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ただ、もう一度会えたなら


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:イマムラカナコ(ライティング・ゼミ通信限定コース)
 
 
「えっ」
と叫んだまま黙り込んでしまった私に、電話越しに語られる突然の出来事。
電話の相手は、同じ教室の仲間からだった。
 
「先生、近頃あなたが来ないからとても心配してた。忙しいのか、体調が悪いのかって」
最後の言葉が、ズキンと胸に刺さった。
あっけない先生の最期に、言葉が出なかった。
電話を切ったあと、知らず知らずのうちに泣いていた。
こんなさよならで、いい筈がない。
 
思いもよらないことが、人生には突如として起こる。
心の準備も、何もできていないのに。
 
生後10か月の娘を連れて、私はパン教室に通い始めた。
「連れてくればいいじゃない。自分で面倒見るんだったら全然構わないよ」
もうすぐ動き回りそうな娘を連れて行くことに気が引けていた私に、先生は、あっけらかんと笑った。
 
毎月1回。娘がぐずる時には、おんぶ紐で背負って参加した。
元々保育園に勤めていた先生は、子供に対して理解が深い。
 
娘が歩くようになると、危ないからと言ってストーブの周りに囲いを作ってくれた。
一人遊びができるようになれば、転んでも大丈夫なように柔らかいマットを敷いてくれた。
保育園に通う頃になると、一緒にパンが作れるようにと、余分に材料を準備して待っていてくれた。
小学生になると、教室の小さな子のお姉ちゃんだからと、率先して作業をさせて娘に自信を持たせてくれた。
 
パンを作りながら、子育ての先輩として、人生の先輩として、様々な話を湿り気のない独特の語り口で、面白おかしく語ってくれる先生。
 
「本当は、パンだけ教えるようになっているんだけど」
悪戯っぽく笑いながら、毎回パンだけでなく惣菜のレシピまで、あまり得意ではないパソコンで一生懸命に作ってくれる先生。
「みんな、ここで食べるのが専門だもんね。パンは未だに上手く作れないけど」
先生のお決まりの言葉に、グループのみんなで笑いながら、レッスンの終わりにその日作ったパンや惣菜を味わった。
 
いつしか、教室に通い始めて10年以上が経っていた。
通うのが楽しくて、続けているパン教室。
パンは何一つうまく作れないけれど、先生から教わった惣菜は、結構我が家の食卓に登場している。
「これ、パン先生のレシピだ」
作ると、娘も気づいて嬉しそうにする。
娘は先生のことを、本名ではなく、パン先生と呼ぶ。
 
娘が小学校高学年になった頃、私は不妊治療を始めた。
子宮を手術したこともある私には、高い壁に思えた。
けれども、産婦人科の先生の、可能性がないわけじゃないという言葉に奮い立った。
何より年下の子どもを可愛がる娘に、弟か妹を与えてあげたかった。
 
ある日のパン教室。
グループの仲間が帰った後、治療していることを先生に打ち明けた。
思うように進まないこと、まるで出口のないトンネルの中にいるようなこと。
実の親には、いろいろと考えてしまい、あまり言えないことも、先生の前では素直になれた。
自分の不安な気持ちや、努力しても報われない虚しさ。
自分の中に渦巻いている苦しさに、どうケリをつければよいのか。
 
この日以降、教室がある度に、先生は私の気持ちに寄り添ってくれた。
こうしたらとか、ああしたらとかではなく、ただ聞いて、いつもの口調で私の重く沈んだ心を軽くしてくれた。
そして、赤ちゃんが授かることを真剣に願ってくれた。
 
不妊治療は辛い。体力的にも、精神的にも。
体調が悪くなり、しばらく治療を休んだこともあった。
しかし、時はどんどん過ぎていく。
産めるタイムリミットが着々と迫ってくるのだ。
 
私は焦っていた。
仕事が忙しくなったことも重なり、いつも何か目に見えないものに追いかけられている気がした。
休日もどこかに出かける気力もなく、家で体を休めることが増えていった。
そして気が付くと、楽しみにしていたパン教室への足も遠のいていた。
 
そんな状態が、しばらく続いた時だった。あの電話がかかってきたのは。
 
どうして、休まず教室に行かなかったんだろう。
私が先生にもらったものは、たくさんあるのに。
何も返せずに、突然お別れが来たことが、たまらなく悔しく寂しかった。
せめて私が元気でいること、そして先生への感謝の想いを伝える術があったらいいのに。
 
それから2年後。なんと私は、待望の赤ちゃんを授かった。
「超高齢妊婦になりました」
心の中で、そう先生に報告した。
 
けれど残念ながら、その子はこの世に存在しない。
喜びも束の間、空へ帰ってしまったのだ。
「先生、たまにはその子と遊んであげてください。娘にしてくれたように」
ふと空を見上げて、そんなことを思った。
先生だったら、笑いながらあれこれ世話をしてくれそう。
「あなたのお母さんはねー、とても不器用でね」
なんて言いながら。
 
人生はどうなるか分からない。別れはいつも唐突で、予測なんてできない。
それは何年後かもしれないし、明日かもしれない。
いつどうなるか分からないからこそ、悔いを残したくはない。
先生が旅立ってから、もう5年以上経つ。
 
もうすぐ七夕。
織姫と彦星が天の川を渡って年に1回会うことを許されるように、会いたい人ともう一度会えたなら。
それが叶わぬなら、今一度、私に繋がっている人達との絆を見つめ直したいと思う。
結び目が緩んでしまったことを、後から後悔しないように。
 
 
 
 
***
 
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2020-07-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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