転勤という転機
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記事:森 典子(ライティング・ゼミ平日コース)
今年の4月に13回目の転勤の辞令をもらった。人事は「ひと・ごと」と書くように、個人の事情に関係なく決まる。転勤の時期は大体予測はしていたものの、今回の赴任先は全くの想定外だった。過去12回の転勤では名古屋市東部中心だった。だが、今回は市内を横断して西部方面。全く土地勘もなく、知らない人ばかりの職場だった。
何度も転勤を経験しているとは言え、今回の転勤は不安でいっぱいだった。その上、転勤の内示をもらった直後の3月27日に父を亡くした。
そんな状況で迎えた転勤先への出勤初日。地下鉄からバスに乗って30分。窓から見る風景は、同じ市内とは思えなかった。何本もの河を超えて進むバスに、自分の意志とは関係なく、どんどん遠くに運ばれていく気がしていた。見知らぬ場所の見知らぬバス停。スマホ片手にバス停から勤務地の保育園を目指す。
バス停から職場に向かう途中、小学校沿いの歩道を通った。学校の敷地の花壇には、パンジー、フリージア、チューリップ、スノーポールなどなど、色とりどりの花が一斉に咲き乱れていた。その一画に人工池があり、「金魚池」と書いてあった。猫に狙われないように、ちゃんとネットも掛けてあった。思わず足を止めて中を覗き込む。池が大きいためか、鯉かと思うくらいの大きさの金魚が何匹も悠々と泳いでいた。確かに金魚がいる池だから金魚池かと思ったが、そのネーミングにクスっと笑えた。頬の筋肉が緩み、初めて自分の表情が硬くなっていることに気が付いた。「金魚池、金魚池」そんなことをぶつぶつ言いながら歩いていたら、保育園に着くころには、肩の力が抜けていた。
翌日、園長として校長先生にご挨拶に伺った。その時、「このあたりに全く土地勘がなく、ものすごく緊張していたのですが、出勤初日に花と金魚池に癒されました」と話すと、
「本当に熱心にやってもらっています。おっしゃられたこと伝えます。きっと喜ぶと思います」と笑顔で応えられた。
数日後、いつものように学校の門を通り過ぎると、中から長靴を履いて、頭に白いタオルを巻いた男性が、ジャージの上下を着た若い男の子と一緒にごみ袋を持って歩いて来た。
「もしかして、花壇の手入れをなさっている方ですか?」と尋ねる。「ああ、そうです。お二人で?」そう尋ねると、「はい、今年から採用になりました」と長身な20代の男の子が深々と頭を下げた。足元の白い長靴はまだ真新しかった。
「先日校長先生にもお話したんですが、お花に癒されています」
「ああ、校長から聞きました。嬉しいです」「金魚のお世話も?」と尋ねると、「はい」と元気な返事が返ってきた。しかし、話している時間がもったいないというくらい、道路の掃き掃除をしたそうだった。「頑張って下さい」と言うと、「はい、頑張ります」と言って、そそくさと竹箒を持って二人は消えて行った。熱心な職員にちゃんと校長先生が、私の感動した言葉を伝えてくれていた。それだけでも、いい地域に転勤してこられてよかったと思った。誰でも認められたり、褒められたりすることは嬉しいことだ。そして気持ちは言葉にしないと伝わらない。
二週間後、花壇のところを通りかかると、低学年の生活科の授業でみんながスケッチブックを持って集まっていた。フェンス越しに、「何しているの?」と聞くと、「春を見つけているんです」と答えてくれた。子どもたちは思い思いに花を描いていた。その中で一人金魚池のところで金魚をスケッチしている男の子がいた。
金魚と言うには可愛さにかける、鯉に尾びれや背びれが付いて、しっぽの付いている感じの魚。男の子は、そんな金魚の尖った口元や少し淀んだ目など、リアルに描いていた。思わず「上手い」とつぶやいてしまった。すると、その男の子は礼儀正しく、こっちに向いて目を合わせ、「ありがとうございます」と返事をした。
その翌日、新人の彼が植木を切っていた。「頑張っていますね。慣れましたか?」と言うと、「はい、昨日初めて、植木の剪定をしました」と少し照れくさそうに言った。
「昨日、低学年の子どもが、春を描くと言って、金魚池の金魚をとっても上手に描いていて驚きました」と言うと、「え?そうなんですか。嬉しいです」と笑った。
剪定をしている彼の足元にもう一人、麦わら帽子を被った女性がいた。「いつも、本当にきれいにされていますね」と言うと、「ええ、素敵な先輩がいますから」と言った。
「3人でやっていらっしゃるのですか」と言うと、「新人がいるので、特別3人なんです」と言った。頭をタオルで巻いた男性から、麦わら帽子の女性に、そして白い長靴の若者へと、思いと技術は引き継がれていく。
転勤で落ち込んでいた私は、花壇やその世話をしている人の気持ちに元気付けられた。
今度は自分の番。子どもたちに気持ちを向け、職員の笑顔を増やせるように頑張ろうと思えた。一生懸命仕事することが、人の心を動かす。
転勤は私にとって、大切なことを教えてもらう大きな転機となった。
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