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メディアグランプリ

一蓮托生


Tomoさん 一蓮托生

記事:Tomo San(ライティング・ラボ)

 

自爆していくあからさまな悪者を、私はこの目で、はっきりとみた。それは、燃え盛る炎のような水平線に、じわじわと沈む夕日だった。夕日は、水面に近づくにつれ、異様に激しく燃え上がる。消える寸前の、ぶどうの粒みたいにまるい、線香花火のふるえる穂先を思い出す。私はただ黙って、それを見ている。遠くから。

私は、夕日に向けて、大きな鏡をかざしている。

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私は、この職業を初めて選んだ。研究なんて、今まで一度もやったことがなかったし、やれると思っていなかった。今までは、転職が趣味みたいに、コロコロ仕事を変えて、歌うみたいに生きていた。

でも、今回だけは違ってた。ひっぱられるみたいに、「研究者になりたかったんです」と、断言する自分がいた。なんなんだこれは。わからない。操られる感覚を、味わった。自分が言いたいんじゃないのに、説明している自分が、よくわからなかった。

そこから、3年。もう、いやというほどの地獄をみた。帰り道は、意味もなく涙が止まらなかったし、夜中に何度も目が覚めた。1年目は、体重は8キロ前後のふり幅で、減ったり増えたり、常にしていた。休みの日も、電話が鳴り続け、私はほんとうに、生きた心地がしなかった。大勢の前で侮辱されたり、吐き捨てるような罵声を浴びたり、きこえるような小声で悪口を言われるのは、日常茶飯事。いつだったか、そう、プレゼンの時に、急に涙が止まらなくなったことがある。最前列の席の教授に、気が付かれないか心配になるくらい、ぽたぽたぽたぽた、涙が落ち続けた。びっくりして、でも、きっと誰かに救ってほしい気持ちも、あったと思う。すぐそばにベテランの医師がいたが、彼女は私に、気が付かないふりをした。私は、涙が流れる以外は、全てのトーンを変えず、PSPの症例について、淡々と話し続けた。

3年間、本当に毎日、こんな日が続いた。半殺しのまま、ベルトコンベアーにのって、先の見えない闇に、ゆっくり進んでいく気持ち。そこで耐え続けたのは、医者という仕事が好きだったからじゃない。悔しかったから。自分ができると思っていたことが、全然できないと評される悔しさ。私はそれを認めたくなかった。だから続けたのだと思う。続けて、いつかできるようになれば、それは成功になると信じたかった。

でも、4年目の春、私はこの仕事を、すっかり辞める気持ちになっていた。ちょうどその時だった。一人の常務に呼ばれて、私は、会議室に行った。見晴らしのいい部屋で、ふかふかの背もたれが、気持ち悪いくらい背中に吸い付く。私は、背をわざと話すように座り直した。

話の内容は、私が医師をする能力がないというような内容で、その考えは今の上司の考えであると、申し訳なさそうに、常務は言った。だから私はこう答えた。

「私も、できていないと思います。ですので、自分でも4月当初から退職を考えていました。お役に立てないのであれば、私は辞めるべきだと思います」

きっぱり言った。すると常務は、急に表情を変え、私を引き留めようとした。君は、過去最高の難易度のオペをやりとげたし、患者数はうなぎのぼりだ。今すぐやめられても困るというようなことを、言っていた。この人は、何を言っているのだろう。一貫性がないし、本音が見えない。私は彼に対し、元からあった不信感をさらに強くしかけたが、単純にマンパワーの問題で、次の人が見つかるまで、つなぎたいということなのだと推測した。本心は辛かったが、今年いっぱいは、やりますと言うと、常務はほっとしたような表情を見せた。

数か月して判明したことだが、常務が、私に対してやめてもらいたいと個人的に思っていたということが判った。上司に言わせるとそれは、誘導尋問であったと言う。私は、必死に説明する上司を眺めながら、
「私、本当にどっちでもいいんです」
と答えた。私に実力がないのは、その通りだし、それはなにより、いやというほど私が知っている。しかし、もう一つの事実として、私は完全に抑圧されていた。何をしても、槍が飛んでくる状況で、私は盾を必死に探すことしか、やってこなかった。そんな自分にうんざりしていた。それは、医師じゃない。だから、辞めようと思った。

辞めると決めてから、私は、あらゆる攻撃が、全く怖くなくなった。続けたいという気持ちが、辛かった原因だと判った。自分の見解を述べ、違うと思うことは違うと言い、遠慮を一切しなくなった。代わりに、笑顔で仕事を引き受けるようにした。他者が求めていることが、なによりそこだと確信したからだ。自分を変えて、できなかったことをできるようにしてから、辞めたいと思った。せっかく苦労したんなら、その分なにか、おみやげを持って帰らないと、悔しいと思いませんか。

辞めると決めてから、不思議と、力の及ばない範囲で、いろいろなことが動き出した。オペの成功が、上層部にも伝わり、特別報酬が出た。「部署内でも先生だけですので、他言しないでください」と、事務長から直接言われたこともある。また、小さなことで言えば、私に暴言ばかり吐いていた教授が退職した。そして、証拠のないミスを私のせいだと言い続けた女医がいて、その人がどうなったか、今から具体的に述べる。

最初は、彼女に対する患者からのクレームが、数件から数十件になった。当然彼女はそれに対し、様々な理由をつけて、隠ぺいしようとしたし、病院側も、全面的に彼女を守ろうと必死だった。しかし、クレームはどんどん数を増し続け、抑えきれない状態にまでふくれあがった。また、彼女は重要書類を紛失し、マスコミに叩かれた。そのことがきっかけで、彼女は大病を患い、最終的に、感情のコントロールが利かなくなった。徐々に笑顔が引きつり、私に対して陰でしか攻撃してこなかったのが、人がいる前でもあからさまに大声を出すようになった。まるで、自分でありじごくにはまりこんでいくように、ほんとうにじわじわと、着実に不幸になっていった。

いつの日だったか、彼女がやっていることを、具体的かつ詳細に記録してくださいと、上司に指示された。これは部署内全員への、暗黙の通達だった。

私は、ノートに日時と、彼女の言動とウソを、具体的に記録していった。

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夕日は、びかびか光り続ける。玉虫色に燃えているのは、遠くからでもよくわかる。私の着ている白衣も、夕日色に染まった。
もう落ちていくのはわかっているのに、それでも燃えようとするのは、なぜだろう。私もそんなふうに、落ちる寸前は、爆発するみたいに燃えるのだろうか。

自爆する夕日。

鏡を手にしたまま、私はただ黙って、それを見ていた。

 

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この記事は、11月まで開催していた「ライティング・ラボ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
2015年12月からはラボからさらにパワーアップした「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

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2015-12-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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