メディアグランプリ

子どものころ福岡に7年間住んでいた《昭和の遊び編》


子どものころ Mizuhoさん

記事:Mizuho Yamamoto(ライティング・ラボ)

 

小学1年生から住んだ福岡は、10分歩けば繁華街だった以前からすると、10分歩いても田んぼばかりののどかな場所だった。いきおい、子どもの遊びもワイルドになる。

色白な私は、太陽の申し子のような近所の子たちからすると、都会っ子に見えたらしく、

「これ知っとう?」

と尋ねられることのほとんどを知らないのでていねいに教えてもらえた。

手に取って即、口に入れられるもの
桑の実、キイチゴ、グミ……

持ち帰ると夕飯のおかずになるもの
土筆、セリ、ワラビ、タケノコ、ツワブキ……

抱えきれないほどたくさん、今晩のおかずの1品にしようと夢中になって集めた。みんな兄弟がいて祖父母もいて、7人家族というのがざらだった。

「うちは3人家族やけん」

私はいつもごく少量を手にしていた。
竹林に入ってタケノコを生まれて初めて見た時も、なるべく背の高いのを取ろうとする子たちの中で、一番小さいのを選んで掘った。
家に持ち帰り、みんなはもっと大きいのを掘ったけど…… と母に話すと、小さい方が美味しいのだと教えてくれた。
私の戦利品は、ささやかな3人家族の食卓に季節の彩りを添えた。

川に行けば、めだかやどじょうをすくい、学年が上がるとザリガニ釣りを習った。日本ザリガニの殻をむいてちぎりエサにして、大きな赤いアメリカザリガニを釣る。釣ったら家に持ち帰り、庭に穴を掘って水を入れ、池を作ったつもりでアメリカザリガニを入れる。
しかし池の水は翌朝にはなくなっていて、水を慌てて足して学校から戻ると、やっぱり水はなく、強烈な臭いを放ってザリガニは死んでいる。掘った穴に石を敷く、ビニールを敷くなど工夫をするがうまくいかず、そんな繰り返しから、釣ったら川へ戻すことを覚えた。

近くに「日拝塚 ひはいづか」と呼ばれる古墳があり、よくその上を走り回った。駆け降りて駆け上がる、回れ右してまた駆け降りて駆け上がる。どうやら前方後円墳だったことに、社会科の時間ふと気づいた。邪馬台国のことを学んだ時には、ひょっとして卑弥呼のお墓かも……と思ったり。歴史は教科書の中だけでなく、身近に存在することを覚えた。

ある日、いつものように田んぼでレンゲつみをしていたら、パラパラと雨が降り近くの家の軒先に雨宿りをした。雨が上がり空を見上げると大きな虹が小学校の方向にかかっていた。

「よし! あの虹の足のところのどがんなっとるか見に行かんや」

自転車を持っている子たちが家に取りに帰りある子は荷台に乗せてもらい二人乗りをして走り出した。自転車がなく、学校で禁止されている二人乗りをする勇気もない私は、みんなを見送った。虹の足ってどうなんだろう、乗れるのかな? 滑り台みたいに滑れるのかな? 妄想は膨らみ、みんなが楽しそうに虹の滑り台を滑っている様子を目に浮かべながら、行かなかったことを後悔した。

ひとり田んぼでレンゲつみを再開し、ピンクの中に数本固まって咲く「白レンゲ」探しに没頭した。白レンゲが束になり左手いっぱいになったころ、みんなが戻って来た。

「どがんやった? 」

「だめやった。 自転車の遅かけんどこまで行ったっちゃ追いつかんで、虹は消えてしもうた」

「もっとスピードば出さんば、だめ」

そうか、虹の足に行くにはスピードの出る乗り物が必要なことを覚えた。いつか車を運転するようになったら虹を追いかけてみよう。

昭和の子どもの遊びには、道具はいらなかった。自然にそこにあるもの全てが、遊び道具だった。

そして今、子どもたちの遊びは四角く切り取られた画面の中にしかない。それはありえないような世界であってもリアルに迫ってくる。
体を動かすことなく、五感を働かせることなく、指先でコントロールできる世界。

それはいつでもどこでも簡単に始められ、何時間でも没頭できる。友だちがいなくてもできる。友だちと一緒でもできる。自然が周りから遠ざかっていった現代において、子どもたちの時間を満たしてくれる四角い画面。

昭和の子どもたちは、夕方になると遊びを止めねばならなかった。

「ごはんよ~! 」

母親に呼ばれると、絶対に家に戻らねばならなかった。その頃には父親も仕事から帰って来た。家族全員で囲む食卓。今や、昭和の風景になってしまった感がある。

平成の子どもの遊びは、今という世の中を写し出している。いつでもどこでも24時間手軽にできる四角い画面の遊び。友だちがいなくてもできる遊び。「ごはんよ」と呼ばれることなく、家族バラバラに夕飯をかきこむ。電源さえ入れればすぐに遊びに戻れる。

この子たちは大人になってそんな自分たちの遊びを懐かしむことがあるだろうか?

きっと、あんなゲームソフトがあったね! とお酒を飲みながら盛り上がることになるのだろう。

 

次の時代の子どもの遊びは、一体どう変化していくのだろうか?

125歳になると魔女学校から入学通知が来るらしい。そこから修行をして魔女になるのが私の夢。次世代の子どもの遊びを確かめるためにも、目標達成は欠かせない。

 

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この記事は、ライティングラボにご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2015-10-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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