メディアグランプリ

さよならだけが人生だ〜はなむけの日に向かって〜


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:深田 千晴(ライティング・ゼミ5月通信限定コース)
 
 
「先生、さようなら」
 
幼稚園から帰るときに、長男はいつも言う。ぺこり、とおじぎをしてハイタッチ。ちょっと前まで赤ちゃんだったのに、すっかり大人びている。
「今日は、花壇のヒマワリに水をやったんですよ」
先生が教えてくれた。長男は誇らしげに「あれだよ!」と指をさす。夏も終わりだというのに、まだ5輪ほどの花が、太陽に向かって咲いていた。
 
3歳の彼が「自由」にできることは、まだほとんどない。着るものや行くところ、毎日の食事まで、すべて決めているのは親である私だ。
「ママ、僕もう歩けないや、抱っこしてー」
家に向かって歩き始めてしばらくすると、長男は甘えて道路に立ち止まった。15キロの体は正直重いけれど、私はしかたなく抱き上げて、えっちらおっちら前に進み始める。長男はかわいい。私や夫のことが大好きで、ちょっとした気持ちのやりとりで喜んだり、悲しんだりする。
今、小さな彼の人生の多くは、私の手の中にあるといっても過言ではない。
 
彼の人生が、彼だけのものになるのは、いつなんだろう。
私は考える。
親の最も重要で、最も難しい仕事。
それは、「子どもの人生を、子どもの手の中に返すこと」――つまり、「自立」なのではないかということ。
 
「みんな、どうやって、人生を自分だけのものにしていくんだろう?」
 
振り返ると、私が親から自立したのは、おそらく、22歳の頃だ。
父には、体に負担のない歩き方から、勉強の仕方、人との付き合い方までなんでもレクチャーされてきた。毎日遅くまで働き、帰ってきても、家族に疲れは見せない立派な人だ。一方、思春期になると、その教育熱心さは少し疎ましく感じられるようにもなった。
私は父と同じように学校の先生になることを目標にしていた。学費を出してもらって教育学部に入り、卒業したら、翌年から教員になるつもりだった。なのに、――私は卒業年度の教員採用試験に落ちた。
「学生のうちはお金のことは心配しなくていい。それより、間を置かずに就職できるよう、勉強を頑張りなさい。就職が決まらなくて、非正規就労している時間が、一番の金銭的損失だからね」
大学に入学した時の、父のこの言葉を私は覚えていた。だからこそ失敗した自分が悔しかった。
進路が決まらないまま春を迎えようとする私に対し、父は優しい言葉で諭した。
「試験だからね、落ちたものはしかたがないね。ただ、次の試験には絶対に受かるんだよ。そのためには、勉強の時間が取れるバイトを見つけなさい」
しかし、私は、もう社会人としてデビューする年なのに、家でゆっくり過ごしているなんて耐えられなかった。だから、自分で、フルタイムの非常勤講師の仕事を見つけた。勉強の時間が確保しづらいのは明白だったが、それでも、どうしても私は、少しでも長く学校現場で働きたかった。
父に報告すると、一言「僕は反対だよ」。それ以上は何も言ってこなかった。私は毎日、仕事をし、終業後遅くなってからカフェで勉強する生活を続けた。あまりにも家にいないので、両親には、心配をかけたと思う。しっかりと現場でもまれた私は、幸いにしてその年の採用試験に合格した。
「おめでとう」父は、なぜか寂しそうに見えた。
「どうしたの」
その話をした日のことはよく思い出せる。父、母、妹、弟、そして私が久々に揃い、ホットプレートを囲んでバーベキューをしようというときだった。父はビールを開けながら、微笑んでいた。
「君はもう、大人なんだね。もう、僕が細かく口を出す時代は、終わったのかもしれないね」
「……」
何とも言えない気持ちになりながら、私たちはビールで乾杯をして、いつものように肉や野菜を焼き始めた。思えばこの時が、節目だったのだ。
 
それから、1年遅れの就職をした私は、日を待たずに家を出ると宣言した。母は心配して「まだ早い」とぼやいたけれど、父はもう反対しなかった。
「あなたが、そうするのがいいと思うなら、話を進めなさい。こちらが反対して、そのあとの責任をとることはできないからね」
結婚するときも、家を買った時も、同じだった。
父が、私を無条件に守ってくれることはもうない。
 
妹に、「自立っていつだった?」と試しに聞いてみると、「留学した時かな」と答えが返ってきた。妹は、家族思いであるために、社会人になってもしばらく実家に住んでいたのだが、その留学の時だけは「家族がどう思うかなんて、考えなかった」という。
地元に就職した3歳下の弟は、持病などの事情からまだ実家に住んでいる。しかし最近物件探しを始め、今年中の自立を目指すことになった。「いつまで実家にいるのだろう」と思っていた私や妹にしてみれば急展開である。
父も母も「なるべく実家の近くに」と、つい言ってしまうらしい。
「やはり親としては離れがたいからね。でも、本人のことを考えたら、親のことなんて忘れるくらい、遠くに行ったほうがいいのかもしれないね」
父の苦笑いが、胸をしめつけられる。兄弟3人の誰も、親のタイミングで自立したわけではない。そのときは突然にやってくる。
 
作家・井伏鱒二の訳詞で、「酒を勧む」というものがある。
 
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がせておくれ
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ
 
「さよなら」とは、「左様なら」、つまり、相手の状況を察して、「左様ならば(それならば)別れよう」と別離を受け入れるときの挨拶なのだという。
親子の時間は、砂時計のようだ。生まれてから、自立のときに向けて、砂時計の砂がゆっくりゆっくり落ちている。それはゆっくりではあるが、けして戻らない。
今はまだ、残っている砂が多すぎて、終わりがいつなのかは見えない。けれどももうすでに、親から離れて幼稚園で過ごす間に、彼だけの世界をどんどん増やしている。親ではない自らの道を歩み始める、その日はいつのまにか来る。
 
今、私の腕の中で安心してうとうとしている息子も、いずれ旅立っていく。そのとき息子に、「さようなら」が上手に言える親になりたい。父のように、葛藤がありながらも笑顔で、はなむけの時を受け入れ、乾杯できる人に。
 
 
 
 
***
 
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

 

 
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2020-09-26 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事