メディアグランプリ

関東人の目線から考察した、「関西人は話にオチをつけたがる」問題について


記事:鈴木彩子(ライティング・ゼミ)

 

「オチの無い話をされると、『……で?』ってなってまう。『え? 終わり? オチは?』って」

どきぃぃぃぃっ!

関西出身の友達と楽しく飲んでいた時のことです。何気なく質問したんです。関西の人って、話にオチがないとダメって聞いたんだけど、あれって、本当? と。その答えが冒頭のそれです。そしてその次の擬音が、私の心臓の音です。いやぁ、一瞬、酔いが冷めました。
「へぇ、やっぱそうなんだぁ~、あはは~」などと笑いつつ、内心は冷や汗、滝のごとし。氷で薄くなったジンジャーハイボールを喉に流し込んで、どうにか動揺をごまかしました。

その友達とは、表情筋が痛くなるほど大笑いしながら楽しいお酒を飲む仲です。話が面白く、愛嬌たっぷりのかわいらしい女性で、私がしょーもない冗談を言っても、ツッコんだりノったりしてちゃんと笑って返してくれます。どんな話を振られても軽やかに打ち返す姿は、もはや面白いとか話しやすいとかを通り越して、カッコいいのです。

一方の私はというと、残念ながらあまり話の上手なタイプではありません。どちらかというと、質問や合の手を挟む積極的な聞き役や、笑顔でうなづくのが9割の消極的な聞き役に回ることが多いように思います。
強く憧れてはいるんですけどね、楽しい話で笑いを提供する側に。おしゃべりも場数だ! と思って、話す側として打席に立つ回数を増やそうと思ってはいるのですが、悲しい哉、性根の一番ベースの部分に脈々と流れる人見知りと恥ずかしがりの性質が邪魔をして「この人なら聞いてくれるかも」という相手にしか話せません。聞いてくれそうな人を嗅ぎ分ける能力は多少発達してきたように思いますが、我ながら「そうじゃない感」がものすごいです。あぁ……。

そんな私にとって、彼女は貴重な「聞いてくれる人」のひとりでした。彼女がリアクション上手なおかげで、会話はボールのようにポンポンと弾み、自分がちょっと話上手になった気分すら味わわせてもらいました。
でも振り返ってみると、話にオチをつけてしゃべれた記憶はありません。お酒のせいで記憶が無いならまだ救いもありますが、そうではないのです。私は、彼女とのおしゃべりで、オチをつけられたことがない……。
だからドキッとしたんです。会話を楽しいと思っていたのは、私だけだったんじゃないか? 優しい彼女は、私のオチの無い話にも、大人の対応で付き合ってくれていただけだったんじゃないか? だとしたら、こんなに申し訳ないことはありません。

しかし、その次の彼女の言葉は実に意外でした。
「彩子さんと話してるときは、『オチは?』とか思ったことないけどね」

……よかった~。

しかし、これで余計に分からなくなりました。
生まれも育ちも関東の私にとっては、日常会話にオチをつけるということ自体、なじみの無い文化です。子どもの頃からお笑いが好きだったので、「最後の笑える部分のことをオチというんだな」くらいの認識はありましたが、オチをつけるのはお笑いのプロの仕事であって、私たち一般人の何気ない日常会話とはまったく関係の無いものだと思っていました。しかし、彼女によると、私のおしゃべりには最低限のオチがついているようなのです。「オチのある話」って、一体何なのでしょう?

数日後、私は飲み屋さんのカウンターで、たまたま隣になった初対面の人と話していました。穏やかで、物腰やわらかで、人の好さがにじみ出ている感じだったのですが、どうにも話が弾まないのです。

例1)
その人「ビールは好きなんですけどね~(笑)」
私の心の声「けど……何だ? あれ? 最後笑ったぞ。笑うところだったのか?」

例2)
その人「今日は休みだったんでー、昼ごろに起きてー、洗濯してー、二度寝しちゃってー、わーヤバいと思ってー……」
私の心の声「おぉ、私は今、初対面の人から何を聞かされているのだ?」

この例は実際に交わされた言葉ではありません。今そのときの会話を具体的に思い出そうとしても、さっぱり思い出せないほど印象が薄いのです。覚えているのは、「何でだ? どうしてこんなにも絡みづらいんだ?」という疑問と大きな違和感だけ。質問を挟んだり合の手を入れたりする「積極的な聞き役戦法」に切り替えてみても全く歯が立たない程の、ある意味強敵! その人の話を聞いている間、ずーっと思ってました。「……で? え? 終わり? そんな雑に丸投げされた話を拾って広げるとか、しんどいっス!」

そこで気付いたのです。「あ、これか」と。「これがオチのない話というヤツか」と。
最後に笑える部分があるかどうかなんて関係なかったんです。話の内容だって、それほど問題じゃありません。自分が話し終えるときに、相手が反応しやすい空気と流れをちゃんと作っているかが大切だったんです。

会話はよくキャッチボールに例えられますが、「オチの無い話」というのは、暴投なのだと思います。微妙な暴投は相手をヘトヘトになるまで走り回らせ、疲れさせます。とんでもない暴投は、相手のキャッチする気を完全に殺いでしまうでしょう。それでは楽しいキャッチボールなんてできません。「オチをつける」というのは、「取りやすいボールを投げてあげる」ということなのだと思います。

私は今まで、「関西人は話にオチをつけたがる」を誤解していました。関西の方々の話のうまさと笑いのセンスに惑わされて、「日常の話すら全て笑いに変えてしまう」ということだと思っていたのです。
しかしこう考えてみると、「オチをつける」ということは、「話を続けやすい状況を作ってから相手に渡す」という風に言い換えられます。だとすると、「オチをつけたがる」という性質は、関西・関東を問わず、みんなが備えておくべき大切な「配慮のカタチ」なのかもしれません。おぉ! これなら笑いのセンスは関係ないじゃん!

……とはいえ、やはり最後に笑いのとれる話にはやっぱり憧れます。せっかく身近に話の面白い「名投手」がいるので、相変わらずカッコいいその姿を見ながら少しずつ勉強して、このような文章にも笑いでオチをつけられるようになろうと思います。

 

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2016-02-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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