Re:私のイヤリングを知りませんか?
記事:西部直樹さま(ライティング・ゼミ)
夜更けのメールに、目が覚める。
着信のメロディ音が静かな部屋に響き、暗い部屋に小さな明かりが点滅する。
「ん……なに?」
傍らにいる人が眠たげに問いかける。
「なんでもない、迷惑メールみたいだ」
傍らの人は、背を向け、寝息をたてる。
私も背を向け、メールを開く。
件名は「私のイヤリング知りませんか?」
彼女が私のところにきたときのことだ。
耳朶にまだ穴を開けていない彼女は、イヤリングをしている。
押さえつけているだけのイヤリングは、ともすれば簡単に落ちてしまう。
落ちてしまえば、わからなくなる。
彼女は、片方だけのイヤリングが増えるのに嫌気がさしたのか、
部屋につくなり早々にイヤリングを外しまった。
外した一組のイヤリングはどこに行ったのか。
傍らで眠る人を起こさないように、そっとベッドを抜け出し、その時のことを振り返る。
彼女が部屋に入り、リビングダイニングの隣のベッドルームで、コートを脱いだ。
コートをハンガーに掛け、そして、イヤリングを外しはじめた。
「なんで外すの?」と問いかけたような気がする。
「よくなくすのよ。片方だけ。だから……」
彼女は、左右のイヤリングを左手に持ち、何かを探し始めた。
「どうした?」
「セロハンテープはない?」
イヤリングを外して、セロハンテープを探す? なぜ?
イヤリングとセロハンテープの奇妙な組合せにいささか呆然としながら、
彼女のイヤリングを外した、少し赤みのある耳朶を見ていた。
……
それからどうしたのだろう。
ベッドボードの小引き出しにしまったのか?
背を向けて寝る人を起こさないように、静かに小引き出しを開ける。
そこには、寝るときに必要な小物が入っている。
が、イヤリングは見つからない。
代わりに彼女の長い髪の毛が引き出しに絡みついているのを見つけた。
傍らで眠る人の髪は短い。
私の枕の上にも……。
良く気づかれなかったものだ。
長い髪の毛を丸め、ゴミ箱にそっと落とす。
それで、イヤリングはどこだ。
居間のテーブルの上、キッチンのどこか。
それなら、傍らの人が気がついたはずだ。
どこだ?
日本人が生涯で捜し物に費やす時間は、およそ7万5322分間、ざっくりと一生のうち52日間は捜し物をしているのである。あるメーカーのアンケート結果だ。
アレは、どこへ行った?
さっきまで、あったのに!
いざ、出かけようとすると、財布がどこかに隠れてしまう。
散々探しまわり、やっと着ている上着のポケットに入っていることに気がついたときは、人生を呪いたくなる。
どこに置いたのか、しまったのかを忘れるから、探すことになるのだ。
だから、ものの定位置を決めておく。
財布はデスクの左の小物入れの中とか。
こうすれば捜し物に費やす時間は軽減できるのだ。
ただ、ときどきどこが定位置だったのか忘れることがある。
これが問題である。
人間だもの、忘れるさ。
忘れることを前提に何か方策はないものなのか。
忘れることはなかなか辛いことでもある。
過日のことだ。
郷里の母から電話がかかってきた。
「今日はなんの日だか覚えている?」
むむ、なんの日詐欺か、と一瞬思ったが、母が息子を騙しても得るものはない。
母と分かっているし……。母の誕生日でもないし、もちろん私や家族の誕生日でもない。
「なんか、いいことあった日だっけ?」とアラ還の息子が返すと、母はあきれたように
「おまえは、薄情だね。お父さんの○周忌だよ。忘れたの」
「あ、…………」
まったくをもって失念していたのである。
父が亡くなったのは、覚えているし、この時期だったのも記憶にある。
しかし、○周忌であることは、すっかり抜け落ちていたのだ。
父は、何年前になくなったのか、思い出せない。
父の命日を特定する、という捜し物がはじめた。
スケジュール帳からはじまり、記憶を辿るが、思い出せない。
やっと、普段使わないSNSに書いた日記で日付を確認できた。
しかし、忘れることは、楽しいことでもある。
本が好きなので、日々本屋とか古書店にフラフラと入ってしまう。
入ると手ぶらで出るのは失礼かと、買い求めてしまう。
本は一期一会だ。読みたいな、と思った本はその場で手に入れなければ、いつの間にかなくなってしまうのだ。
しかし、読む速度より買う速度がいささか速いので、積ん読の本が増える。
何を買ったかも忘れるのである。
あの本を読みたいな、と積ん読本の塔を探索していたら、同じ本が何冊か出てきて、げんなりしたことがある
買った本を忘れるので、買ったら記録することにした。
タイトルと著者を入力するのは、思ったより面倒な作業だ。
なので、買った本は写真に納めることにした。
買った本写真集ができるほどになる。
買った本は忘れてしまうが、買った本の写真を眺めているのは、あ、こんな本があるのかと、楽しいものだ。新鮮な気持ちが本と向き合える。
が、写真ではタイトルを検索できないことに気がついた。
う~む……。
探しごとに費やす時間を減らす工夫を探す、この時間を何とか短縮できないものか。
でも、この探し物をしていて、目的のものではないけれど、思わぬものを見つけたり、気づいたりするのも楽しいのである。
読みたい本を探していたら、あら、この本も読みたかったんだ。と発見(発掘?)したり、いろいろと工夫をさがしていると、便利なものが見つかったり。
寄り道は無駄ではない。
そうだ、写真だ。
彼女がイヤリングをどうするのかで、あまりにもユニークだったので、写真を撮った記憶がある。
携帯の隠しフォルダを開くと、彼女との写真が出てくる。
コートを着ている彼女。
イヤリングを外している彼女
外したイヤリングをセータの袖をまくり、左腕の内側にセロハンテープで貼り付けている彼女。
そして、彼女の細い左腕、セロハンテープで貼り付けられたイヤリングの写真。
私は、彼女に左腕についたイヤリングの写真を送った。
数分後、彼女から返信が来た。
「ありがとう。貼ったの忘れていた! せんきゅー!」と文面と共に、
彼女の部屋のベッドの上で、ニッコリと笑い、右手で左腕に貼り付けたイヤリングを指さす彼女の写真が送られてきた。
忘れていたのか。
……うん、この写真は誰が撮ったのだ?
傍らに眠る人が起き出してきた。
「ごめん、ごめん、迷惑メールの対策をしていたんだよ」
「ふ~ん、迷惑メールって、髪の長い彼女からのメール?」
「うん……、いや、そうじゃなくて、ホントに迷惑なの」
「ふ~ん、あなた、喋りながら耳たぶ触っていたよ。
嘘つくとき耳たぶ触るの癖だって知っていた?」
「えっ、いや、知っていたかな……」
と私は、耳たぶを触りながら、答えるのだった。
探し物をしていると、思わぬ発見をされてしまうこともある。
それは、楽しい……かもしれない。やれやれ。
***
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