メディアグランプリ

落語こそ、いまの社会に必要だという話


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:富山 有樹(ライティング・ゼミGW集中コース)
 
 
わたしは少々落語を嗜む。
月に一度ぐらいの頻度で寄席や落語会に足を運んだり、
作業中のBGM代わりに落語を流したり。
有名な落語家や演目は知っているが、ほぼ初心者といって差し支えない。
 
「なんで落語が好きなの?」
よく訊かれる。
この質問がくると、内心とても困ってしまう。
なぜ落語が好きなのか、わたし自身よくわかっていないからだ。
たまたま聴いてみて、あっ良いなと思った。それだけだ。
 
物語が好きなのか。
古めかしい語り口が好きなのか。
落語家の所作が好きなのか。
 
どれもしっくりこない。
魅力はたくさん挙げられるが、核心に触れた感じがしない。
つい最近まで、その答えがまったく出ていなかった――。
 
2020年3月未明、わたしは浅草にある「浅草演芸ホール」に足を運んだ。
いわゆる寄席という場所だ。
昼の部と夜の部、毎日2回にわけて興行が行われている。
 
すでに新型コロナウィルスが世間を騒がせていた時期だ。
行政からの休業要請はまだ出ていないものの、いつ発令されてもおかしくない状況で、
自主的に休業するところが急増していた。
しかし、寄席は普段通りの営業をしていた(いまは休業している)。
 
観客はまばらであった。
空席の方が目立つ。ソーシャルディスタンスは余裕で成り立つだろう。
これが、新型コロナの影響なのか、今日の演者の人気がないのか、わたしにはわからない。
わたしは周りと十分な距離をとり着座した。
 
入れ替わり立ち代わり、次々に演者が登場する。
基本的に一人の持ち時間は15分前後。
最後に登場する「トリ」と呼ばれる落語家まで、バトンをつなぐかのように進行していく(ちなみに、よく締めの言葉でつかわれる「おあとがよろしいようで」は「次の人の準備が整ったようなので」という意味だ。自分なんかはもう下がります、とへりくだったニュアンスが込められている)。
 
その日の枕(小噺)はコロナ一色だった。
 
「こんな時期によく来たね」
「一番来ちゃいけない場所でしょ」
「家でいなきゃダメだよ」
「唾とんだらごめんね」
「このままじゃ生きてけない芸人がいっぱい」
 
つまりは、自虐だ。
ライブハウスや映画館など、こういった「ハコモノ」の興行形態は、
どこもすでに休業していたからだ。
時節柄、寄席も休業すべきだ!
そんな厳しい声が出てもおかしくないが、まだクレーム等は一切きていないらしい。
 
「違うところが世間から叩かれているうちに、それを隠れ蓑にしてこっそり営業するんだ」
落語家が冗談交じりにいい、笑いを誘う。
 
人によっては眉をひそめ、非難するかもしれない。
早く休業しろ! そんな声が出てもまったく不思議ではない。
世界中で感染者が増え続け、死者の数も尋常ではないのだ。
当然といえば当然の反応だ。
 
しかし、わたしはなぜか、その自虐が不思議と心地よかった。
未曽有の状況においても、そんな風に笑いへと転化させるのがカッコいいとさえ思えた。
スタンス、なのかもしれない。
なぜ自分は落語が好きなのか、その問いの答えに少し触れた気がした。
 
「落語とは、人間の業の肯定」
有名な言葉がある。
これは、故・立川談志が残した言葉だ。
業とは『不合理とわかっていても行ってしまう行為』を指す。
 
この日感じた不思議な心地よさは、まさにこれだったのかもしれない。
 
落語では、業の塊のような「ろくでもない庶民」が描かれることが多い。
ろくに働かず金をせびるもの。
酒と女に溺れるもの。
何度失敗しても反省・学習しないもの。
私利私欲のために人を騙すもの。
 
そんなものたちを、落語家は笑いへと昇華させる。
落語は庶民の笑いともいわれることがあるが、それはとても人情味のある笑いだ。
 
「――ったく、お前はホントにどうしようもねえ奴だな」
よくある台詞。呆れはするが、見捨てはしない。肯定なのだ。
ろくでもない庶民であっても、上から断罪することなど決してしない。
落語家の視座は、いつも庶民と同じ位置にあり、寛容さで溢れている。
 
世間の風潮に従うのであれば、寄席も早々に休業するのが無難だっただろう。
しかし、現実はそんな簡単なものではなく、
休業すると本当に食っていけなくなる芸人が出てきてしまう。
不合理を孕んだ自虐をかますことで、彼らは生計を立てている。
そのときの寄席もまた、一種の業だったのかもしれない。
 
わたしは、業があるからこその人間だと思っている。
常に合理的な人間が、果たして人間的といえるだろうか。
不合理を多分に孕んでいるからこそ可笑しく、「笑い」が生まれるのではないだろうか。
 
いまの日本社会はどんどん生きづらくなっている、とよく口にされる。
わたしもそう思う。
芸能人のゴシップがわかりやすい典型だろう。
浮気をしようものなら、誰であってもバッシングの嵐だ。
それは世論なのか、世論を忖度したメディアの論調なのか。
間違いなく悪いことではあるが、なぜそんなにもバッシングをできるのか。
あなたは絶対にしない、と言い切れるのか。
みんな自分で自分の首を絞めて、どんどん生きづらい社会になっている気がする。
 
緊急事態宣言が出ているいま、
店舗を営業しようものならネット上で晒上げられるケースが噴出している。
隣人が自分を監視し、また自分も隣人を監視する。嫌な世の中である。
こうでなければならない、あたかもそれ以外の選択肢がないかのように。
沿わないものは排除される。
そこにあるのは、肯定ではなく否定である。
 
「落語とは、人間の業の肯定」
落語のように、なにか業があったとしても、まずは肯定していただきたい。
それは、人情ともいえるかもしれない。
落語にはその精神があり、わたしが落語を好きな理由はそこなのだと思った。
 
いまの社会に何か生きづらさを感じていれば、一度落語を聴いていただきたい。
温かな寛容性や人情が、そこにはある。
 
 
 
 
***
 
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2020-05-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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