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その百万円は小さな流れ星とともに


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:桐生 譲(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
7月に父が急逝した。
享年87歳。
その顔はとても安らかだった。特に苦しむことなく、幸せな旅立ちだったのではないだろうか。
 
僕の山好きは、就学前、毎週のように高尾山や丹沢に連れて行ってくれた父に由来する。
最近でも、たまにLINEで風景写真を送ると、昔語りも交えてうれしいリプをくれたものだった。
 
両親は、2年前に自宅を売却し、そのお金を前払い金に充て、一緒に介護付き老人ホームに入居した。
母は8歳年下のこともあり、お金回りは母が管理していたので、いわゆる父の相続財産は、相続税が問題になる水準にはほど遠く、それは、ある意味残された者の期待をくじくような額だった。
でも、その中の百万円の定期預金が、数か月、僕の心にモヤモヤとした雲を垂れ込めることになった。
 
納骨を済ませた頃、「これは父さんがお前の誕生日に定期預金を作ったものなの。長いこと忘れていたのだけれども、遺品を整理していたら見つかって。カメラのレンズか旅行の足しにでもしたら、父さん喜ぶよ」といって、母から父名義の1冊の通帳とキャッシュカード、そして印鑑を手渡された。
翌週、たまたま会社の休暇が取れたので、銀行の窓口で定期預金を下ろしに行くことにした。
 
番号札の番号が呼ばれ、窓口の女性は山中さん。僕の知っている山中さんは優しい人なので、すこし嬉しい気持ちで、通帳を差し出した。
 
「この百万円の定期預金を払い戻したいのですが」
「ご本人様名義ですか」
「いえ、父のです」
「委任状はお持ちですか?」
「いえ、ありません」
「今から、お父様と電話で意思確認をさせて頂けますか?」
「ちょ、ちょっと待って……」
 
既に父はこの世にいない。でも、そのことを話すと相続としての銀行の手続きが始まり、預金の引出しには、戸籍謄本やら印鑑署名やら相続人全員の署名が必要になってくる……。
そんな大そう面倒な手続きの展開は、僕にも容易に予想がついた。
 
「あの、ここに父の印鑑と通帳と、マイナンバーカード。あと、僕の免許証ならお見せできるのですが……」
 
その山中さんは、たぶん内心呆れながら、氷点下の笑顔で、「ご本人の意思が確認できない限り、この総合口座の定期預金の手続きは致しかねます」と言葉の刃でボクを斬り放った。
それから何か食い下がったが、呼吸を整え、「父が寝たきりで、新型コロナの状況でもあり、出直してきます」と銀行を後にした。
 
一般に、預金者が亡くなると、民法に従って、一定の複数の親族にその権利が移る。いくら息子であっても、銀行が漫然と一人の人に払い戻したら、あとから他の相続人が正当な権利者として払い戻しを求めた場合、銀行はそれに応じざるを得ない。つまり、銀行は二重に支払うリスクを負うことになるのだ。
そのため、銀行が相応の注意を尽くして、預金者の死亡を知ったなら、戸籍謄本で相続人をしっかり銀行側が確認して、相続人全員の署名と実印で払い戻すのである。
これらは民事法の話なので、僕が預金者死亡の事実を伝えなかったこと自体、罪に問われることはない。でも、勝手に委任状を作ったりしたら偽造になって犯罪である。昨今、振り込め詐欺やマネロンなど、預金をめぐって銀行も相当に注意深くなっているので、下手に詭弁を弄すると、その百万円が永遠に塩漬けになってしまう!
 
「ああ。僕のひゃくまんえん……」
 
当然、正々と相続手続きを進めることも考えた。母と弟は問題ないとして、小さくない問題があった。妹はとある宗教上の理由で外国に居り、必要最低限のメッセージのやり取りは可能ながら、何十年と疎遠なのである。ましてや、このコロナ禍にあって、日本に来ての署名は不可能に近く、理論上の数十万円のために書類を海外とやり取りするのは、日本にいる我々にとって、南十字星をカメラに収めるほどにとても難しい。
 
「あきらめるしかないか……」
 
モヤモヤとした気持ちを晴らすため、旅に行きたくなった。
「そうだ、南十字星を撮りに行こう!」
 
Go Toトラベルを利用して、石垣島に南十字星を撮りに来た。
 
6日間の滞在で、その前日が新月なので、星空撮影にはうってつけ……のはずが、曇りや小雨、そして強い風のお出迎えだった。
 
旅を決めてからわかったことだが、南十字星は12月は微妙で、夜明け前に波照間島辺りだとどうにか見られるそうだが、強風で船も欠航がちで、石垣島のホテルでチャンスを待った。
 
5日目の明け方、夜中に目を覚ますと星空が見えた。すぐにレンタカーを飛ばして、多田浜海岸に向かった。
 
石垣島のホテルの周りは、結構、街の光が明るく、なかなか星空撮影は厳しいのだが、その多田浜海岸は海沿いのゴルフ場の近くにあって、邪魔な光は来ないことを事前に確認していた。
 
4時頃だった。雲は空全体の4割ほどで、上空は風が強いらしく雲が流れて星の明るさは絶えず変化していた。
 
星空アプリを片手に、三脚を構え、16-35mmの広角レンズで、無心に撮り続けた。
 
西の空にシリウスが力強く白く輝いていた。
 
南十字星は……?
 
たぶん、水平線の上に、4つの星の内、上の3つが見えているあれだろう。
 
見渡すと、見慣れた星座……、北斗七星!
 
南の島で、北斗七星を無心に撮った。
 
一瞬、ひしゃくの取っ手が煌めいた。
 
一つの考えが閃いた。
 
その定期預金は総合口座だった。総合口座とはセットの普通預金からその9割、つまり90万円まで引き出すことができる。つまり、通帳にマイナス表示されるとはいえ、90万円はキャッシュカードで回収できるのだ。
とはいえ、例の振り込め詐欺防止とかの事情で、1回や1日あたりの引出しの限度額があるみたいなので、そこは気長に何回か下ろしていくことにしよう。
 
では、残りの10万円はあきらめるのか?
 
実はそこが閃きポイントなのだが、マイナスということは、銀行から定期預金を担保にお金を借りていることなので利息を払う必要がある。
 
本当は、借りるのではなく返して欲しいのだが、山中さんは許してくれなかった。
 
でも、貸越極度の目いっぱいに90万円借りていて、半年経って利息を取られる時、利息の分その極度を超えてしまうことになる。そうすると銀行は利息を預金者に請求するのだが、登録の電話にはつながらない。連絡がつかずに半年過ぎると、相殺という預金規定のルールに従って、銀行が勝手に定期預金を解約してくれるのだ。
利息といっても、この低金利の時代、1万円も取られることにはならないだろう。
その後の差額の100万円マイナス90万円マイナス貸越利息の残額9万何千円については、キャッシュカードが使えればいずれ何とかなるだろう。その頃には窓口でも、百万円よりは大金でないので、相続とかややこしいことは言われないかも知れない。
 
そう考えると、気持ちが晴れてきた。
 
明けの明星も輝き始めた。帰ろう。
 
帰宅して、その時の北斗七星の写真を見返してみた。
小さく流れ星が光っていた。
 
 
 
 
***
 
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2020-12-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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