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ハラスメントの行方


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記事:石見由起(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「Nさん? 今度の上司はNさんなの?」「はい……」
 
微妙な沈黙が続く。
たっぷり5秒は過ぎたと思われるころ、相手はふうっと息を吐きだした。
その吐き出した息には、驚愕や同情、ほかにも様々な意味が含まれている。
私が異動の挨拶をするたびに、全ての上司・先輩・同僚が判で押したような反応を見せた。
 
10年ほど前の2月、私は会社から辞令を貰った。部署異動は会社員にはよくあることだ。本社内なので引っ越しも必要ない。問題は異動先の上司、Nという課長のことだ。
 
彼は有名なパワハラ上司だった。
 
「N課長って、ウチの父親みたいです」
「父親? お父さん、どんな人?」
「誰からも文句の付けようのない理屈を作り上げて、人を責めるんです。だから反論が出来なくて、最後には土下座しなくちゃいけないような気分になるまで、責め立て続けるんです」
 
N課長の下で働いていた後輩の送別会での話。彼女は、私が異動する数か月前に会社を辞めた。結婚を機に転職をするというのが表向きの理由だったが、パワハラで疲弊したという噂が飛び交っていた。
彼女の前にも、N課長の部署は次から次へと社員が辞めていくので有名だった。それが社内でも問題視され始めていた。
 
その課長のもとに異動することが決まった。
 
「お前、母親になる資格はないな」
N課長が、私に向かって吐き捨てるように言った。
私よりも周囲の同僚が凍り付いてしまい、誰も一言も話さなかった。
 
私が勤めているのは設計事務所だ。
様々な用途の建物の設計監理を行うのが、会社の、そして私の仕事である。計画の初期段階では、あらゆるアイディアが飛び交い、可能性を検討する。
 
その時は保育園の基本設計に関する会議だった。全体の配置を話し合う中で、私は課長の設計方針を少し修正した意見を出した。自分の意見にケチをつけられたと感じたのか、彼はキレだした。
 
「自分の子供をこんな保育園に入れようと思えるのか? お前は母親になる資格がないな」
「資格があるかどうかは、仕事には関係ありません。課長がそれを言ったら、パワハラになりますよ」
 
冷静すぎる声に自分でも驚いたが、もうずっと前から覚悟していたような気がしていた。
異動した最初から暴言を吐かれ続けていたので、人事にも相談したが、みな言葉を濁してしまう。ひとつだけ役に立った助言は、ハラスメント記録を詳細に取るということだった。
私はその記録をもとに、コンプライアンス担当部署に調査依頼を申請した。
 
N課長は、ひと回りも年下の女性社員より、課長職の自分が有利と思っていたらしい。社員を守る法律が重要視されることを、彼は知らなかった。ハラスメントを無くすことに会社が熱心であることも、予想していなかった。おまけに調査が進むと、私以外の被害者が続々と名乗り出た。
結局この発言が切掛けで、彼は出向という形で会社を去った。
 
終わった、と思った。
処分の翌日から、慢性的な頭痛と吐き気が嘘のように消えた。
 
しかし、私が予想していなかったことがある。
これがハラスメントの終わりではなかったということだ。
 
セカンドハラスメントが始まった。
 
“上司・同僚と上手くコミュニケーションが取れないヤツ”
“正義感を振りかざし波風を立てるヤツ”
これがパワハラ事件以降に貼られた私のレッテルだ。
 
なんといっても“和”が重要視されるお国柄である。波風を立てずに上手くかわしていく方が、頭の良いやり方とされる。事実を表沙汰にするなんて、とんでもない! ハラスメントなんて、笑顔で切り抜けてこそ大人というものだ、という訳だ。
 
今の女性は強いよね~、と曖昧な笑いを浮かべられることにイラついた。何かあったら訴えられるかも、怖いなーと冗談のように言われたこともある。
初めて話をする同僚に、「自分のルールを絶対変えないタイプなんでしょ?」と言われて唖然とした事もある。
 
こんな一連の発言に対して、私は真顔で対応した。
自分の中の偏見に気付いていないのだとしたら、大変なことですよ。自分の発言が法的に問題ないか、真剣に考えなければいけない時が来ます。時代は変化していると、早く気付いた方がいい。
そう言う私に、ほとんどの人が何も言わずに、薄ら笑いを浮かべていた。
 
その薄笑いを眺めながら、気づいたことがある。
重要な事と些末な事の区別が、はっきりと分かったのだ。
パワハラ上司の下に付いたのは運が悪かっただけだし、上手く逃げる方法もあったと思う。ただ、その時に公にすることを選択したのなら、それがベストの方法だったのだ。運の悪さを嘆くより、自分の意思を明確にして行動するだけだ。言うべきことを言ったら、あとは放置しておけばいい。
 
そして予想していなかったことは、もう一つあった。
信頼できる同僚との繋がりが出来たことである。彼らは噂話などには左右されない。自分自身で判断をする、確かな価値観を持っている。彼らとの交流のおかげで、いま、出来ることに集中する重要性を学んだ。
自分がコントロール出来ない事など、思い悩まなくてもいい。
 
あれから10年が経とうとしている。
今年からパワーハラスメント防止法が制定された。人種や性別などが違っても、お互いに敬意をもって接するという、当たり前の考え方が議論され始めた。世の中の意識も少しは変化しているように思う。遅い歩みではあるけれど。
新年の社長の挨拶は、ハラスメント撲滅に関する内容だった。
 
そう、時間がたてば、いずれ結果は出るのだ。
 
 
 
 
***

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2020-07-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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