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学校で教えてくれなかったこと


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:印田 彩希子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
先生。
私が知りたかったのは、努力し続ける方法とか、もしくは上手に諦める方法とか。
そういうことが知りたかった。
中学の卒業式の日、先生に見送られながら思ったことは、結局口に出すことはないまま今に至る。
 
私が生まれて初めで出会った芸術家は、美術準備室にひっそりといた。
見つけたのは偶然だった。
美術室に筆箱を置き忘れて、放課後取りに戻ったら準備室の電気がついていた。
その日は美術部はお休みの日だったから、誰か消し忘れたんだろう。スイッチを切ろうと準備室を覗いて、時が止まった。
ような気がした。
 
そこにあったのは1枚の絵。
目に飛び込むエメラルドクリーン。
海の中。
光の差し込む水底で、白い馬がこっちに向かって立ち上がっている。
嘶きが泡になって、波になる。
油絵だった。
 
「どうした」
準備室の奥から声がした。
美術教員の樋口先生が描いていた。
豊かな口髭を蓄えたおじさん先生。パイプを咥えさせたらそのまんま漫画に出てくる芸術家みたいで、生徒の期待を裏切らない風貌だった。
年齢と外見に似合わずバスケが得意で、球技大会の教師チームでバスケ部顔負けの活躍をし、得点を入れるたびに生徒からは「出た! ルネサンス・シュート」なんて囃されていた。
 
「筆箱忘れちゃって」
そう言いながらも、絵から目が離せなかった。
「上手いですね」
言ってすぐに後悔する。なんかもっと、この衝撃にふさわしい言葉があるだろう。
これだから国語の授業なんて役に立たないんだ。
「あの、見てっても良いですか?」
樋口先生は答える代わりに準備室のドアを開けてくれた。
 
冬の準備室は寒い。
古めかしい石油ヒーターが頑張ってくれているが、ちょっとでも離れると制服のスカートの足元に隙間風が当たって冷える。
ストーブの前に陣取った私は、餅を焼くみたいに体の前と後ろを交互に炙りながら、先生が描くのを眺めていた。
先生は寒くないのだろうか? 集中してるから平気なのか。
素人目には、絵はもう完成してるように見えるのだけど、それでも黙々と手を加えていく。
先生にとって完成は、まだ遥か遠くにあるみたいだ。
 
「ちょっと休憩」
そう言って先生が伸びをするまでに、どれくらいの時間が経っていたのだろう。
休憩はあっという間のような気がしてたけど、日の傾き具合からそれなりに時間が経っていた事に気づく。
「授業中よりよっぽど集中して見てたな」
と笑われたので、
「先生も、授業よりよっぽど集中してましたよ」
と返しておいた。
 
私はその頃、将来は舞台俳優になりたいと思っていた。
演劇が好きだった。
学校には演劇部がなくて、電車で5つ先の駅にある劇場で「中高生のための演劇クラブ」なるものに週2で通っていた。
地元で活動している劇団の人たちが面倒を見てくれて、そこには大好きなものを共有する仲間たちがいた。
でも、そのせいでなんとなく気づいてしまっていた。
同じくらいの歳の子でも、圧倒的に才能のある子、キラリと光る何かを持っている子がいること。
 
自分は持たざるものだということ。
 
器が小さいから、すぐに人を羨んで、妬んでしまう。悔しくて、卑屈になって、ダメになる。
それじゃダメだと思っても、心がズタズタに千切れてしまいそうになる。
同じものが好きで、仲間のことが好き。なのに、嫌な気持ちが湧いてきてしまう。
なりたいものに、自分はなれないのかもしれない。
 
先生は、何になりたかったのだろう。
今、先生が絵を描いているのは何故なのか。
聞きたいけど聞けないことが、山ほどあった。
先生の絵を描く姿を見たのは、その一度きりだった。
 
卒業式の日、卒業アルバムに樋口先生のサインをもらいに行った。
あの油絵の、端っこにあったサインと同じやつ。「higuchi」と書かれた芸術家のサインだ。
「印田には、もっと教えなきゃいけないことがあったかもしれん」
サインをしながら、先生はそう言った。
私の卒業アルバムの見返し部分が真っ白だったせいだ。
大体の生徒は、見返しの余白部分は友達とかクラスメイトの寄せ書きで埋め尽くされているものだ。
仲の良い子がいないわけじゃなかった。
でも私にとって学校の友達はどこか、学校生活を問題なく乗り切るための共同戦線のような、割り切った関係だった。
本当の友達を作るのは、なかなか難しいのだ。
 
先生には、真っ白な見返しが私の学校生活3年間の象徴のように見えたのだろうか。
 
だとしたら、先生。
学校では私の知りたいこと、教えてもらえなかったよ。
演劇部が無くて仕方なく入った部活はバドミントン部で、でも動体視力がゼロだったからラケットにシャトルが全然当たらなくて、ようやく当たるようになるまで1年、なんとか打ち合いができるようになるまでにもう1年かかって、気がついたら引退だった。
こんなの部活という名の3年間の服役でしょ。
恋なんてなかった。少女漫画なんて嘘ばっか。
学校には、勉強くらいしか打ち込めるものがなかった。
でも頭に詰め込んだ知識と、私が生きること、何の関係があるの?
私が知りたかったのは、なんか、もっと。
前向きに努力し続ける方法とか、上手に諦める方法。
そういうことが一番難しいはずなのに。
これからも生き続けなきゃいけない私たちにとって、一番必要なはずの事を、授業では教えてくれなかった。
 
あれから17年。
私は高校も、大学も卒業して、今も演劇を続けている。
あの頃の演劇仲間で今も続けているのは、片手で数えられるだけ。
自分より才能のある奴が辞めていくたびに、なんであの子が辞めなきゃいけないのか、本当にやめるべきは自分なんじゃないか、そんなことを何度も思う。
それでも。
辞めたあの子の決断が安易だなんて言わない。
あの子にとって、演劇が生きることそのものだった日を知っているから。
 
続けている私の決断が惰性だなんて言わせない。
私にとって、演劇が生きることに直結しているから。
 
今なら分かる。
中学校のあの日々は、空白なんかじゃない。
毎日、生き残るために必死だった日々。
前向きに努力し続ける方法と、上手に諦める方法の間で、毎日必死に足掻いていた。
 
今日という日は二度とこない。
時間は前にしか進まないから。
最低だった今日も、最高だった今日も、もう戻ってこない。
今日が最悪だった人にとって、それは希望だろうか。
時間は有限で、あらゆるものはいつか無くなってしまう。
分かっていても、生きた痕跡を残したいと足掻き続けてしまう。
 
先生もそうだったのかもしれない。
生徒には見せなかったけど、いつだって希望と絶望を抱えながら生きていたのかもしれない。
本当に大事な事を授業で教えることができないのは、それが生きることそのものだからだ。
大人たちだって、迷いながら生きている。
 
先生がエメラルド色の水底で起こした小さな波は、今も私の心の中を揺らし続けている。
 
 
 
 
***

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2020-06-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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