着物は文化か、ファッションか?
記事:Yuriko Kato(ライティング・ゼミ5月開講通信限定コース)
「フランスは多くを失ってしまった。日本には伝統の文化や技術がまだ残っている。諦めないで。」
2年ほど前、パリで伝統的な着物の技術を紹介する展示会を開催した時のことだ。
パリの美術関係者、テキスタイルデザイナーの方々が集まり、話してくださった。パリは芸術の都、フランスは国が伝統技術を守ってきた。そんな印象を持っていたが、時代の流れの中で伝統文化が失われるのを防ぐのは、それほど難しいということだろう。
着物業界の衰退が叫ばれ久しい。伝統的な着物を作る職人の担い手不足に歯止めがかからない。1980〜90年代のバブルのころは飛ぶように着物が売れたらしい。着物に限らず、宝飾品やラグジュアリーブランドの服やバックをはじめ高級品がとにかく売れた時代があったが、バブルが崩壊して、着物は一気に売れなくなった。
日本人が着物を買わなくなった理由はいくつかある。
まず、「値段が高い」と言われる。
伝統的な技術を使った本格的な着物であれば、デザインから製品が完成するまで、数十工程を手作業で行う。さらに、絹という高級な生地を用いているから、材料費、人件費を足し算すれば、当然の値段ではあるのだが……
そもそも、海外のラグジュアリーブランドの高価な服やアクセサリーは変わらず売れているのだから、値段だけが着物を買わない理由ではないだろう。
だから、「着物は着るのが面倒だ、手入れが難しい」と言われる。
着物を着るには、下着である肌襦袢、長襦袢を重ねたうえに、上着である着物があり、帯結びも難しい。着慣れない人は美容院で着付けをしてもらわなければならないから、時間もお金もかかる。汚れても、洗濯機で洗う事は出来ない。日本人のライフスタイルと価値観は大きく変わってしまった。
さらに、「着物は難しい」と言われる。
季節によって、袷、単衣、絽といった素材や仕立てが異なる。着物に合わせる帯も、丸帯、袋帯、名古屋帯、半幅帯など着用する場所やシチュエーションによって異なるし、文様にも格式が高いフォーマルなものからカジュアルなものまである。色や柄の合わせ方も洋服とは違う決まり事のようなものがあって、敷居が高いように感じてしまう。ようやく着てみたところで、帯でお腹が苦しかったり、足袋が窮屈だったり、歩きにくかったりで、動作も含めて着こなすのは一苦労である。
日本人の着物離れと言いつつ、考えてみれば欧米人だって、タキシードやイブニングドレスを日常的に着ないし、チマチョゴリやチャイナドレスも、どこの国だって民族衣装は祭礼や特別な行事でしか着られなくなっているのだから、伝統的な衣装が日常着でなくなったのは日本だけではない。
むしろ、着物は世界的にまれに見るファッションと考えるべきかもしれない。
19世紀、着物はヨーロッパで爆発的な人気を博した。エキゾチックな色彩やデザイン、直線的な独特のスタイルが、ジャポニズムと呼ばれる日本ブームの一端を担った。その後も世界中のファッションデザイナーを魅了し、今もトレンドに取り入れ続けられている。着物風の長い袖、帯のようなウエストマークをはじめ、着物のシルエットやスタイルは、時代の流行とともに何度も解釈され、イメージが膨らんでいくうちに、現代ではすっかり洋服の中に溶け込んで、当の日本人でさえ気づいていないように思う。例えば、ここ数年女性のファッショントレンドになっている衿を背中の方にぐっと下げて首筋を見せるスタイルのシャツも、抜き衣紋と呼ばれる衿を後ろに引く着物と同じだ。数百年にもわたりファッショントレンドに影響を与え続けている民族衣装は着物以外にないだろう。
日本のオリンピックイヤーとなるはずだった2020年は、国内外で着物の展覧会が開催されている。特に大規模な展覧会はイギリスのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館で開催されている「Kimono Kyoto to cat walk」展である。江戸時代から現代までの日本の着物、着物にインスパイヤーされたヨーロッパのドレス、映画「スターウォーズ」のアミダラの衣装、ビョークの舞台衣装まで、現代に生きる着物のスタイルを紹介している。
まだまだ世界が注目する着物ではあるが、着物のスタイルだけ、見た目のエッセンスが、某かのファッションの中に残ればよいのか、と言われると何か違うように思う。
着物はファッションであり文化だ。
能、歌舞伎、狂言、日本舞踊をはじめとする舞台芸術、茶道、華道、香道といった芸事など、着物は日本の伝統文化のすべてに根ざしている。
着物ならではの立ち居振る舞いや所作の美しさ、文芸や自然観に根ざした色や文様の意味、粋や雅といった感性など、独特のスタイルを持つファッションでありながら、日本文化の本質を網羅しているのが着物だ。
着物文化が衰退するということは、日本の文化が衰退することに等しい。
ファーストファッション、ファーストフードが興隆し、早くてお手軽であることが善とされた時代に、面倒だとワキに追いやってしまった決まり事やしきたりの中に、日本の繊細な美意識があって、大量生産、大量消費のなかで風前の灯火となってしまった人の手による技がある。
機械化を極め、人の情報処理能力を遥かに超える人工知能が急速に発達しつつある今、もう一度自らの文化の根底にある美意識と、機械には出来ない人の手による伝統の技を見つめ直すことができたなら……
人がみずからの存在意義を問い直すうえでも、そう切に願う。
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