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手放せないもの


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:脇 美由紀(ライティング・ゼミGW集中コース)
 
 
不愛想だが、よく働く男がいた。
高校卒業後、下町の工場に入社し、60歳になる現在まで、ある機械の部品を作ってきた。部品研磨について素晴らしい技術を持ち、彼の右に出るものはいなかった。
その分、報酬は他の社員より随分高かった。給与は月60万円を超えていた。
この男について、相談を受けることになった。
 
「給料を減らしたいのですが……」
 
社会保険労務士になって15年、様々な相談にのってきた。
今回は、給料を下げたいとの相談であった。
不景気による会社の業績悪化により、給料の高い社員の給料を下げたい、そういう会社は多い。
しかし、今回はそのような内容の相談ではない。
「給料を減らしたい」と言ってきたのは、この男自身である。
自分の給料を減らしたいというのである。
 
彼は60歳、老齢年金を月10万円もらうことができた。
しかし、老齢年金は、給料が高いと減額されるしくみになっている。
 
これは「在職老齢年金」というしくみである。
年金と給料の合計が月28万円を超えると、超えた金額の半分が年金から減額される。
例えば、年金と給料の合計が30万円だとすると、28万円を2万円超えている。その2分の1の1万円が年金から減額される。
彼の給料は60万円超。なので、年金が全くもらえない。
給料を月18万円にまで減らせば、年金を全額もらうことができる。
彼はそれを望んでいた。
本当にそれで良いのだろうか。
 
例えば、青森県産りんごを1個持っているとする。その1個のりんごを手放せば、長野産りんご6個をもらえるとしたら、どうするだろう。
今持っている1個のりんごを手放したくないから、6個のりんごはいらないのか。原産地は違うにせよ、同じりんごである。
 
彼には年金10万円をもらう権利がある。
彼は、その10万円を手放したくないから、60万円の給料はいらない、と言っている。
10万円を手放して、60万円の給料をもらった方が良いのは、明らかだ。
 
お金の話だけではない。
 
会社が彼の高い技術力を認め、その対価として支払う給料である。本当に技術力の高い仕事をしているのだと思う。その対価がいらないということは、自分の価値を否定することにならないだろうか。
また、給料を下げるためには、週3日勤務とか、パートの働き方になるかもしれない。そうなれば、健康保険料を別途払う必要が出てくる。余計な出費がかさむことになる。
さらには、健康のためにも働くのがいいと聞く。人生100年時代、まだまだ人生は長い。
 
つまり、給料を下げて、いいことなど何もないのだ。
 
一通り話をすると、彼は、「給料はこのままでいい。年金は要らない」と言って、足取り軽く帰っていった。年金への執着をやめ、今まで通り働くことを決心したのだった。
働くことで、自分の価値を認識できる。後ろ姿が誇らしげに見えた。
 
彼のように、自分の給料を減らしたいと相談にくる人は結構多い。
 
「またか……」と思いながら、丁寧に説明をしていく。
普通に考えれば、どうすべきかわかることだ。
なのに、なぜ、人間は目の前にあるものに執着するのか。
手放せば、入ってくるものがあるのに、気が付かない。
年金をずっと支払ってきた。払った分は、もらって当然だ。そんな考えがあるようである。
相談を受けるたび、彼らの考えが理解できなかった。
 
そんなとき、自分にもよく似たことがあることに気がついた。
私にも執着していたものがあったのだ。
 
10年ほど前に買ったスーツである。
私はそれが手放せなかった。
講師として教壇に立つために、見栄え良く見せようとして、スーツを好んで着ていた頃だった。憧れのフランスのブランド店にふと立ち寄った。言われるがままに試着、店員さんに「このメーカーの服が体型に合っていますね」と言われ、ご機嫌になり、高額にもかかわらず、衝動買いしたものだった。
今思えば、リップサービスだと分かるのだが、店員さんが上手だった。
幾度となく、その薄ピンク色のスーツを着ようと思ったのだが、何だか、シックリこない。
私には似合わない。結局、10年以上、一度も袖を通すことがなかった。
なのに、捨てることができなかった。
 
毎年、衣替えをする度に、「もう着ないかな……」と思いながら、捨てきれず、洋風ダンスの奥にそのまま押し込んでいた。私は現在、スーツを殆ど着ない。必要のないことは分かっていた。なのに、捨てることができなかった。
「あんな高いお金を払ったのに、一度も着ていないなんて、納得がいかない」
そう思うと手放せなかった。
「たくさん年金の保険料を払ったのに、年金がもらえないなんて、納得がいかない」
彼らの考えと、全く同じである。
 
自分のことは見えにくい。他人の執着を滑稽に思っていたが、自分も同じだった。
「たくさんのお金を払ったのに」
「……のに」という感情が加わると、余計に執着してしまうのかもしれない。
 
先月、私はやっと薄ピンク色のスーツを手放すことが出来た。
衣替えをする前に、『片付けの心理法則』という本を読んだのだ。
そこには、「誰かが買ってくれるとしたら売るか?」という捨てるための思考法が書いてあった。売るに決まっている。あのスーツは必要ないことは知っていたのだから。
そして、ブランド専門の買取り店があることを思い出し、箱に入れ、その日のうちに送ったのである。
買取り価格は、数百円。それでも良かった。やっと手放せた。心がスッとした。
必要ないとわかっていたなら、もっと早く手放せばよかった。けれど、なかなかそれができなかった。
 
それを契機に、家の片付けがドンドン進んでいった。ドンドン爽快感が増していった。
 
「手放さなければ新しいものは生み出せない」
これは、キャロル・S・ピアソン著『英雄の旅(ヒーローズジャーニー)』の中の一文である。
 
手放せないもの。それは、お金であったり、物であったり、考え方であったりする。
全てを手放す必要はないけれど、必要がないと分かっているものは、早く手放した方がいい。
必要がないと分かっていたのに、私はずっと手放すことができなかった。
そして、手放すことで、心も身体も軽くなった。
あなたにも、手放すことができないものはないだろうか。
 
 
 
 
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2020-05-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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