【音楽は灯台だった】周りが幸せをつかむ中、自分一人置いていかれたと感じたら
暗くなったステージに向けて必死で手を叩く。あちこちから聞こえるアンコールの声。
会場中が熱気に包まれ時間の感覚がなくなってくる頃にぱっとステージに明かりが灯り、舞台袖から現れたボーカルが手を振った。アンコールが始まる。
ドラムがスティックで合図をすると、エレキギターの音が一気に響き渡った。
私はそれがなんの曲なのか一瞬で理解した。
激しいドラムのリズム、聞きなれたギターの旋律。それらをしっかり支えるベース。
それは、私がそのバンドの曲で一番好きになって、今日一番聞きたかった曲だった。
涙が出そうだった。
懐かしかったのでも嬉しかったのでもない。
私はただただ、悔しかったのだ。
私はただ、悔しくて苦しくて、流れ落ちそうになる涙を必死でこらえ、やっとのことでそこに立っていた。
インディーズの頃から好きだったバンドがある。
学生時代、初めてライブに行った先で、アンコールに流れた曲が持っているアルバムの中で一番最初に好きになった曲だったことを、私は奇跡と呼んだ。
嬉しかった。小さなハコでドラムの振動が体中をビリビリ揺らしてそれが単純に気持ちよかった。思い入れのある好きな曲を最後の最後にやってくれることほど心が震えることはない。
荒々しいブレスと共に難しいハイトーンを喰らいつくように歌うその姿にじんときて、仲の良い友人と一緒に来ているのも忘れ気づけば周りをはばからず涙が出ていた。
目の前の彼らは、灯台のようなものだと思った。
いつか卒業しても、社会人になっても、家族を持っても、年をとっても、この曲さえ聞けばこの場所に戻ってこられる。
仲が良くてただただはしゃいで馬鹿みたいに笑っていられた学生時代に帰ってこれる。そう思ったのだ。
恋をしている時に聞いたあの曲を聞くと甘酸っぱい思い出が蘇るように。
失恋してきつい時に励ましてくれたあの曲を聞くとたまらなく切なくなるように。
強い感動を伴った曲は私を思い出の場所に連れて行ってくれる。笑顔で手を振っていつでも帰ってきていいよと笑う家族が待ってる実家にも似ている。そこに帰ることによって私はまた、元気に歩き出せるのだ。
今年に入ってから、そのバンドのライブに行った。
インディーズバンドだったあの頃から数年が経ち、見事メジャーデビューを果たしていた私が「灯台」に例えたロックバンド。
偶然が偶然を呼び、あの日、一緒にライブにいたメンバーが集まった。ただひとつ違うのは一回りも二回りも大きいライブハウスでの単独ライブであることだった。
あれからたくさんの楽曲が出て、各地のツアーをこなし、メディアミックスも果たした彼らを懐かしい友人たちと目の前にした。
セットリストは最近の曲が中心であるものの懐かしい歌声を前に私は初めて彼らを前にした時の気持ちでいた。初めてそのバンドを目にした時の倍はいるであろうオーディエンスの熱気に溢れたままあっという間に最後の曲が終わりバンドが退場した。
暗くなったステージに向けて必死で手を叩く。あちこちから聞こえるアンコールの声。
熱気に溢れた歓声に応えるようにステージに明かりが灯り、現れたボーカルが手を振った。アンコールが始まる。
ドラムがスティックを鳴らす軽い音の後、ギターの旋律が始まる。
一瞬ですぐに分かった。私はこの曲を知っている。
そして一瞬でもうダメだと思った。
ずっしりしたベースと軽やかなギターの前奏。
「嫌だ」
やめて、とそう思った。
伸びやかなボーカルがメロディーラインを滑る。
「ちがう、ちがうんだ。これ以上は」
もう聞きたくない。
サビの、以前は苦しそうに、叫びだすように出していた難しいハイトーンをさもないことのように難なく歌いこなす。
それを聴いた瞬間、私は嫌で嫌で、この場から逃げ出したくて叫び出したい衝動に駆られた。
そうやってやっと、私はこの大好きな曲を、ここで絶対に聞きたくなかったことを悟った。
涙で滲んだ目で周りを見渡すと、あんなに自由に青春を謳歌していた仲間たちの姿がふっと消え、大企業に就職して忙しそうながらも充実した日々を過ごす社会人と、数年前に結婚し、2人の子供に恵まれて幸せそうに微笑むお父さんの姿が見えた。
目の前のステージで素人目に見ても圧倒的に上手くなった歌声が私のからだをビリビリと揺らした。
彼らまでも、まっすぐ成功へと進んでいる。明るく照らす未来へ駆け出している。
「ずっとここにいて! 私を置いていかないで……」
そう泣き叫ぶことができたら、果たして私は救われるのだろうか。それとも――。
声は艶を帯び観客を魅了する。
彼らは数年の時を超え、圧倒的に進化していた。私が戻ってこれると思っていたこの場所に、私が戻りたかったあの頃の面影は全くと言っていいほどなかったのだ。
なんでもないことに何時間も費やし、ただただ楽しいことに浸ったり、馬鹿みたいなことに必死になって笑ってしょーもないことで悩んで泣いて、そんな日々は全部嘘で、最初からどこにもなかったかのように思えた。
それだけでなく、私が灯台と思っていたものは、私が帰りたいと願った場所はもう無いことを示しただけで、あとに残った私はちっとも前に進んでいないことを気づかせた。気付いたら周りにどんどん差をつけられて、もう見えないところまで置いて行かれてしまっていたのだ。
アンコールの最中、私は泣けなかった。泣きたくなかった。以前と同じ気持で涙を流すことは許されないと思ったからだ。いったい私は何をしてきたんだろう。一体今私は、何をしているんだろう。
私は、流れ落ちそうになる悔し涙を必死でこらえることで精一杯だった。
私がそのバンドの曲の中で一番好きで一番聞きたかった曲は、いつでも帰ってこれる実家のような場所だと思っていた曲は、実家を出てしばらく帰らないでいると、あんなに高いと思っていた天井はいつしか大したことなくなっていて、あんなに大きかった両親の背中が少し小さくなっているのに気づく様に似ていると思った。
絶望の中全ての演目が終了し、帰路へと向かう道すがら、誰かが発した一言が耳に入った。
「今日、皆集まれてよかったよ」
顔を上げて周りを見渡すと、社会人の顔をした皆が、学生時代のような無邪気な笑顔で懐かしい思い出を語り「今度はいつ集まろうか」なんて話していた。
今は立派なお父さんになった一人が言った。
「最初どうかなって思ったけど、やっぱりみんな変わってないな。」
ああ、そっか。
みんな、同じ気持ちだったのかもしれない。私もみんなと同じようにきっとどこかは変わっていて、それでも変わってないんだということを少しだけ思った。
それと同時にやっぱり音楽は、あの曲は、たしかに私の灯台だったのだと思った。ただしそれは、過去に戻る灯台ではなく現在に限りなく近い未来の灯台で、その光は過去への道を照らす光でなく、現在の私の位置を、向かっていく方向を推し量るための指標のようなものであったのではないか。今を何となく進んでいって、自分がどこに居るのか分からなくなってしまったとき、ふと立ち返って、過去から今まで歩いてきた自分の位置を見直して、それを積み重ねていくことで新しい指標が見えてくる。実家に帰ってあんなに太い柱が、こんなものだったのかって思うことは、がっかりするべきことじゃない。
また、集まろう。時々、こうやって音楽を聴こう。
今度は過去にすがるためじゃなくて、自分の行く道を照らすために。自分の座標を確かめるために――。
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