ふうがわりな中学受験 12歳で美術家を志す娘へ
記事:横手モレル(ライティング・ゼミ)
「まずね、アタリがいいよ。平行の線もうまく取れてる。デフォルメの画風のなかで、選ぶべき線を手数少なくとれているからいい。もちろん不正解の線もあるけど、正直言って12歳でこれを描けることにおれは驚く。画塾行ってないんだろ。小学生だろ。まずはデッサン。それは当然として持つべき技術だから。……おれがやろうか。その気があるのなら、伸びる」
過去問のウラに娘が残したいたずら描き。そいつの写真をわたしは飲み友だちのシムラ君に見せた。たしか芸術系の研究をやってきた彼だ。漫画絵だ、いたずら描きだ、叱られるかな。話題を変えられてしまったら終わりにしよう。そんな予防線を張りながら、チューハイの陰でこっそり見せた。シムラ君は小さな画面を拡大したり、縮小したり、うーんとうなってみたり、あらゆるバリエーションでわたしを待たせた。そして冒頭のような言葉を投げて咳き込むと、ひん曲がったハイライトに火をつけた。
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2月も数日が過ぎた夜だった。ようやく中学受験の日程を終えた12歳ママのわたしは、へんてこな友人・シムラくんと、その仲間たちの集まる酒の席に呼ばれていた。それは子どもたちがようやく寝付いた深夜の始まりで、わたしの住処は彼らの席からいささか遠い場所であった。「来るんだろ」、LINEが鳴った。予言のリマインドのように呼び出されたので、わたしはジャケットだけを引っかけると、小さな音でカギをかけて、暴走するタクシーを捕まえて、彼らの待つ居酒屋に一路、向かった。
わたしの娘が中学受験をすることを3人には伝えてあったから、2月第1週の終わるその日の時点で彼らと会うという約束には、結果報告も含まれていた。
わたしは駆けつけ一杯のカンパイを済ませると、「受験、終わったよ。みんなに報告する」と口を開いた。3人の目が、いっせいにこちらを優しく見つめていた。
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公立の小学校生活のなかで生きづらさを獲得していた娘のよすがは、6年生の2学期以降、絵と受験のふたつだった。隙間時間を埋めるようにクロッキー帳に取り組んで、人間関係につまずいていた娘と悩みをシェアするうちに、そのふたつの目標が建てられたのだ。
そこに至るまでの筋道は、こうだ。わたしは自分の知恵を凌駕する事態においてはあっさりアウトソーシングする、という基本姿勢で生きてきたので、さまざまな教育機関と話し合った。医療従事者とも面会した。自治体にも行った。現役学生とも話したし、さまざまな教職の方とも話し込んだ。結果、親として娘に提案できることとは「選択肢の分母を増やすこと」だと思った。娘の、将来の、選択肢の分母を増やすこと。その一環が「受験するって未来はどう?」という呼びかけになり、「好きな絵を本格的に勉強する、って未来もどう?」という提案としてシェイプされた。「逃げるわけじゃない。自分の未来を選ぶことなんだよ」と、念だって押した。
娘はわたしたち親の提案にうなずいた。「やる」。彼女の唇がそう言った。自分の足で道を開く、第一歩だった。季節はすでに6年生の2学期だった。お受験モードの家庭であれば、2年生ぐらいから進学塾を選ばせている、そんな実例をたくさん知っていた。「間に合うわけがない」、そんな脳内の声を振り切った。「間に合わないんじゃない、やるんだよ」。
それからというもの、補習塾の内容を、絞った受験校のための内容に切り替えた。問題があらわになった。学校に行きづらかったころの社会、算数の土台がすっぽ抜けていた。もはやそれは無視をして、過去問をトレースしていく突貫工事にのめりこんだ。なりふりは構わなかった。偏差値にも一喜一憂しなかった。塾は同級生が一人もいないところだったので、模試で誰それと争うこともなく、娘はたんたんと自分の勉強に取り組んだ。
第一志望ひとつに絞った受験勉強を路線に乗せたころだった。娘が、通う小学校を好きになりなおした。そして模試の結果がふるわなかった。「公立に行って、みんなと遊びたい」。「みんながいればいい。わたしは友だちさえいれば幸せだから、受験なんてしたくない」。
わたしは娘の肩を抱いた。「あなたの好きな『みんな』は、あなたに魅力を感じてくれるから友だちなんだよね。つまり、あなたが魅力を磨かなくなったら、素敵な友だちはいなくなる。学校に行きづらかった、けれど美術をやりたいという目標をもって勉強を始めて、そのうえで『みんな』を大事にするあなた、そこが魅力になったから、もう一度お友だちを作り直せたんだよね」
娘はうなずいた。わたし、がんばってるよ、と声が震えた。
「受験をやめて公立中学に通うのも、ひとつの選択肢だと思ってるよ。だけど、『みんな』のために通うというのは、視野狭窄だと思うんだ。あなたが一からげにする『みんな』ひとりひとりにも進路があって、興味の対象があって、それぞれの目標に向かって頑張っているわけでしょう。その頑張りが魅力になって、お互いが惹かれて、友だちになるんだと思う。あなたが受験から降りることの言い訳として『みんな』という言葉を使うのだとしたら、それは『みんな』に対して失礼だよ。だから公立中学を選ぶのであれば、能動的な理由をママに教えてほしい」
