようにして神奈川から福岡へ発った。
 
私が幼い頃から、両親の夫婦喧嘩が絶えなかった。
毎晩毎晩、二人の怒鳴り声や、何かを叩いたり、蹴る音が聞こえるたびに、
私は掛け布団を頭まですっぽり被り、体をさなぎのように縮こまらせて嵐が過ぎるのを待った。
それで終わるならいいのだが、大体喧嘩した夜の翌朝は母の機嫌が悪い。
私に飛び火しないよう、母の顔を伺いながら朝食を食べ、支度をする日も少なくなかった。
 
母は完璧主義だった。
勉強もスポーツも家事も人付き合いも、何もかもパーフェクトであることを私に求めた。
私が知らないことを母に尋ねると、母は決まって
「そんなことも知らないの」
と怒った。
知らないということは、母の前では罪だった。
なので私には幼児特有のなぜなぜ期は無かったように思う。
何か知りたいときは、父親や先生、友人に聞くようにしていた。
頼まれたおつかいも、皿洗いも、洗濯も母が望むように私はできなかった。
剣道部主将だったのに大事な試合で負けた。
大学受験に失敗し、一浪した。
母の期待に反して、私はドン臭く、不器用で、失敗ばかりした。
同じミスを何度も犯した。
そして、いつもいつも母を失望させた。
 
私が高校生の頃、両親の間が一層悪くなったので
「お願いだから二人とも離婚してほしい」
と私から言ったことがある。
そうすると母は、
「あんたたち(私と弟)がいるから、離婚できないんじゃない。わかったような口きかないで」と強く怒鳴った。
私は、ああ、子供というのは親の足かせになるんだ、と思った。
離婚したくても子供の為にできなくて、
尚且つその子供も自分の思ったような利口じゃないことに、
母はうんざりしているんだろうな、と思った。
怒りを通り越して、酷く悲しくて、泣いて、胃の中のものを全部吐いた。
どうして母はこっちを向いてくれないんだろう。
 
「お母さんは私を生んだこと後悔してるんでしょ」
私は人生で初めて爆発した。
福岡に転勤が決まり、家を出る前、思っていることを全てぶちまけた。
「そんなこと、あるわけないじゃないのぉ……!」
私の発言を母は否定した。
二人で号泣しながら思いをぶつけあっていく。
「そんな思いをさせていたなんてごめんねぇ、ごめんねぇ……」
母が初めて私の前で折れた。
目の前で泣き崩れている。
その姿が本当に苦しそうで、辛そうで、自分でも和解したいのかそうでないのか分からなくなった。
 
福岡に越してからは、母から毎日のようにLINEが来た。
今までしてきたことの謝罪、娘が家にいなくて寂しいこと、次に帰省するのはいつかということ。
内容は実家にいた時とは正反対の、愛の言葉だらけだった。
この人は、今まで自分が空けてきた穴を必死に埋めようとしている。
ちぐはぐで、ほころびだらけの布を縫い付け、なんとか繋ぎ止めようとしている。
母からのメッセージを見るたびに、この人とは一生分かり合えない、と思っていた自分の気持ちがどんどん揺らいでいく。
ずっと憎み続けることは出来ない。
いっそ母が骨の髄まで冷徹な人なら、ずっと嫌いなままでいられた。
家族というのは厄介だ。
根元からの悪人ではないのを知っているから、愛せもしない代わりに憎むこともできない。
今まで育ててくれた年月、優しさをかけられた思い出が、月が満ち欠けるようにそっと形を変えて発光していく。
 
会社で一番仲の良い先輩だけに、自分と母との関係を相談してみた。
先輩は親身に話を聞いてくれ、最後には「今までつらかったね」と静かに言ってくれた。
私の気持ちがまた揺らいでいく。
母の周りには「つらかったね」と言ってくれる人はいるのだろうか。
 
被害者と違い、加害者に見方はいない。
そして十字架をずっと背負い、生きていくことになる。
サイコパスではないまともな人間ならば、自分がしてはいけないことをして、相手がずっと深く傷ついていることを知ったら、激しい自己嫌悪に陥るだろう。
他人も、自分も、自分のことが嫌い。
絶海の孤島に取り残されたような永遠の孤独を、母は今、味わっているのかもしれない。
私は今まで、母の前では泣かず、弱みを見せたくないと思っていた。
どうせ、私の気持ちは理解してくれないから。
気持ちを伝えても、こちらが言い返せないような言葉と論理でねじ伏せられてしまうだろうから。
そして、きっと自分が傷つくだろうから。
けれど、私も間違っていたのかもしれない。
お互いに傷ついてもいいから、もっと早く、爆発しておけばよかったのだ。
そうしたら、ここまで互いに苦しまなかったかもしれない。
母の背負う十字架はもっと軽かったかもしれない。
その時、私は母親も同じ人間なのだと思った。
たくさんたくさん失敗をして、傷ついて、それに気づいて、
失ったものを取り戻す為に必死に言葉を紡ぐ。
私と同じ人間じゃないか。
 
母に電話をした日の翌週も、私はミネストローネを作る。
そのままだとトマトの酸味が強すぎるから、砂糖やケチャップを足す。
現在、私は25歳。
母は54歳だ。
2人が生きる残りの時間、互いに言葉を注ぎ足し合って、思い出が少しでもまろやかになるといい。
 
 
 
 
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2020-05-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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