後輩とのLINEで金言を見出した話
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記事:吉田けい(ライティング・ゼミ特講)
[どうしよう、私、……妊娠してました]
深夜のLINEに、予想だにしない言葉。
「え……え、妊娠!?」
私はスマホを取り落としそうになりながら叫ばずにはいられなかった。電話の相手は学生時代のアルバイトの後輩、和美。もう何年の付き合いになるだろうか。しょっちゅう顔を合わせるわけではないが、時々連絡を取り合って近況報告したり、お茶をしたりするような、つかず離れずの仲だった。つい最近、和美は夫の手酷い浮気が原因で離婚することになり、引越やら何やらの手配でにわかに忙しくなった。私は勢いと思い付きで行動するフシのある和美が心配で、進捗を聞きがてら様子を窺うのがここ数日の日課だった。不動産との交渉はどうしたらいいか、引越の段取りはどうするのか、そんなやりとりをしている中、突然届いたLINEだった。
慌てふためいたスタンプと、何がどうした状況なのかを問い質すやりとりがLINE画面上に溢れる。とりまとめると、夫は不妊治療中に浮気をしていたので離婚と相成ったが、最後の最後で当たったということらしい。離婚届はもう提出してしまった後だという。まだ病院にも行っていないのというので、ひとまずどこでもいいから産婦人科に行きなよと言うのが深夜の私にできる精一杯のアドバイスだった。
(和美が妊娠…………)
和美の夫──元夫は、お世辞にも出来た人物とは言い難かった。仕事の上では有能で知人も多いそうなのだが、和美に対する発言がどうもモラハラじみている。酒が入ると和美に手を上げたこともあるという。不妊治療にも非協力的。どうも家庭内では性格が豹変するタイプのようだ。和美も和美で、彼のハラスメントにそこまで強硬な反撃をせず、共依存に陥りかけているように私には見えた。このままでいいのか、と和美が元夫との関係で悩んでいたところに浮気が発覚し、大喧嘩の末、ようやく離婚となったのだ。あんなひどいモラハラDV野郎のことなんか速やかに精算して、新生活を華やかに始めようじゃないか。そんな風に和美の背中を押した矢先の、妊娠発覚の知らせだった。
数日後、和美は診察の結果を教えてくれた。紛れもなく妊娠で、まだ初期であることと、和美のコンディションではあまり過度な負荷をかけない方がいいなど教えてもらったらしい。
[……どうするの? 産むの?]
それとも、堕ろすの。
その言葉をスマホで入力するのはどうしても憚られた。私には可愛い息子がいる。今もすぐ横でお地蔵さんのような寝顔で眠っている。和美の判断を尊重したいが、この地蔵顔を天に返すような言葉を紡ぐことは、指先が、脳が拒否していた。
和美自身もずいぶん迷っているようだった。さんざん不妊治療した末に授かったことと、父親がモラハラ夫であることで揺れていた。彼に事情を話してよりを戻すのか。今回は諦めるのか。未婚の母として、険しい道を歩むのか。最終的に決めるのは和美だ。決めた先で辛い思いをするのも和美だ。私は書ける言葉が見つからず、心境を吐露する和美に相槌を返すしかなかったが、数日後、「産むことにしました」とメッセージが来て、心底ほっとした。
[よりを戻すの?]
[シングルマザーで行こうと思います]
父親がいた方がいいに決まっているけど、相手があの元夫では、自分が更に苦労するだけだ。同じ苦労なら、一人ですべてを背負った方が、気持ちは楽なような気がする。それが和美が出した結論だった。よく決心した、よく決めた、和美! あとはもうシンプルに、彼女が選んだ道を応援し続けるだけだ。彼女は仕事でも優秀だから、両立さえできれば金銭面はそこまで心配しなくていいはずだ。その両立こそが何より難しいけれど、今は和美の決心に水を差すようなことは言わないでおこう。和美はつわりと戦いながら仕事をし、病院に通い、住んでいる地域のシングルマザー支援制度を調べるなど懸命に頑張っていた。
[親御さんは頼れないの?]
