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これも「不倫」と言われてしまうのでしょうか


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記事:布施京(ライティングゼミ・平日コース)
 
 
「声が聞きたい」
 
自宅のパソコンに届いたメールには、一言、そう書いてあった。
だが、アドレスに見覚えはない。
件名には、携帯電話番号と思われる「090」から始まる11桁の数字。
 
普通だったら、削除するメールに分類される。
だが、そうできなかったのは、一つ気になる点があったからだ。
 
メールアドレスの「@」の前が、「sakura0826」だったからだ。
「0826」が「8月26日」を意味しているのであれば、それは、私の誕生日だった。
 
誰だろう。
 
すぐには思いつかなかった。
いや、ひょっとしたら、という人物は一人だけいた。
 
だが、まさか……
 
それは、大学4年の桜の時期に付き合い出した彼だった。
付き合ったのは、1年と6ヶ月。
卒業と同時に遠距離になり、半年で終わった。
 
大学卒業の年は、桜の開花が遅かった。
卒業式で彼と一緒に桜を見ることができなかった私は、大学がある九段下周辺の桜の名所を写真に収め、彼の実家に郵送した。
 
「京の写真が欲しかった」
 
そう言われたのを覚えている。
携帯電話なんか、なかった時代の昔話だ。
 
彼は、見た目はロッカー。くわえタバコに、昼間からお酒。2時間の遅刻が当たり前の常習犯。
 
「あの子が留年しないで卒業できたのは、京ちゃんのおかげだわ」
 
と、彼の母親には気に入られていた。
しかし、私の母には、遠距離恋愛が終わって、「別れて本当によかった」と安堵された。
 
正直、ルーズでどうしようもない人だった。
じゃあ、なぜ好きになったのか。
 
出会った頃、『100万回生きたねこ』という童話をプレゼントされた。
それが、いけなかった。
ロッカーからの童話のプレゼント。
ギャップに弱いのは、私だけではないはずだ。
本が大好きで、書籍についていろいろと語ってくれた。
私が大変な時は、心にしみる本にメッセージを書き込んで、贈ってくれた。
会うと、彼から学ぶことは多かった。
彼が住む地域の教員採用試験も受けた。
結婚を意識した、最初の人だった。
 
今のように携帯電話があれば、違っていたかもしれない。
だが、彼の本心が見えず、不安と待つことに疲れてしまった私は、自分から終わりにした。
 
「京がそう言うなら、仕方ない」
 
あっけない終わり方だった。
彼にとっては、その程度だったのだ。そう思った。
自分から終わりにしたのに、私はその後、10年以上も彼を引きずることになる。
 
適当に、付き合った人はいた。だけど、なぜか彼を忘れることはできなかった。
公衆電話を見ると、彼に電話をかけたくなった。
彼の実家の電話番号は、指がずっと覚えていた。
 
精神的に強くなりたいと思い、海外ボランティアに志願した。
彼を忘れられるようになりたい。不順な動機だった。
だが、苦労が多く、やりがいのある充実した2年間の途上国の生活は、私に変化をもたらした。
 
帰国した私は、次の海外ボランティア活動のための研修で、彼の住む地域に行くことがあった。その時、私は、ある大学の図書館を訪ねた。どうしても、確かめたかったからだ。
 
大学卒業後、その大学の図書館司書として、彼は働いていた。
彼は、私が現れたことに驚いていたが、私を図書館の中で待つように言った。
まじめに働く彼を、冷静に見ている自分がいた。
タバコ休憩に、一緒に外に出た。
 
その時、何を話したのかは、覚えていない。
ただ、別れ間際、海外で習慣になった別れのハグをした。
 
「……本当に、大好きだった」
 
私がそう言ったのは覚えている。
 
「過去形なんだな」
 
彼にそう言われ、微笑みながらうなずいたのも覚えている。
それで、ようやく、私の長い恋は終わったのだった。
 
もし、メールの送り主が彼だとしたら。
もし、このメールアドレスの意味が、私の送った写真の「桜」と私の「誕生日」を組み合わせたものだとしたら、パスワードは私の名前になるのではないか。
 
