「‘小’が大を兼ねるとは~‘マグマ’の秘密」 (立川小談志師匠、真打昇進披露公演に行ってきた)
記事:Shoji THX Yamadaさま(ライティング・ゼミ)
天狼院を代表するコンテンツの一つに、天狼院落語部がある。月一回の開催日を、小生は楽しみにしている。
御指導して下さるのは、昨年10月1日に目出度く真打に昇進された、泉水亭錦魚改め立川小談志師匠だ。
小談志師匠と天狼院落語部の事は、天狼院のメルマガ「【vol.036】週刊READING LIFE~みはるスペシャル~」2月8日号に、拙記事を寄稿させて頂いた。
今回はその付け加えと、メルマガ以降の小談志師匠の活動に付いて書こうと思う。
真打に昇進が決まった折、小談志師匠にこう尋ねた。
「真打に成っても錦魚を名乗るのですか? 」
すると師匠は
「いえ、替える積りです」
「談志になったりして」と小生が混ぜ返すと師匠は
「恐れ多くて無理ですよ」と笑っていた。
小生は、満更冗談で言ったのではない。
小談志師匠は、若手落語家の中では珍しく、噺の中では俗なギャグを入れず、落語本来のセリフで勝負する芸風だ。
師匠の談志家元も、若手の頃はギャグを入れない本格派だったそうだ。
そこで、小生は談志を継ぐならこの人と考えていたのだ。
家元が変わってしまったのは、選挙に出てかららしい。
小談志師匠が、まかり間違って出馬すると言い出したら、それこそ全力で止めたいと思う。
故立川談志家元が、落語協会を一門で脱会し「立川流落語会」を設立したのは、1983年の事だ。この事件の火種は、さらに5年前の1978年、落語協会の大量真打昇進制度に遡る。
1976年生まれで1999年入門の小談志師匠には、直接関わりが有った訳では無いが、記憶に残して頂きたいので、一応記しておく。
立川流家元の談志の名が、復活したというか暫く使われていなかったことに驚くしかない。立川小談志という高座名、実は2代目である。
しかし実は、この小談志の名が先に書いた1983年の、一門脱会事件の引き金だったといえば、皆さんの興味を引くことだろう。
顛末はこうである。
1983年に行われた、落語協会真打昇進試験に立川談志師匠の弟子二名が、受験し落選した。それまで、落語協会の試験による真打昇進に異を唱えていたのが、他ならぬ談志師匠であった。その試験結果に、不満を持ち一門で教会を脱会したのだ。
その時、昇進試験を受験し落選した一人が、初代立川小談志(故人)であったのだ。
いわば、「小談志」の名は、一門にとって落語協会を脱会する引き金になった名跡であり、その後の辛い歴史の原点を連想させる名となったのだ。
何が辛いかを少々解説しよう。
噺家は本来、寄席の様な常設の小屋に出演するものだった。
今では、色々なホールや地方の公民館等での高座も見受けられるが、これは売れっ子噺家の場であって、前座や二つ目の噺家にとっては、ただの付き人修行の場に過ぎない。
寄席では、自分の師匠だけでなく他の師匠の噺を聞くことが出来る。
また、他のライバル達と色物(漫才やマジック等)に交じって、競い合う場でもある。
当然、高座に慣れ、実力も上がってくる。
寄席は、興行の観点から、協会が牛耳っている。
したがって、協会に居ない(脱会した)噺家は、旧来から在る常設の寄席には出られない。
師匠連中は、大幅な収入減となり、弟子達は貴重な修行の場を失うこととなる。
脱会者にとっては、大変辛い歴史の始まりとなる。
現在でも同じだが、談志師匠が創立した立川流一門の噺家さん達は、老舗の常設寄席には出演出来ない。
小談志師匠を始め、一門の噺家さん達は皆、一門会や先輩が主催するホール落語、地方の興行主が主催する寄席、はたまた都内でも比較的小規模に営業している独立系の演芸場にしか出られない。
この様な事から、立川小談志師匠の真打昇進披露公演が、皇居に程近い国立演芸場で開催されたことは、我々にとっても本当に嬉しい事であった。
しかも当日は、小談志師匠の現在の師匠である立川龍志師匠を始め、一門の人気者の立川談春師匠、御祝い事には欠かせない一門の重鎮の立川左談志師匠、そしてMC役の立川雲水師匠といった、豪華な顔ぶれが揃った。
昇進披露公演には、口上が有る。
恥ずかしながら小生にとって、初めて生で観る披露口上だった。
落語の口上は、歌舞伎や文楽、そして能・狂言といった本寸法の口上と違い、昇進する当人の挨拶は無い。
今回の小談志師匠もその例に倣い、かなりの時間、手を着きっ放しで頭を下げていた。重労働である。
落語の口上の特徴は、昇進する当人を一方的に褒めないことだ。
そもそも、滑稽な事を話すのが噺家だ。当人を前に、実に見事なそして滑稽な紹介をされる。
当人の入門当時の逸話から入り、修行中のドジ話になり、そしてラストは明るい将来性を語りながら、当人へ益々の応援を依頼する。
これ正に、天狼院秘伝のABCユニットに近い。
小生も、良い勉強になった。
今回の小談志師匠昇進口上では、立川雲水師匠の挨拶が感動的だった。
いくつかの滑稽な逸話の後、こう続けられた。
「小談志には、立川談大という仲の良い兄弟子が居ました。残念な事に、談大は若くして亡くなり*¹ましたが、本日存命でしたら弟弟子の真打昇進を、自分の事の様に喜んだと思います。ここに居ります小談志も、談大の分まで今後精進すると思います。小(小談志)が大(談大)を兼ねる日が来るまで、皆々様の御支援を賜りたいと存じます」
談志家元の「芝浜」(人情話)を聴いた様な感覚になり、思わず涙しそうになった御言葉でした。
その後、左談志師匠の見事な手締めが有り、当日の掉尾を飾った*²のは立川小談志師匠の「井戸の茶碗」という人情話。
緊張の極みの中で、見事に演じ切られました。
替わった事と言えば、小談志師匠の出囃子だ。
錦魚時代はその名の通り、童謡をアレンジした「きんぎょの昼寝」であった。
小談志に成ってもその儘とはいかないと、常々師匠が仰っていたので、何になるかと楽しみだった。
新しい出囃子は「マグマ大使」だった。原作は手塚治虫の漫画で、その後テレビドラマが製作され、そのテーマ曲が今回出囃子となったのだ。
しかし、「マグマ大使」といえば、小生年配のウルトラマン世代しか知らない筈だ。ちょっとした疑問符が、残った。
後日伺ったところ、ドラゴンズ時代の落合選手のテーマから頂いたそうである。
岐阜*³県揖斐郡出身の師匠。ドラゴンズファンであっても、何の不思議もない。
小生は、やっと納得した。
天狼院落語部が始まって早二年。
丁度、本格的に師匠が真打を目指し始めた時期とシンクロする。
我々は、鯉ならぬ錦魚が、大師匠小さんと師匠の名を併せ持つ龍となるのを間近で見た訳だ。
これからも、芸に円熟味を増し、小談志が大名跡と成るまでを、楽しみに見続けたいと思う。
*¹2010年逝去。家元の一年前であった。享年36歳。大柄な体格から、談大と名付けられた。
*²大トリを取ること。楽屋用語。
*³「ギフ」はこう書きます!
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