午前1時過ぎの後悔
記事:Ryosuke Koike(ライティング・ラボ)
会社の懇親会の二次会が終わり、帰宅するため私が乗車したタクシーは、昭和通りを西に進んでいた。
午前1時。
とっくに終電の時間は過ぎている。
タクシーの前を走る車のテールランプが、大きくぼやけたり小さな点になったりする。
かなり飲んだ気がする。明日が休日なのが救いだ。
私はタクシーの後部座席で、無言のまま前方を見つめていた。
運転手も、はじめに行先を聞いただけでその後は何も言ってこなかった。
私の右肩には、ほのかな甘い香りとかすかに聞こえる寝息が寄りかかっていた。
ちょっとドキドキしている。
タクシーが信号で停車したり、車線変更したりするたび、右肩に心地よい重みを感じる。
途中まで帰り道が一緒なだけなのだ。
二次会でずっと二人で話していた彼女も、かなり飲んでいたし、送っていかないと危ないと思っただけなのだ。
西新を過ぎたあたりで、彼女が体をおこした。ふっと、二人の体が離れる。
しかし、彼女が開けた眼はとろんとしていて、小さく開けた口であくびをしたかと思うと、再び目を閉じて寄りかかってきた。先ほどよりも深く。強く。
艶やかな黒髪が垂れて、私の右手の甲をそっとなでる。
ドキドキしている。
もう酔いは醒めてしまった。
タクシーはさらに西へと進んでいく。
普段は混み合っている通りも、青色の信号が嘘のようなスピードで近づいては過ぎ去っていく。
「次の信号の手前で一人降ります」
私がそう告げると、タクシーは減速して路肩に停車した。
「〇〇さん、俺はここで降りるよ」
深く沈みこんだ彼女の方へ顔を向け、私は言った。
ハザードランプの電子音だけが車内に響く。
しばらくして彼女は少しだけ体をおこし、私の方をみつめてきた。顔と顔の距離が、近い。
小さな唇がほんの少しだけつぶやいた。
「ふぇ?」
ドキドキどころではなかった。
このまま傍にいたいという気持ちと、一刻も早くこの場から立ち去りたいという気持ちが交錯する。
後者がなんとか接戦を制した。
足元に置いていた鞄を左手でたぐり寄せる。財布から千円札を2枚取り出そうとした。
その右手に細い左手が覆いかぶさる。
顔を戻しうつむいたままの彼女は、言った。
「私も降ります」
真っ白になりかける頭の中、必死で言葉をもがき取る。
「え、でも、〇〇さんの家、ここから歩くと、まだ遠いよ」
頭がゆっくりとあがってくる。ほんの少しだけ赤らめた表情。
「もう少し、一緒にいてもいい?」
乗客のいなくなったタクシーは、西の方へと消えていった、気がする。
右手を握る柔らかな手のひらの暖かさに、他のことはもう何も考えられなくなっていた。
昔聞いた知人の話を、タクシーの車内で思い出していた。
午前1時。
とっくに終電の時間は過ぎている。
かなり飲んだ気がする。明日も仕事なのでかなり辛い。
久しぶりに会った同期や先輩たちとの飲み会が終わり、帰宅するため私と同期が乗車したタクシーは、昭和通りを西へ進んでいた。
「この前書いていたライティング・ラボの記事、面白かったよ」
ライティング・ラボで記事を書いていることが徐々に周りに知れ渡っているようで、感想を言ってもらえると、ちょっと嬉しくなる。
「天狼院の店主が教えてくれたスキルのおかげだよ。それを使うと使わないとで、本当に違うね」
「あれが特に面白かった。あのエロ小説がさー」
「他のみんなにも言われるけど、あれエロ小説じゃないから!」
そんな会話を続けているうちに、同期が降りる場所が近づいてきた。
「また飲もうね」
「そうやね。記事、楽しみにしとります」
車内は私一人になった。
私の家の方へ向けて、タクシーは走り出した。
今週は何を書こうかなとぼんやり考えていると、タクシーの運転手が話かけてきた。
「小説書かれるんですか?」
「いやー、小説というほどではないんですが、ライティングの勉強をさせてもらっています」
「実は、私も書いたりしてるんですよ」
「へー、そうなんですか?」
私は体をおこした。
「タクシー運転手をしているとですね、たくさんの色々な人を乗せます」
「そうでしょうね」
「そのお会いした人たちの中で、世の中にはこんなに素晴らしい人がいるんだって思うことがあるんです」
「ほうほう」
「それをですね、ちょっと紙に書いて、他のドライバーに見せるんです」
「うんうん」
「そうしたら、みんな、感動した、いい話だ。とか言ってくれるんですよ」
「いいですね。ネタに困らなそうで、うらやましいなあ」
やりとりを続けているうちに、私の家が近づいてきた。
停車して精算を済ませたが、気になっていたので聞いてみた。
「その感動したお話、聞かせてもらえませんか」
「いいですよ。以前ですね……」
それから10分以上、車内で運転手の話に耳を傾けていた。
最後の方は前のめりになって聞いていた。
酔って気分も高揚していたせいか、私はものすごく感動していた。
「それ、本当にいい話じゃないですか。もっと多くの人に読んでもらった方がいいですよ」
「そうですよね。紙に印刷してお客さんに読んでもらおうかな」
「わー! それナイスアイデア!」
乗客のいなくなったタクシーが去っていくのを、私は心地よい気持ちで見届けていた。
玄関のドアを開けるためポケットから鍵を取り出そうとしたが、落としてしまった。
酔っていたからではない。
なぜ、タクシーの運転手に今月末に行われるライティング・ラボの紹介をしなかったのか。
唇を少しだけ、噛んだ。
***
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