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メディアグランプリ

亡くした心を取り戻すために旅をすることについて


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:月村あゆみ(ライティング・ゼミ通信限定コース)
 
 
ここ最近、うまくいかないことが続いていた。
 
残業に突入する同僚たちの背中に向け、誰にともなく頭を下げ下げ退社する。そのまま、脇目も振らずに幼稚園、保育園とお迎え行脚。そして帰宅するや否や洗濯、夕飯作り、翌日の準備と一気にこなしてゆく。
毎日が自転車操業だ。欲しくてもうけた子どもだし、好きで続けている仕事だし、子どもは可愛いし仕事はやりがいがあるけれど、それでもやっぱり、けっこうしんどい。
やることが多すぎて、いつも先のことが気にかかっているのだ。そのせいで目の前のことに集中できず、特にここ数日、しょうもないミスを連発してしまっている。定期券を忘れて自腹で出勤する羽目になったり、作った書類の日付を1年間違えて全部作り直しになったり。
子どもたちを寝かしつけたら内緒で食べようと楽しみにしていたプリンは、寝かしつけているうちに自分も寝入ってしまうことを繰り返しているうち、いつの間にか賞味期限が切れ、同じく楽しみにしていたハーゲンダッツは、いつの間にか冷凍庫から消えていた。
 
何もかもが嫌になり、逃げ出したくなる。
そんな中で迎えた、待ちに待った夏休みは、初日にギックリ腰になるという形で幕を開けた(http://tenro-in.com/mediagp/147740 参照)。
もうやってられない。鬱屈した気持ちがだんだんと怒りに変わる。マグマのように沸々と湧き上がってくるのを感じる。
大噴火してしまう前に、私は旅に出ることにした。
 
平日昼間の東京駅、8番線ホーム。特急ひたち13号が音もなく滑り込んできた。
私はグランスタで買った駅弁を片手に、いそいそと乗り込んだ。
冷房の効いた車内は空いている。
東京駅からの予約済みを示す緑ランプはもちろん、次に停車する上野駅からの予約済みを示す黄ランプの点灯している座席もほとんどない。
まばらに座っている乗客は、そのほとんどがスーツを着たビジネスマンらしき男性客のようだった。一様に膝の上にパソコンを広げ、それぞれの作業に没頭している。空いた隣の席には、判で押したかのように、東京銘菓ひよ子の紙袋が置いてある。
スーツ姿のビジネスマンの中、薄手のワンピースにサンダル、手には小さめのボストンバッグと駅弁、といういささか場違いにすら感じる出で立ちの私に、彼らは一様にチラリと目をやり、そしてまたそれぞれの作業に戻っていく。
12時53分、定刻どおりに電車が走り出したことを確かめて、私はシートに深く身体を預けた。腰が痛い。
 
目的地までは、東京駅から電車で約2時間、そして車でもう30分。
車が市街を離れるころ、比較的強い雨が降ってきた。
まるでここ数日の私の心の中のようだ、と、車窓から外を眺める。
篠つく雨の中、車は茨城県高萩市の山の中で停車した。
 
ここは、天空の庭天馬夢。
東京ドーム約28個分。全国で最小面積の市である埼玉県蕨市の約4分の1という、広大な敷地を誇るヘルスリゾート施設だ。
ファスティング、つまり断食またはマクロビオティックに基づくリセット食と、毎日複数回開講されているヨガクラスを軸として、大自然の中でココロとカラダのリセットを目指すのをコンセプトとし、ホットヨガ教室などを展開しているLAVAが運営している。
そういえば、新卒のころ、運動不足を気にして半年ほどLAVAに通ったこともあったっけ。あの頃、今みたいな生活になるだなんて、想像もつかなかったな。
 
雨は、到着してチェックインをしている間に止んだようだった。
案内された部屋は、間接照明の美しいツインルーム。それほど広くはないが、部屋の奥は全面が窓になっていて、開放感が大きい。
ベランダの外には、雨上がりの山。雄大な大自然が広がっている。
気がつくと、私はバッグもスリッパもかなぐり捨てるようにして、裸足でふらふらとベランダに出ていた。
何かに導かれるように、大きく大きく伸びをして、深く深く雨上がりの空気を吸い込む。草の匂い。土の匂い。久しく嗅いでいなかった匂いで、鼻腔が満たされた。
「……!」
呼気とともに、声にならない叫びが口をつく。
鬱々とした日々の中で、溜まっていた何か。
澱のように奥底に淀んでいたそれが、私の体の中から、大自然の中へと飛び出していったようだった。
 
体が少し軽くなった気がする。
カメラとスマホ、それに部屋の鍵だけを持って、私は部屋から飛び出した。
 
天馬夢の広大な敷地には、馬が複数頭放し飼いにされている。有料ではあるが、引退した元乗用馬の彼らに乗馬体験することもできるのだそうだ。
手を加えすぎることなく、絶妙に整備された散歩コースを、当てもなくカメラ片手に歩き回るうち、あちこちで草を食む馬たちに遭遇したが、全員とてもいい顔をしていた。
表情に開放感が満ち溢れているのだ。
自由に歩き回る。好きな時に走り、好きな時に止まり、好きな時に草を食む。乗用馬として暮らしていた頃には得られなかったのであろう、自由を満喫しているようだった。
羨ましくて、シャッターを切りながら私は何度もため息をついた。
私だって自由でいたい。なのに、なんで彼らみたいに自由でいられないのだろう。
仕事。育児。その他諸々。肩にずっしりとのしかかっている、たくさんの何かたち。
ああ、やることが、やらなくちゃならないことが、とにかく多すぎる。
 
点々と草を食む馬たちを辿るように歩いていると、池にたどり着いた。
池のほとりには、大きな木。
雨が止んで静かになった水面に映るのは、雨上がりの真っ青な空と、白い雲。
空、雲、木、池、そして私。
それだけが今、ここに在って、ただ、時間だけが静かに流れていた。
 
本当はいろいろなことをするつもりで来ていた。
溜まっている幼稚園や保育園の書類。オンラインセミナーの聴講、レジュメの整理。
ボストンバッグいっぱいに詰めてきたそんな計画たちが、音もなくほどけて、浮いて、風に吹かれて、雲と一緒に流れていく。
 
ヨガの最終的な目的は、心の動きを止めることだという。
あのポーズも、呼吸法も、瞑想も、全てはブレない心のためのものなのだ。
日々の些事に振り回され、フワフワと浮いてブレまくっていた私の心。おまけにギックリ腰で体の軸までブレてしまっていた。
心を亡くす、と書いて、「忙」。
忙しく忙しない日常の中、いつしか頼りなく浮いて、ここにいなかった私の心が、空と雲と池と木に見守られ、体の芯に戻ってくるような感覚。
私はゆっくりと自分自身を取り戻す感覚に身を委ねた。
 
池のほとりに佇んだまま、どれくらいの時間が過ぎたのだろう。
それは地球の歴史くらいに長かったようでもあり、瞬きするほどの一瞬だったようでもあった。
いつの間にか辺りには夕暮れが迫っていて、空が、周りが、世界の色が、刻々と変わりだす。
久しぶりにヨガを再開するのも、いいかもしれないな。
そんなふうに思いながら、私は池を後にした。
 
***
 
 
 
 
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2020-09-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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