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パール・ハーバーに長岡花火の「白菊」が輝いた


mizuhoさん パールハーバー

 

記事:Mizuho Yamamoto(ライティング・ラボ)

 

12月7日生まれの私は、アメリカ人の友人から誕生日を聞かれると「パール・ハーバーアタックの1日前」と答えていた。
12月8日が真珠湾攻撃の日(開戦記念日)だから。

しかし、なんとなく6日に、
“Happy Birthday”
と言われるような気がし始めたある年の春に、ワシントンDCのメモリアルパークの記念碑の文字を読んで気づいた。

あれっ? 真珠湾攻撃は12月7日、私の誕生日! そうか、日米で時差があるのだった。

それから、がぜん真珠湾攻撃が身近に思えてきた。真珠湾にいつか行ってみたい。

長男が小学生、3歳下の次男が幼稚園児だったころから、米軍住宅で土曜日の午後英会話を習わせていた。ソファーで座って見ていると自分も習いたくなって、同じ時刻に近所の家で大人対象クラスを開いてもらった。
息子たちは3年ほどで辞めたが、何かやり始めるととことん続く私は、英会話学習歴が20年を超える。

先生たちは、米軍勤務の夫を持つといっても、アメリカ人とは限らない。カナダ、キューバ、フィリピン、フランス…… そして今の先生はポーランドと生まれはさまざまだ。3年弱での異動が多く、現在の先生で14人目。
その先生たちの異動先を訪ねる目的のアメリカ旅行は、7度に及ぶ。12番目の先生の異動先ワシントンDCには、8番目の先生もいて両方を訪ねたこともある。もちろん二人は知
り合いではないが、私と佐世保という街を介して親近感を持ち、連絡し合って私の滞在予定プランを作ってくれた。

さて、その12番目の先生Katrinaが、ハワイへ異動となり、前回のハワイ勤務時にそこで生まれた1人娘の大学進学と重なり「空の巣症候群」を心配しつつホノルル空港へ降り立ったのが3年前。真珠湾攻撃の前から建っていた、士官住宅に住むことを目標に家探しを開始。

幸運なことに、裏庭は一面緑の共有の芝生でその向こうに真珠湾が広がる、メイドの部屋まである築75年の官舎を手に入れた。

すぐそばに1000人以上の乗組員を乗せたまま沈んでいる戦艦アリゾナとその上に建つ記念館には、対岸から日に何度もボートが出て観光客を運んでいる。

官舎のあるフォード島は今は橋が架かっているが、島ごと米軍の所有地で、第二次世界大戦終結の条約調印式を行った戦艦ミズーリ見学のためのツアーバス以外は、一般人は立ち入れない。

第2次大戦の始まりと終わりが同居する島、フォード島で、友人Katrinaは、真珠湾攻撃時に、官舎の住人たちがどうしていたのかを調べ始めた。1人娘の不在を埋めるにはうってつけのミッションで、インターネットを駆使して精力的に当時の住人を探し、19軒中なんと16軒の住人とコンタクトを取ることに成功した。もちろん真珠湾攻撃から70年以上が過ぎていたので、当時の子どもも80代がほとんどで、まさにぎりぎり間に合ったという感じだった。

そして、昨年12月、官舎の住人たちの証言と、その生存者を集めた同窓会を開いたことを書いた本を出版。企画の段階から話を聞いて、2年で実現した出版に感動するとともに
その内容を読みながら、本土空襲を受けたことのないアメリカ人の、数少ない空襲体験者の話に心を奪われた。

戦争終結間近の特攻隊とは違って、開戦のための日本軍の飛行機乗りたちは、十分に訓練された精鋭ばかりで、出撃した350機中、帰還できなかったのは29機だった。

そのうちの一人が、士官官舎の玄関前に横たわり命尽きていたのを見たその家の小中学生の姉妹が、

「これが攻撃を仕掛けてきた敵なのだ。」

と憎しみを込めて見つめる妹と、

「戦争という状況でなければ、庭の先の海辺
から上がって来た泳ぎ疲れたアメリカ人と何
ら変わりないのに……。」

と憐れむ姉とに感想が分かれている一節が、心に残った。

真っ黒な油にまみれて、炎の海を泳ぎ、官舎の住人の避難先のアドミラル(海将)の家の地下壕にたどり着く水兵たち。必死に手当てする婦人たちと次々に命果てていく若者たちを、ただただ見つめる子どもたち。

混乱の中でのアメリカ人の母子の様子は、日本で聞く本土空襲や原爆投下後の様子と重なって脳裏に浮かぶ。

 

おりしも戦後70年の節目の年。
ホノルルで行われた第二次世界大戦終結記念の真珠湾での行事に、日本から山本五十六の故郷長岡市の市長出席! のニュースが、友人から送られてきた。
そしてなんと、真珠湾の夜空にあの長岡花火「白菊」が慰霊を込めて打ち上げられたと。

天狼院書店の店主が、長岡花火大会で「白菊」について書かれた本を売ろうとして惨敗した話で初めて知った花火「白菊」。

その花火が真珠湾とつながり、アメリカ人でもその名を知っている山本五十六とつながり。

 

生きている限り、人は何らかの形でつながって行くのだということを改めて感じ、いつか『Ford Island December 7,1941』というKatrinaの本を題材にしたノンフィクションを書きたいというのも、このライティングラボで学ぶ私の目標の一つである。

 

***
この記事は、ライティングラボにご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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