カシミールという店
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:田中真美子(ライティング・ゼミ平日コース)
神奈川県横浜市、鴨居という場所に「カレーハウス カシミール」という店があった。
過去形なのは、2020年2月29日に多くの人に惜しまれつつも閉店してしまったからだ。
創業は1978年というから、42年という長い歴史の幕を閉じたことになる。
この鴨居のカシミールは、カレー好きの間では有名店であったのでちょっとwebで検索すれば結構な数の情報が出てくる。
カシミールが有名になったのは2017年の「dancyu」6月号の記事がきっかけだろう。
このお店に36年間通った文筆家の加藤ジャンプ氏が書いた記事だ。
その号の表紙になったカシミールのカレーがシンプルで美しく、記事中の写真のお店の佇まいも古き良き昭和を感じさせ、たまたま神奈川に住む私はこの店に絶対行かねば! と強い気持ちを抱いたのを覚えている。
そうして、私たち夫婦はカシミールを訪れた。
JR横浜線の鴨居駅から歩いてすぐのところにある、趣のある雑居ビルの2階にその店はあった。
鴨居にはららぽーと横浜があり、観たい映画があるときにわざわざららぽーと横浜のシネコンまで行って映画を観て、観終わってからカシミールでカレーを食べながら映画の感想を言い合うのが夫婦の定番になった。
高齢のご主人が作るカレーは、家庭のルーから作るトロミのあるカレーとは違ってシャバシャバのカレーだ。
そのシャバシャバなルーに玉ねぎやじゃがいも、人参のあまみとうまみが溶け込み、辛いんだけどすごく優しくてほっとする味で、ご主人の人柄が滲み出ているようなカレーだった。
そして何度も通ってしまうくらい、期待通り、いや期待以上の旨さであった。
カレーは何種類かあったがこの店の店名になっているカシミールカレーが一番有名で一番辛いカレーだ。
カレー好きのくせに辛いのがそこまで得意ではない私はカシミールカレーが食べられなかったが、辛いもの好きの夫はいつもカシミールカレーを注文していた。
いつであったか、最後にカシミールを訪れたときに夫はいつものようにカシミールカレーを注文した。
その日私たちが訪れたタイミングはちょうど客がいっぱいで忙しそうだった。
ご主人はいつものようにひとり黙々と、そして次々と注文の入ったカレーを調理していた。
私たちのところにもようやく注文したカレーが配膳され、お腹ペコペコだった私たちはすぐさまスプーンでカレーをかき込んだ。
「あれっ」
夫がぼそっと呟いた。
いつもとカレーの味が違うというのだ。
私も一口もらって食べてみる。
確かに、いつも夫から一口食べさせてもらう辛いカシミールカレーと違いあまり辛くない。
どうやら、注文したカレーと違うものが来てしまったようだった。
結局、私たちはそのことを伝えず、夫は出されたカレーを食べて店を後にした。
普通のチェーン店であったら、店員に違うものが来たと言って取り替えてもらっていただろう。
でも私たちはそうしなかった。
ひとり忙しくカレーを作るご主人に遠慮したわけではない。
頼んだカレーと違うものが来たとしても、間違いなく旨いのだ。
それはそれでまあいいか、と思わせるとてつもない魅力がカシミールという店と、その店のカレーにあったからだ。
その後、誰かのツイートか何かでカシミールが閉店してしまったことを知り、夫は最後にカシミールカレーを食べ損ねたままになってしまった。
閉店することを知っていればもっと頻繁に通ったのに、とちょっと後悔もしたが、それでも雑誌の記事をきっかけに素晴らしい店に出会え、感動する味を知ることができたことをありがたく思った。
出会いとは運命だ。
ふとしたことをきっかけに、素晴らしい出会いに巡り合えたということは、運命だ。
あの時dancyuの記事でカシミールに出会わなかったら、神奈川に住んでいなかったら、そしてお店に行かなかったら、私たちはカシミールのカレーで感動することは無かったのだ。
閉店までに訪れられたのは両手で数えられるくらいだったけど、あのゆっくりとした時間の流れる空間で、人柄の良さそうなご主人が丁寧に作るカレーを食べるという経験ができたことは、本当に貴重な経験となった。
一期一会、という言葉を思い出す。
いつでも一期一会かもしれないという気持ちで過ごさないと、今この瞬間というタイミングを逃してしまうことがある。
今まで、何度となくタイミングを逃し後悔したことがあった。
タイミングを逃し、永遠に会えなくなってしまった人もいた。
後悔は、してからでは遅いのだ。
カシミールには間に合って良かった。
カシミールという店の魅力を余すことなく伝えていたあの記事に私はきっかけを与えられた。
きっと私たちと同じようあの記事がきっかけでカシミールに通い始めた人は何人もいたであろう。
誰かの行動のきっかけになれるっていうことはどんなに素敵なことだろう。
いつか私も誰かの背中を押してあげられるような、そんな言葉を伝えられるようになりたい。
***
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