LINEでそう尋ねると、和美の返信のテンポがやや遅くなった。和美の父はアンティークになりそうなほど保守的な考え方で、そもそも和美が結婚したのに共働きでいることにも反対していたらしい。女は家で家庭を守るもの、夫君の三歩後ろをしずしずと歩くもの……。母の胸中は分からないが、あの父と一緒にいるということは似たような考えなのではないかとのこと。そんな両親にシングルマザーになると告げたら、勘当されこそすれ、協力してくれるイメージが全く浮かばない、と、無機質な文面が淡々と説明していた。
「…………」
脳裏に、私の両親と夫の両親の顔がそれぞれ浮かぶ。
抱っこする度に重たいねえと悲鳴を上げる実母。デレデレの実父。遊びに行くと何かお菓子はないかと戸棚を探す義母。お腹の上に孫を乗せておどけてみせる義父。
みんなみんな、そんな顔をするなんて、知らなかった。
和美の両親も、和美の子を目の前にして、アンティークな姿勢のままでいるだろうか?
[ダメもとで、ご両親に話してみなよ]
[ダメな気がします……]
[孫が出来たって聞いたら変わるかもしれないよ。話してみないと、変わるか変わらないか分からないよ]
[…………]
和美はしばらく躊躇したが、実家に行く用事がある時に母に話してみる、と返信が来た。祈るような気持で和美が実家に帰る日を、その結果報告を待ちかねた。
[ダメでしたー]
「だ、ダメって!?」
思わず声に出してしまってから、理由を問い質すメッセージを送る。
[シングルマザーだなんて見通しが甘い、出だしから実家に甘えようとするような根性じゃ先が見えている。こちらは一切手伝わない、だそうです]
[実家に甘えるって……いろいろ制度のこととか調べてたじゃん! なんて説明したの?]
[そのへんは、自分で調べてなんとなるって分かってるので、いちいち説明しなくてもいいかなと思って……何とかなるから、くらいしか言いませんでした]
「…………」
そう、そうだった。和美はいつも肝心なところの説明をすっ飛ばす癖がある。考えた末に結論が出れば、結論さえ伝えればそれでいいと思っている。それは仕事の上では重用される利点なのかもしれない、結論をズバっと言うのは、明快な報告となるだろう。だからこそ今みたいに大きなプロジェクトの責任者に任命されたりと結果に結びついている。だけどこの前私は「離婚することにしました」と言われて驚いて、あれこれ質問すると、元夫のモラハラやら浮気やらを説明してくれた。
「…………」
娘が、妊娠した、未婚の母として育てる、と言われて、面食らわない親はいないだろう。
その時娘は、「何とかなるかな」しか言わなかったら、どう思うだろう?
[……それじゃ駄目だよ]
慎重に、言葉を選びながら、メッセージを作る。
[親御さんは、結果として大丈夫かどうかが知りたいんじゃないんだよ。和美がシングルマザーになる事をどんなふうに受け止めて、どんなふうに準備してるのか、その過程が知りたいんだよ]
私も、離婚することより、どうして離婚するのかを教えて欲しかった。
[制度とか、お金とか、生活面でのこととか、具体的に調べたから和美は大丈夫って思えるんでしょ。そこを全部省略したら、何にも考えてないけど能天気に大丈夫って思ってるみたいに誤解されちゃうよ]
[そういうもんでしょうか]
[もう一回、そのあたり含めてちゃんと説明してごらん]
[分かりました]
アドバイスを素直に受け止めて、すぐに実践できるのは和美のよいところだ。
返信に一安心し、それからまた数日が過ぎ、「実家に行ってきましたー」とのポップアップがスマホ画面に表示され、私は飛びついてすぐさま返信した。
[どうだった?]
[とりあえず母に話してみて……そこまで考えてるんだね、とは言ってもらえました。賛成というほどではなかったかもしれないですけど]
[そうかあ、良かったねえ]
[良かったんですかねえ]
良かったに決まっている。
シングルマザーがこれだけ世の中にいるのだから、絶対にやっていけないわけではないのだ。ただ、苦労が多いことも周知されている。親御さんが知りたかったのは、大丈夫かどうかではなく、娘がどこまで苦労のことを理解しているのか、覚悟しているのか、それに備えて今どんな行動をしているのか、和美が大丈夫と思えるに至った過程そのものなのだから。
[結果を言えばいいと思ってましたけど、過程も大事なんですね]
きっと和美も、自分の子供が大きくなったら、その子が何をどう考えたのか過程を知りたくなるだろう。そもそも、普段からもう少しいろいろなことを端折らずに説明するようになって欲しい。そうすれば私もいちいち驚いたり心配したりしなくて良くなるだろう。
[勉強になりましたあ]
どこかのんびりした様子の返信を見ながら、私はニヤニヤしたのだった。
***
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