そんな勝手な推理を立てて、アカウントを入力し、パスワードに自分の名前を入れてみた。
 
すると、当たり前のように受信トレイが表示されてしまった。
 
「え……?」
 
慌てた手で、急いでマウスを掴み、その受信トレイを閉じた。
 
何も悪いことはしていない。いや、していないはずだった。だけど……。
まるでハッカーのような行為をしてしまった自分に、懸命に言い訳をした。
 
そして、呆然とした。
 
「やはり、彼だった……」
 
私は、二度目の海外ボランティアから帰国後、結婚し、子どもを授かった。
 
「私が結婚したのを知らないのだろうか」
 
共通の友人は多かった。だが、彼は、自分から連絡をするタイプではなかった。
では、どうやって私のメールアドレスを入手したのか……謎。
横で寝ている、1歳になる息子を横目にそんな事を考えた。
 
その頃、私は夫とのケンカが絶えなかった。
 
「今、彼の声を聞いたら、会いたくなるのではないか」
「会ったら、今の夫の不満をぶちまけ、彼を頼ってしまうのではないか」
 
そう思うと、電話はできなかった。薄っぺらい不倫なんて、したくなかった。
 
「もっと、幸せな私を、堂々と見せたい」
 
結局私は、電話も、返信もしない、という選択をした。
 
だが、4年後、この選択をした自分を、心の底から恨むことになった。
それは、彼の訃報を聞いたからだ。44歳だった。
 
大学の友人からの連絡で知った。
彼の両親はすでに他界していて、地方に嫁いだ妹さんが、連絡が取れなくなった彼のアパートに行って発見した。死後1ヶ月が経っていた。死因はわからなかった。
 
私が、そんな寂しい死に方をさせてしまったのではないか。
 
あのメールが届いた後、電話をしようと思えばできた。
だけど、夫との関係が良好な時は、夫への罪悪感から連絡ができなかった。
 
彼への想いは、確かに過去形だった。
だけど、その過去があまりにも重すぎた。
声を聞いて、うれしいと思ってしまうかもしれない自分が怖かった。
しかし、すべては、虚しい言い訳に過ぎなかった。
 
息子を連れて、新幹線に乗り、彼の墓参りに行った。
在来線に乗り換え、バスに乗り換え、竹やぶを抜けて、ようやく着いた。
誰も居ないのが見渡せる、小さな墓地だった。
彼のお墓はすぐに見つかった。
お墓の横に刻まれた彼の名前を見た時、ようやく実感した。
刻まれたばかりの、真っ白い文字だった。
涙が、あふれてきた。
その名前にそっと触れて、彼の名前をつぶやいた。
嗚咽が止まらなくなった。
 
「ごめんね……ごめんね……」
 
それしか、言えなかった。
他に言えることなど、何もなかった。
 
きっと、天国からすべてお見通しのはずだ。そう思った。
 
何もわからない息子が、きょとんと立っていた。
 
「ごめんね……」
 
息子を抱きしめ、思い切り泣いた。
 
ようやく落ち着き、息子を墓前で紹介した。
そして、彼の大好きなお酒とタバコを供えた。
 
お墓参りをしたことで、後悔に苛まれていた気持ちが少しやわらいだ。
 
その後、職場が九段下周辺に移転した。
彼を忘れられなくて、何度も訪れた思い出の場所が、そこにあった。
 
始めのうちは、もう会えない事実に、朝から涙腺を緩めることもあったが、毎日のように思い出していると、彼に話し掛けるのが日常になってしまった。
彼が死んでしまったことで、心の距離が縮まった。
 
すでにこの世に存在しない彼を思い出すことに、夫への罪悪感はないと言ったら嘘になる。
 
だけど、若くして亡くなったジェームス・ディーンが多くの人の心に刻まれたように、彼も私の心に刻まれてしまったことは、もうどうすることもできない。
 
 
 
 
***
 
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2020-05-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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