「食べること」に関心がなかった私が、「料理の仕事」を始めたわけ
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記事:宍倉ゆき(ライティング・ゼミ通信限定コース)
「また、過労からくるストレスって言われるのかな?」
病院の待合室で、時計とにらめっこしながら順番を待っていた29歳の冬。異様にお腹が痛くて、職場近くの医者に駆け込んだ。受付を済ませて待合室を振り返ると、いつもの倍以上の患者さんが待っていて、がっかりしたのを覚えている。
検査後、先生に紹介状を書いてもらい、最後に一言「昨日の晩御飯、何を食べましたか?」とさりげなく聞かれた。
答えられなかった。
何を聞かれているのかは、わかっていた。なんだっけ? 営業職として働いていて、仕事を覚えることが第一だった。食べたことは覚えているけど、メニューまでは覚えていない。そう伝えると、「病気ってね、原因がわからないことが多いんです。遺伝や体質もあるけれど。お仕事がハードなのは分かりますが、自分でできる範囲を変えていくしかないんですよ」と。
紹介された大学病院に行き、診察を受けた。気になって、聞いてみた。「先生、この病気の原因は何でしょうか?」眉毛をぐっと下げながら、先生は一言「わかりません」と。え? 大学病院で研究をしている先生にも、わからない。そうか、わからないんだ。かかりつけ医の言葉を思い出し、自分で心当たりのあることを変えてみようと思った。
生活リズムは仕事の分量によって違うから、睡眠時間は増やせない。
食事の内容を、変えてみよう。そう思い、1週間分の食事を写真に撮り、日曜日にまとめてメモに書いてみた。朝はテンションを上げるためのお菓子とパン、昼はタクシーの中でウィダーインゼリー、夜はコンビニ弁当が週3日。残りの2日は、直帰と直行で夜と朝ごはんはなんとか定食らしきものを家で食べていた。確かにこれだと病気になってもおかしくはない。
冬の寒い時期だった。
簡単に作れる料理って、何かな。
そうだ、スープだ!
近所の書店の料理コーナーで「野菜コトコト スープ!スープ!」という本を買い、カフェに入った。パラパラとめくってみると、「チリビーンズスープ」が目に留まった。牛ひき肉で旨味を、キドニービーンズと玉ねぎ、きのこを入れて栄養価の高いスープに。これならば、切って煮込むだけ! 私でもできる。隣の八百屋で手あたり次第、野菜をかごに入れて、肉屋では特上ひき肉を奮発して買った。
オレンジのフタのほうろう鍋で、刻んだ野菜と肉を炒めて、30分煮込む。
チリペッパー大さじ3、と書いてあったが辛いのは胃に良くなさそうなのでやめた。みじん切りにした野菜と、赤いチリビーンズがみっしりと詰まったスープ。トマト缶の赤が、少し勝った赤茶色。食べてみた。うーん、こういうものなのかな。アメリカの推理小説で、読んだことはあるけれど。冬の間中、食べ続けた。朝ごはんにはパンと、夜は夜食時間帯になるのでとろけるチーズを入れて。
「何か、運動でも始めましたか?」
3か月後の検査を終えて診察室に呼ばれた時、先生に聞かれた。
特に何もしていない、と答えると「貧血の項目が、だいぶよくなっています。筋肉量も増えているし。運動じゃないとすると、食事かな?」
そうなんです、と答えるとふわりと笑いながら「いいことですね。食べたものから、体は作られているので。病気になった時、生活を見直すのはとても大事です。薬は補助。自分で治すんだという気持ちがあると違いますよ。」
それから、カボチャ、にんじん、ほうれん草のポタージュといろいろなスープを試した。
翌夏は、トマトが流行った。
どの品種をスープに選んでいいかわからず、勉強も兼ねて野菜ソムリエの資格をとった。煮込みだったらシシリアン・ルージュやホールトマト缶、生食だったら桃太郎とカットトマト缶。品種毎の味わいを確かめながら、料理のレポートを書いた。
「もっと野菜を知りたい」
社会人向けの農業大学校に入り、週末は畑に通った。卒業と同時に会社を辞め、農家で働くことに。米と野菜作りは、重労働だった。一番褒められたのは、「まかない食づくり」
市場に出荷できないB級品の野菜を使い、5人分を3食作る仕事だ。
味付けの好み、季節柄食べたくなるメニューを考える。夏はきゅうり、トマト、ナス。冬は大根、白菜、ほうれん草。毎日同じ野菜が大量に届く。
飽きないように、味付けや食感を変える。内勤の人には薄い味付けのメニューを、畑で力仕事をしている人には元気のでるピリ辛中華を。
「今年の検査、尿酸値が下がったよ」と、60代の男性スタッフから声をかけられた。
「善玉菌(HDL)が増えた」は、70代の女性から。
今までは、スーパーの総菜を買って昼と夜は済ませていたからね、とのこと。
やった、と思った!
食事を見直すって、大事なんだ。私だけじゃなくて、他の人にも言えることなんだ。
料理の仕事にたどり着いたのは、病気がきっかけだった。
かかりつけ医の「昨日の晩御飯、何を食べましたか?」は、今でも忘れられない情景として心に残っている。
***
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