メディアグランプリ

子育てにやさしい街は、ニュータウンの村だった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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渡邊真澄(ライティング・ゼミ通信コース)
 
 
ターミナル駅から自転車で10分。この日も仕事帰りに自転車を飛ばしていた。駅前の大きな商業施設を抜けて、子育て世帯に人気のマンションを通り過ぎ、竹林の間の細い道に出る。その先にある酒屋さんと自動販売機。その前にランドセルを背負った子どもが5人ほどいた。1年生になって2か月の息子が見えた。5人はコップに入ったジュースを美味しそうに飲んでいる。「あんたら、何してんの?」私が声をかけると、2年生たちは「あ、まずい」という顔になったが、息子は自慢げに話し始めた。
 
「あんな、みんなと学童から帰ってたら、薫君が『ここにお金あるねんで』いうて、ここの小さいとこに手入れたら100円あってん。ほんでな、ここにお金入れてボタン押したらジュース出てきてん」誰かが釣銭口から取り忘れた100円玉を見つけた薫くん。お金を取って、ジュースを買ったのだろう。これが初めてではなさそうだ。学校帰りのジュース。みんな嬉しそうに少しずつ飲んでいた。「表に出たら、この子ら缶ジュース回し飲みしてましたさかいな。そんなんせんでも、コップに入れて飲み、言うて私コップ持ってきましてん」自動販売機のオーナーである酒屋のおばあさんが、お盆を持ってにこにこして子どもたちの横にいた。「すんません。ほんますんません」と謝り倒し、「はよ帰っといでや」と息子に言って私は自宅アパートへ自転車を走らせた。帰ってきた息子をきつめに叱ったが、自動販売機の前を通るたびしばらく釣銭口に手を突っ込んでいた。
 
酒屋のおばあちゃんが息子たちを咎めず、コップまで持ってきてくれたのは理由がある。おばあちゃんは学童帰りの息子たちを、毎日家の前まで送ってくれていたのだ。毎日夕方、家から小学校までおばあちゃんは散歩していた。ある日、学童の子たちが帰る時間と時間帯が一緒だったと知り、おばあちゃんは学童の先生に声をかけた。「私、どうせ散歩で歩くさかいに、子どもら送っていきますわ」酒屋の2代目のおばあちゃん。地域のことはよく知り、顔も知られている。「すんません。できる時だけでええんで」と学童の先生からもお願いし、おばあちゃんが毎日息子たちを送ってくれることになった。息子の口にセキュリティロックはない。帰り道、2年前にお父さん(元夫)とお母さん(私)が離婚して、家賃の安いアパートに引っ越してきたこと、お母さん(私)と二人暮らしであることをおばあちゃんに話していた。息子が家の鍵を忘れたときは、アパートの前で一緒に待ってくれていたこともある。学童の集団下校の時などは、「村の子たちは酒屋のおばあちゃんと帰ってね」と先生たちはおばあちゃんが来るのを待っていた。「村の子たち」。初めて聞いたとき驚いた。
 
息子の小学校区は江戸時代にできた村だった。50年前ニュータウンの開発指定区域に指定されたが、代々この村に住む人達の猛反対にあい開発区域から外れ「ニュータウン除外地区」となった。私と息子が引っ越したアパートは、マンションに囲まれた谷のような場所にあった。近所には、蔵や土塀がある古い家が並び、小さな古いアパートが5棟ほどあった。そこが村と言われ続けるエリアだった。

学童の保護者会などで息子と私が村に住んでいるというと、羨ましがられた。「いいよねえ。村は。集団登校の時、あのおじいちゃんいてくれるでしょ。安心だよね」集団登校は8つほどの班があった。息子の班は村に住む10人。いちばん小さい班だった。うちのアパートの隣にある小さな公園が集合場所。そこに毎朝、近所のおじいちゃんがいた。散歩帰りにおじいちゃんは公園で子どもたちが集まるのを待ち、全員そろって登校するまで公園にいた。「ほら。ちゃんと並びや」と整列までさせてくれた。さすがに申し訳ないと思った保護者たちが、一度おじいちゃんにお礼を言いに行ったらしい。「ワシ、好きでやってますさかい、気にせんでよろしいで」とおじいちゃんが言ったと聞く。息子は6年間、毎朝おじいちゃんに見送られて登校した。
 
息子が卒業式の日、親子でおじいちゃんにお礼を言いに行った。「卒業おめでとう。横浜引っ越すんやてな。元気でな」おじいちゃんは笑顔で息子に言ってくれた。酒屋のおばあちゃんは、自動販売機の前で待ってくれていた。「6年間、お母さんも息子君もよう頑張ったね。新しい土地でも元気でね」小学校に着く前に、すでに私は泣きそうだった。
 
息子の小学校区は、今でも子育て世帯にやさしいエリアとして人気だ。ターミナル駅まで歩いて10分程度。駅前の大きな商業施設。新しい図書館と公民館。その先にある森のような公園。でも、住んでみてわかった。私の子育てにやさしかったのは、交通の利便性でも商業施設でもない。新しい図書館や公園でもなかった。ムラに住む、おばあちゃんとおじいちゃんだった。「好きでやってますねん」という自由でさりげない優しさだった。
村を出て7年経った。息子は大学生になり、私の子育ても終わった。酒屋のおばあちゃんどうしてるかなと息子に話した。もう帰れない時間と場所だが、今でも私のなかに残っている。「そういえば。俺、今でも自販機でジュース買うとき、釣銭口に手入れるわ」息子のなかにも、残っていたようだ。
 
 
 
 
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2020-05-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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