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隠しごとの本末転倒


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記事:加藤里加子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「親父がさ、癌なんだ」
 
その会話は、偶然私の耳に入ってきた。
 
ずい分昔のことだ。
会社の運動会の昼休み。同じ職場の同僚たちと一緒に弁当を食べているとき、私のすぐ後ろ、2人の男性社員が話しているのが聞こえた。
 
「悪いのか?」
「もう、あまり……長くないらしい」
「帰省しなくていいのか? こんな運動会とかに来てる場合じゃないだろ?」
 
会社が休日に「大運動会」を開催し、社員が職場単位で参加して、弁当代やら入賞賞品やら全て会社持ちの、そんなイベントが当たり前だった時代だ。
 
それでも、さすがに「父親が病気で長くない」となれば、運動会欠席の理由になる。というか、帰らなきゃダメだろう。
 
「でもなぁ……」
 
煮えきらない声。
 
「俺、もう何年も帰ってないんだよ、実家に」
「正月も?」
「毎年スキー行ってたし」
 
そう。この頃は、スノボではなく、「私をスキーに連れて行って」な時代だった。
 
「もう長くないから、親父には病気のこと内緒なんだ。でも、ずっと帰省してない俺が、正月でもないのに急に帰ったら、変だろ?」
 
私の胸のどこかがキシリと音を立てた。
 
「親父に怪しまれて、それで、病気のことが親父にバレたら……って思うと、帰っていいのかどうか、分からないんだ」
 
2人の会話は、そこまでしか覚えていない。
私の心は、その数年前の自分に飛んでいた。
 
父の妹が癌だという連絡は、母から来た。
私が就職し、横浜に暮らすようになって、1年目の冬だった。
 
未亡人の叔母は、子どもはおらず、都内で一人暮らしだった。検診で子宮筋腫がみつかり、都内の病院に入院した。すぐに腫瘍切除のための手術が行われたが、開けてみたら悪性で、手の施しようがないほど転移が進んでいたという。
 
病院は、それを叔母には伏せたまま、叔母の唯一の肉親である父を呼んで説明し、父は、叔母に病名を明かさないことを選択した。インフォームド・コンセントが定着している今とは違い、当時はがん患者に病名を明かすことはほとんどなかった。
 
「あなたが一番近いんだから、お見舞いに行ってくれる?」
 
母は、電話口でそういった。
新潟の両親に比べれば、横浜の私の方が断然近い。私は承諾した。承諾はしたが、気持ちは重かった。
 
私は隠しごとが苦手だ。
 
何か隠しごとをしていると、態度に出たり、それをごまかすために余計なウソを並べたり、ウソで膨らんだ風船の大きさにテンパったりする。子どもの頃からそうだったし、多分、今もそうだ。
 
私は叔母と仲がよく、叔母のマンションに泊まることもあった。だから、私の態度のちょっとした違いでも、叔母に伝わってしまうような気がした。
 
そんな緊張感を胸に、私は叔母のお見舞いに行った。
病院の近くの花屋で花を買い、病室に行くと、叔母は驚き、喜び、花瓶を借りてきて花を活けた。
 
私は叔母と他愛もない世間話をした。不自然な態度ではなかったと思う。
だが、叔母が、仕事が忙しくてなかなか病院に来なかったことを後悔する言葉を口にした時、私の心は軋んだ。
 
「今までが働きすぎだったんだから、この機会にゆっくり休んだら?」
「退院したら、すぐに仕事に戻らないで、新潟に帰ってのんびりしようよ」
 
動揺を叔母に悟られないよう、そんな言葉が次々と口をついて出た。
 
白々しい。
 
叔母はもう退院することはないだろう。それを承知で「退院したら」なんて言葉を口にする自分を、私は嫌悪した。
 
「また、お見舞いに来るね」
 
そう言って病室を出た私が、次に病院を訪れたのは2週間後。上京した母と一緒に叔母を見舞った時で、それが最後の見舞いだった。
 
叔母の病状は、たった2週間で、驚くほど進んでいた。前回は自分でナースセンターまで花瓶を借りに行ったのに、もう自力で歩けないほど衰弱していた。
 
そんな叔母の姿を見て、母が泣き出した。
叔母も母に抱きついて、「義姉さん、義姉さん」と泣きじゃくった。
 
その時、私は思った。
叔母は、自分がもう長くないことを知っている、と。
 
母が泣き出したのが決定打になったのかもしれない。そう考えて、私は母に腹を立てた。
 
でも、もし母が平静だったら、叔母は泣くことができなかっただろう。あの時、母にすがって思い切り泣いたことは、叔母にとってよかったのだ。今はそう思う。
 
その後まもなくして叔母は他界し、私の胸には後悔が残った。
もっと頻繁に見舞いに行けばよかった、と思った。
 
私は、叔母に病気のことを隠していた理由を考えることなく、秘密がバレないようにと必死になりすぎて、その結果、一度しか叔母を見舞うことがなかった。
 
それは、本末転倒。
 
宗教の教義を歪んで解釈し、教義に反した人をやみくもに罰するようなものだ。「人の心の幸せ」という目的を見失うから、教義という手段に振り回される。
 
叔母の幸せという目的を見失い、隠しごとを守ることだけに振り回された自分を、私は今も後悔している。
 
「病気のことが親父にバレたらどうしよう」
 
そう悩んでいた男性社員は、あの後、帰省したのだろうか。
彼が今、私のような後悔を抱いていないことを、願うばかりだ。
 
 
 
 
***
 
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2020-05-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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