娘は小さく震えた。「ママ、お願いだから『頑張る』って言葉を使わないで」「責められている気がしてとてもつらい」と言って震えた。そうなのだ、これは禁止ワードなのだった。
わたしは自分を責めた。しかし娘は顔をあげて、翌日は決まった時間にリュックを背負って塾に向かった。リビングの机の上には、やり残した問題集と、膨大にいたずら描きされたイラスト紙の山が残っていた。こうして、一直線ではない受験準備の日々が過ぎた。
2月1日。大都市における私立中学受験のピークとなる日。娘は第一志望校を受験した。わたしは朝4時に起きて弁当を作り、熱い麦茶をポットに入れ、会場で読んでもらう手紙を書いた。娘はその期に及んでもマイペースだった。時間が来ると、ホッカイロを揉んでいちゃつきながら学校に向かった。電車の中で日本史の暗記表を見せようとすると、要らないと断られた。校門が見えた。大手塾の先生がたが「わが子」だけを探し出して大げさに鼓舞するようすを横目で見た。「あれ、ほんとに見ちゃうとおっかしいね」、と娘が小さな声で笑った。そうこうしているうちに時間が来た。娘はわたしの求めた握手に弱々しくしくこたえると、振り向かずに試験室に向かった。
わたしは知らなかった。テスト時間を待機する親の、長いながい「時間つぶし」のつらさを。その学校からは「保護者控室」として教室を割り当てられていたものの、支配する重苦しい沈黙に耐えかねたわたしは、15分ほど歩いて喫茶店を探し、煮詰まったコーヒーをすすりながら原稿を書いた。とても寒い、灰色の朝だった。
今時の中学受験の結果は、即日にwebで見られるようになっている。わたしは、呆然と校舎を出てくる娘の肩を抱いて、紅茶を飲ませて帰宅して、その後はテレビゲームのスプラトゥーンに没頭する娘のうしろでwebを開いた。合格者一覧……ない。補欠……気が遠くなる順番に、娘。わたしはひと呼吸おいてから娘に明るい声をかけ、そして事実を伝えた。
その号泣はすさまじいものだった。赤ちゃんのように、床にくるまって泣く娘だった。『となりのトトロ』のメイちゃんのような泣き顔だった。びしょ濡れの顔をわたしは膝の上に乗せた。「もういやだ。受験なんてしたくない」「明日の受験も行かない。絵なんて描かない」「『みんな』の中学に行きたい」。娘は泣き叫んだ。否定はかけず、うなずいていった。するとのどの力も使い果たした娘から、矛盾するような嗚咽がこぼれた。「ママ……わたし、絵が描きたい」。
不謹慎だと叱られるかもしれないけれど、そのときわたしの脳裏に浮かんだのは漫画『スラムダンク』の名セリフ「安西先生……バスケがしたいです」だった。
わたしは娘にパジャマを着させた。そしてはっとした。いつの間に、こんなふっくらとした柔らかい身体に成長していたんだろう。大人になっていく肉体と、小学6年生の知恵と経験と、きれいな目標と、まっくろな我欲。そんなものがぱんぱんに詰まった身体をながめ、触ると怒られるのでぽんと叩いて、布団に入れた。わたしも同じ布団の足のほうから身体をつっこみ、明日の学校の話をした。いつの間にか、わたしの方が先に眠った。
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娘はこうして数日を戦い、ありがたいことにいくつかの学校からご縁をいただいた。彼女が泣きながら漏らした「絵が描きたい」という言葉をわたしが忘れることはない。そして話は冒頭に戻る。彼女が翌日の受験のおさらいもせず、過去問のはしっこに描いていた絵を、叱りながらもわたしは大切に思っていた。だからスマホで写真に撮ったし、シムラくんにも見せたのだ。
森羅万象のなんについても言語化を試みられるシムラくんが、娘の絵に未来を見てくれたのはうれしかった。「美術やる、ってことは、おおいにろくでもなくなる、ってことだよ」。「そして人を、ものを、死ぬほど観察しまくることになる」。「経済も家庭もほんとムリだよ」。という、わたしもつねづね思っていた美術家観を補強してくれたのも良かった。
それが彼女の願いであるなら、わたしは分母を増やしてやりたい。感性だけで押し通してきた彼女の技術をきっちりと仕上げる選択肢を、きれいなものから醜悪なものまでなんでも学ばせる(それが文化だと思っている)選択肢を、言語能力をブラッシュアップする選択肢を、のんびり寝てゲームして堕落するという魅力的な選択肢を、会いたい作家さんを紹介する手管を、あっちゅう間にダメ男に引っかかって『金八先生』ノリの人生になる分母を、その他いろんな分母をひろげて、今夜の晩御飯を考えていたいと思うのである。それが周りまわって、おのれの分母になるのではないかと、画策するからなのである。
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